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【書評】『良寛―その仏道』竹村牧男

流水

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中川 光弘 香川県に生まれる。 東京大学農学部農業生物学科、農業経済学科卒業。博士(農学)。 農林水産省アメリカ・オセアニア研究室長を経て茨城大学農学部教授。 現在は茨城大学名誉教授、東京日野国際学院副校長。
【書評】『良寛―その仏道』竹村牧男

良寛―常不軽菩薩の化身―

今年の夏は異常な暑さだった。日本で夏に35度Cを超える猛暑日は、20年前には1日か2日だった。それが今年の猛暑日は50日を超えた。地球温暖化が加速していることを痛感させられた。このような事態がくることは、既に40年ほど前から予測されていたのだが、人類は有効な対策を怠ってきた。

地球温暖化の背景には温室効果ガスの排出が急増したことがある。人口が増え続ける中で一人当たりの資源・エネルギー消費も増加してきた。我々は一人当たりの資源・エネルギー消費が増加することを豊かになることと考え、そのような生活を追い求めてきた。40年ほど前から、これでは地球社会は破綻するため、「豊かさ」の価値観を変えて、質的、精神的な「豊かさ」を追求する時代に入るべきことが指摘されてきたが、その転換は起こらなかった。

猛暑の中で本書を読んでいて、人間が清貧の中でも心豊かに生きるとはどういうことなのか、良寛禅師が生涯を通じて示してくれていると思った。質素な生活だったであろうが、禅師の内面世界は極めて豊かで、充実したものであった。さらにこの豊饒な精神世界を漢詩や和歌、書に残してくれたことは、我々日本民族にとって幸いであった。

本書は日本仏教思想史が専門の老仏教学者によって書かれた良寛論である。特に良寛の仏道とは何であったのか、に焦点を絞ってまとめられている。著者の竹村牧男教授は30年前にも良寛論を書いており、本書は二冊目の良寛論である。長年にわたる良寛研究の成果が随所に示されており、著者の良寛への敬慕の深さが感じられる。

本書を読んで一番感じたことは、良寛の生涯にわたる仏道への真摯な態度と仏教、文学、芸術への広くて深い教養である。良寛さんというと子供と無心に毬で遊び、さそわれれば農夫と酒を酌み交わす自由人をイメージするが、この自然法爾の生活の根底には、燃えるような求道心と修行があったことを改めて知った。散逸していた正法眼蔵を全国の寺々を巡りながら全て読み切った禅僧は、当時では良寛が初めてだったであろう。良寛の漢詩、和歌、書、仏教論には彼の深い教養に裏打ちされた記述が随所に見られることを、著者は丁寧に解説している。このような解説は、長年日本仏教思想史を研究してきた老学者だけが書けることである。

良寛は、法華経の常不軽菩薩や禅の十牛図の布袋和尚を理想として生きていたようである。最晩年に木村家内草庵に移住し、貞信尼との邂逅をはたした島崎時代は、良寛にとって最も幸福な時代だったのかも知れない。地球社会が質的、精神的「豊かさ」を模索している現在、良寛の生涯はその生き方の一つのモデルを教示してくれていると思う。本書の一読をお勧めしたい。

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「我に?杖子有り、知らず何れの代より伝われるかを」(良寛)

「諸法は元来、祇だ如是のみ」(良寛)

「雪華、誰か知る、是れ法華なるを、久遠も、今日の一時に収む、信ぜずんば君、門外に立ちて見よ、三界は総じて大白牛たるを」(良寛)

「僧はただ万事はいらず常不軽菩薩の行ぞ殊勝なりけり」(良寛)

「久方の雪野に立てる白さぎはおのがすがたに身をかくしつつ」(良寛)

「一、上をうやまい下をあわれみ、しょうあるもの、とりけだものにいたるまで、なさけをかけるべき事」(良寛)

「かたみとて何をおくらむ春は花夏時鳥秋のもみぢ葉」(良寛)

「うらを見せおもてを見せてちるもみぢ」(良寛)

 

「はるか昔の前著以来、ずっと心底に敬慕し続けてきた良寛の、特に仏教思想等の詳細について、禅のみでなく、浄土教への接近や密教との関わりも含めて、あらためて全体的に解明しておきたいと思ったのであった。・・・・私は、そのような関心から、良寛の根幹ともいうべき禅思想や仏教思想、そして良寛の生活を貫く仏道を尋ねてみたのであった。」(竹村牧男)

「杖には印可を受けた悟りを表す意味があるからであろう。たとえばある詩には、『我に?杖子有り、知らず何れの代より伝われるかを』などがある。印可証明を拝受したときに、国仙和尚から山から切り出したままの杖を授かったのであれば、師の代から伝えられたことは明白であろう。しかしそれを、いつから伝えられてきたか分からないというのは、国仙和尚を遥かに遡って、道元、六祖、菩提達磨、ひいては釈尊、過去七仏等々から、ということを示唆するものであろう。もちろんそれは、悟りの心のことである。良寛にとって杖は悟りの象徴なのであり、あるいはまさに悟りそのものなのである。」(竹村牧男)

「良寛はこの布袋和尚の境涯を、ことのほか愛でていたのである。元来は、白雲の彼方の草堂に身を潜めているものの、縁あって十字街頭に出てきたときは、光を消し去り、世塵にまみれ、酒場、魚屋等々に自由に出入りし、しかもひそかに接化を行じていく。しかもそのただなかにあって、けっして白雲に包まれた本地の風光を離れていない。途中にあって家舎を離れずである。まさに良寛の生き方そのものであろう。・・・・多くの人々と仏縁を結びつつ、自らはただ質素に暮らすのみ。しかも『無事是貴人』の境涯、昇平、太平の境地に生きるのみなのであった。と同時に、その有り難さは、良寛においては、『法華経』の常不軽菩薩と重なっていたようである。」(竹村牧男)

「良寛の禅の力量は、古来の祖師方に勝るとも劣らず、実に越格の禅匠である。『法華讃』は、中国・朝鮮・日本の古今を通じて、禅文学の白眉と言うべきである。」(竹村牧男)

「良寛の精神生活を故郷がよく支えてくれたことになったわけで、そういう意味で良寛の後半生は幸せであった。良寛の仏道の深みも、そういう環境の中で熟成していったのである。」(竹村牧男)

2024/10/24

Tags:内宇宙の旅

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