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日本の「美」を求めて━こころを救う「用の美」

Akira Ishibe

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石部 顯 1955年、岡山県津山市生まれ。 子供の頃、自閉症で苦労するが、高松稲荷で祈ったところ、特別支援学級の知的レベルから、10年後に東大に入り心理学を研究することへ導かれた。1980年卒業。 人間の意識が秘める力、自分を超えた大きな力が存在すること、その二つが共鳴することで開かれる、皆が幸せになる道を探究し伝えている。 最新科学と古代の叡智、東洋と西洋の文化を統合し、日本の自然・文化・こころの真価を日本の若い人たち、アメリカ人に伝えてゆきたいと願っている。 その一環として著書『真理大全 真理篇 科学篇 思想篇』を、今秋に刊行予定。
日本の「美」を求めて━こころを救う「用の美」

日本の美を、幽玄と表現する時、それは言葉や形に現れない、深遠な美や、神秘的な余白をさすと言われます。

鈴木大拙は、「(東洋人は)何を考えるにしても、生活そのものから離れないようにする。ただその生活とは、霊性的な向上を意味している。庭、音楽、絵、…それらは有限を超えた何かを見たいという人間の欲求に応えるもの。美は、単なる美ではなく、霊的な要素から生まれる必要があるのです」━。

陰翳を礼賛した谷崎潤一郎は、美によって救われないなら、自分は、地獄に堕ちてもいい、と言った。美は、深い━。

民衆的工芸(民芸)に真の美を見た柳宗悦(やなぎむねよし)。「美」とは、彼にとり、人を大いなるものへと導く道であり、翼のようなものだという。
━美こそ、もっとも広く、等しく、その救いの業を人々にもたらし得る。そして、「人は、自らが自然の子であることを自覚したとき、まことの美とは何かを知る」。美は、人を救う道になりうるのだと━。

自然の美を追い続けるIshikawaさんと、日本の美に魅かれ、民芸の美に関心のある皆さまに、柳宗悦『雑器の美』より、彼の思う日本の美について分かち合わせてください。今の時代に、大切な指針となる言葉だと思います(興味を持たれた方は、『雑器の美』柳宗悦、アマゾンで、400円で手に入ります。ご利用ください。)

「天然に従順なるものは、天然の愛を享ける。豊かな質は、自然からの贈り物。その美を見るとき、人は自然、自らを見る。」

「よき工人は自然の欲する以外のことを欲せぬ。自然の子となる時、美に彼は彩られる。母のその懐に帰れば帰るほど、美はいよいよ温められる。」

「単純さこそは要求せられた器の性質である。 単純を離れて正しき美はない。純一なその姿にこそ、かえって美の本質が宿る。」

「自然が選ぶ自由、この自由こそは、創造の母であった。すべてが天然に托される時、驚くべき創造が始まる。奔放な味わい、豊かな変化、常に新たな鮮やかな世界への開発がある。」

「民芸において、日本の美が見出されることほど力強い事実はない。そこには、独自の日本がある。故国の自然と風土と、感情と理解との、まちがいもない発露である」

「この低い器の中に高い美が宿るとは、何の摂理であろうか。奉仕に一生を委ねるもの、自らを捧げて日々の用を務むるもの、誰もの生活に幸福を贈ろうと志すもの、それらの慎ましい器の一生に、美が包まれるとは、驚くべき事柄ではないか。自らは美を知らざるもの、我に無心なるもの、必然に生まれしもの、それらのものから異常な美が出るとは、いかに深き教えであろう。」

「雑具」と呼びなされたそれらの器こそは、「幸あるもの」、「光るもの」と呼ばれるべきだろう。天は、美は、すでにそれらのものの所有である。美は、人を救いうる。最も広く平等に開かれた道である。」

2024/7/5

Tags:日本文化のルーツ

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