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遺伝子とIQが物語る日本人と日本文化のルーツ━人生という「人間成長システム」

Akira Ishibe

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石部 顯 1955年、岡山県津山市生まれ。 子供の頃、自閉症で苦労するが、高松稲荷で祈ったところ、特別支援学級の知的レベルから、10年後に東大に入り心理学を研究することへ導かれた。1980年卒業。 人間の意識が秘める力、自分を超えた大きな力が存在すること、その二つが共鳴することで開かれる、皆が幸せになる道を探究し伝えている。 最新科学と古代の叡智、東洋と西洋の文化を統合し、日本の自然・文化・こころの真価を日本の若い人たち、アメリカ人に伝えてゆきたいと願っている。 その一環として著書『真理大全 真理篇 科学篇 思想篇』を、今秋に刊行予定。
遺伝子とIQが物語る日本人と日本文化のルーツ━人生という「人間成長システム」

過去は追ってはならない。

未来は待ってはならない。

ただ現在の一瞬だけを

強く生きよ。

━ブッダのことば

 

十代末に、禅を通して日本文化の深さに触れ、その思想だけでなく、いのち・エッセンスを体験したくて、坐禅に打ち込んだ時期がある。大学に、陵禅会(りょうぜんかい)という坐禅部があり、臨済宗妙心寺派・専門道場の老師が、学生の指導に当たって下さっていた。昔の先輩に、歴代総理の指南役と言われた陽明学者・安岡正篤氏がいて、少し上には、仏教学者・竹村牧男氏(前東洋大学学長)がいる。竹村氏は、仏教のいのちを現代に甦らせ、私たちの生きる指針となるようにブッダの智慧を分かり易く説いて活躍されている。

先日、講談社より著書『はじめての大乗仏教』を上梓されたので拝読し、書評をアマゾンのレビューに投稿した。日本の美しく豊かな自然と、自然の道(神道)・大乗・日本仏教は、日本人の潜在意識と肉体の遺伝子を形成する上で、多大な影響を与えており、日本人とその文化を語る時は、これらの影響を度外視することは決してできないと思う。

今回は、『はじめての大乗仏教』を手がかりに、日本人・日本文化に絶大な影響を与え、あまりに深く浸透しているために、自然過ぎて自覚されていない、大乗・日本仏教の真理の恩恵、日本人の遺伝子とIQが物語る日本人・日本文化のルーツについて思いを馳せてみたい。以下、書評をもとに、大乗・日本仏教を知る鍵となる言葉を本書より幾つか取り上げながら、感想とともに、簡単な解説と考察を試みる。

*画像は、安土・桃山時代に始まり江戸時代中期に完成した、日本のカルタ「花札(はなふだ)」の「月」である。西洋が、基本的に左右対称・シンメトリーを美意識の原理とする(例えば西洋のカルタ・トランプ)のに対し、日本人の美的センスは、非対称、調和を破った調和、統一を破った統一にある。この「月」のデザインも、月は中央でなく左に寄り、山もまた対称を破り、右が少し下がり、しかも形と色彩において全体として調和の美を表現している。花札の絵に、1年12カ月、自然の四季折々の花鳥風月が描かれているのも日本の特徴である。私は子供の頃に、父親から花札を教えられ、喜んでよく遊んでいたので、すべての絵柄がしっかりと感性に焼き付いている。

 

🔳大乗・日本仏教は、今なお最先端のさらに先を行く思想━「日本人の日本知らず」

昔の人は、真理を、美しい月に、言葉を、その月をさし示す指に喩えたという。その意味で、『はじめての大乗仏教』は、美しい真理を、10の側面(全10章)から易しくさし示してくれる指南書と言える。指が示す方向を見れば、真理の月が目に入り、こころで体感することができるだろう。

人は、どのような意識観、人間観、世界観をもって生きるかによって、まったく異なる人生を歩むことになる。例えば、フロイトやマルクスのそれか、ブッダやイエスのそれか、あるいは自然そのものが教えるそれか、によって、良くも悪くも、心が現実をつくる法則(唯心所現)ゆえに、人生も世界も全く異なるものとなるだろう。世界の思想史を見ても、大乗・日本仏教ほど人間の意識の持つ可能性と世界の真相の極北(真理)を明かすものは、本当に稀だと思う。

少なくとも日本では、約1400年前に、聖徳太子が、大乗仏教の意識観・人間観・世界観を基に、最高の悟りを求めて慈悲と智慧を生きる者=菩薩に溢れる国を創るというビジョンを掲げ、日本の建国に尽力された。その影響は、実は、今も私たち日本人の文化や生活に深く浸透しているのだが、その恩恵をほとんど自覚しないでいるのが、21世紀の今を生きる多くの私たちの現状ではないだろうか。

大乗・日本仏教の教えと精神は、過去のものではない。今、ここで、どう生きるのか、そして、未来、私たちの国と世界をいかに創造してゆくのか、そのための指針がちりばめられた智慧の宝庫━ブッダの悟りの中身と日本で開花した仏教の精華そのものである。例えば、世界に大乗仏教を伝えた鈴木大拙から、多大な影響を受けた人々の中には、哲学者ハイデッガー、ヤスパース、心理学者ユング、ロジャーズ、その他、ハーバート・リード、ケン・ウィルバー等々、多くの西洋の思想家たちがいる。しかし、その事実さえ、日本ではほとんど知られていない。仏教は、今なお、最先端のさらに先を行く思想なのである。

以下、心の琴線に触れた言葉を挙げ、その後に感想と考察を述べたい。

 

🔳自力の中の他力━私たちは自分で自分の可能性を開花することはできない

・空性であるがゆえに無限の事象を生成する。その静寂なるあり方に、涅槃(ねはん)を見る。我々は、どんなに迷い、執着していても、常に空性(くうしょう)すなわち涅槃のただなかにいる。

仏教では、寂滅現前、寂滅為楽、空寂、寂光など、「寂(じゃく)」の語がよく用いられる。大空・虚空をイメージするといい。空(そら)には、太陽、光、雲、星々、宇宙が広がり、様々な自然の造化を生み出すとともに、空・虚空自体は、ただ静かにそこにあり続け、すべてを生み出し、包容し、そのすべて自体でもある。そこに空(くう。慈悲と智慧のエネルギー、すべての存在の母胎であり、すべて自体でもある究極の真理)の本質を、自然の空(そら)に重ね、そこに普遍性、永遠かつ深淵な静けさ、つまり「寂」を観たのである。

そしてその静寂なる空(くう)のあり方に、煩悩の炎が滅した悟りの境地=涅槃をみた。

・(法華経に)衆生の側では願い求めるところが無かったにもかかわらず、仏の悟りの世界を、自然に得ることができたとある。

私たちが知らないところで、私たちの力を超えた、何か大きな力が、はたらいているようだ。悟ろうと思わなくても、常に悟りに導かれている。何か大きな力があるという。

・このように仏は、常に衆生にはたらきかけていて、このはたらきかけを受けてこそ、我々は仏の智慧を実現し、自利利他円満の存在となり、ゆえに他者を救済する主体となっていくことができる。

・『華厳経』『如来蔵経』『法華経』などにおいては、一貫して、衆生は如来の智慧を有していること、しかし衆生は自分で自分を開発し、仏となることはできないこと、仏の側で衆生にはたらきかけ、衆生を導き、仏に成らしめることが説かれている。

自分だけで、自分を開発して、仏となることはできない。人や出来事との出会いに満ちた人生という「ご縁」が与えられる世界の「人間成長システム」がなければ、私たちは成長できないのである。仏によらなければ、自己の内にある可能性、如来の智慧や力は、開花することはできない━それだけ圧倒的な、人間の個の力など遥かに超えた大きな導く力に、私たちは皆、誰もが「自然に」抱かれ、運ばれているのである。生命の大河のような流れがある━。

・たとえ自力聖道門の仏道といえども、他力なしに成就するものではありえず、……そもそも自力ということも元来、不可能なこと。仏道修行は、仏の側で用意され、仏の加護と導きにおいて進められてゆくものであるのが、その真実。

・自力の道も他力であり、他力の道にも自ならぬ自力がありえる。

 

🔳仏教も昇華した日本人━縄文人の遺伝子12.5%、超ハイブリッドな潜在力

・「自然法爾(じねんほうに)にして大悲の光被を受けるのである。これが日本的霊性の上における神ながらの自覚にほかならぬのである。シナの仏教は因果を出で得ず、印度の仏教は但空(たんくう)の淵に沈んだ。日本的霊性のみが、因果を破壊せず、現世の存在を絶滅せずに、しかも弥陀の光をして一切をそのままに包被せしめたのである。これは日本的霊性にして初めて可能であった」(鈴木大拙)

何度読んでも心震える言葉である。日本的霊性、いや日本仏教の特徴が端的に表現されている。縄文時代の昔から、自然に育まれてきた日本人のこころ(潜在意識)と肉体遺伝子によって、日本人は、仏教以前に、すでに華厳経でいう「事事無礙法界(すべての事象が他のあらゆる事象と妨げ合うことなく相即し相入しあっているような世界)」を、自然に、無意識的に生きているようなところがあると思う。

華厳経には、悟りの心(菩提心)を、大地、海、太陽、月等々の自然で表現している箇所があるが、すでに日本には、自然の道(神道)、大宇宙の根本力、自然力、生命の発展力と合一して生きる道(神人合一)があった。それを思想として言葉にせず、感覚・感情・意志において、現実生活ですでに生きており、あとから来た仏教や中国思想は、それを思考において哲学化し裏付ける触媒として働いているに過ぎないとさえ言えるのではないだろうか。

何より、インドで生まれた仏教も、中国で説かれた高度な思想も、現地では廃れながら、日本でのみ生きながらえ根を下ろし開花しているのは、不思議なことである(例えば「知行合一」を説く陽明学は、説かれたのは中国だが、実際に生きて実践したのは、大塩平八郎、吉田松陰など多くの日本人である)。鈴木大拙が言う日本的霊性とは、そうした包容力・昇華力・創造力に満ち溢れた日本人の心身に宿る潜在意識と肉体遺伝子の本体・本質、特徴・特性にあるのだと思われてならない。

日本の地理的・気候風土がもたらす自然の特徴が、日本人の意識・文化に与えている影響については、改めて述べることにしたい。ここでは一例として、日本人の遺伝子に関して最新の研究を取り上げる。日本人の遺伝子を解析して、初めて見えてきたことがある(東京大学や金沢大学のグループの研究による)。

今の日本人の遺伝子は、縄文人から受け継がれている遺伝子の割合が、平均して12.5%を占めている(沖縄人は28.5%、東北人は18.9%と多い)。日本人の遺伝子は、縄文人に加え、弥生人、さらに大陸からの様々な渡来人の遺伝子が加わり、極めて多様性に富むハイブリッドな遺伝子を持っていることが分かった。

日本人のルーツについては、バビロニアのシュメールやヒッタイト族とする説などがあるが、確定していない。ただ、一万六千年続いた縄文時代の日本人にまで、ルーツを遡ることは、許されるだろう。その上で、それ以降、目的をもって日本を目指して来た民族もあれば、4~6世紀の古墳時代に、大陸の混乱を避けて渡来した数多くの民族がいたことが明らかになりつつある。

日本人は、「人の心を察する」「空気を読む」ことに長けていると言われるが、それは従来言われてきたように日本人がほぼ単一民族だからではなく、逆に、言語も文化も全く違う多種多様な民族が集まり、交流し、交り合い、争いを避けて皆で調和した社会を築いてゆくために、そうした力が不可欠であり、切実なる必然から進化せざるを得なかった能力であると考えられる。

「和」をもって尊しとなす、との言葉が生まれる背景には、そうした個々の民族、文化、宗教を尊重しつつ、争いを避け、全体として調和的に統合してゆこうとする日本人の願い・祈りと、それを可能にした潜在力があったことが推測される。そうした実態が、遺伝子の解析を通して徐々に浮かび上がってくるのだ。

日本人のルーツは、今のところ、縄文時代まで遡ることができるが、日本に渡来した民族については、日本海にしろ、南シナ海にしろ、相当な航海知識と技術(能力)がなければ日本までたどり着けないから、その時点で、かなりふるいにかけられたと見る学者もいる。日本の地理的位置が、大陸の東端にあり、多様な民族や文化が日本に行き着く、あるいは流れ着いてしまう位置にあることも大きい。

さらに重要なことは、自然の豊かさである。日本列島が南北に長く伸び、四季が明瞭で、海と山に恵まれ、「変化」と「刺激」に富んでいることが、日本人の脳と身体の発達・特徴に決定的な影響を与えていることは明らかである。日本は美しく豊かな自然に抱かれ、美味しく豊富な海と山の幸に恵まれ、体は健康で元気に、こころも豊かに余裕が生まれ、人間関係も楽しくなり幸せな人生へとつながってゆく━。日本の自然の美しさにこころが触れているだけで、心身は洗われ、清められ、健康になり、軽くなり、至福を感じられるようになっている。

一方、地震や台風など自然の巨大な力=荒ぶる神と共存する智慧も備えてきた。西洋の主流が自然を支配し征服する発想に対し、日本は、自然の恩恵への「感謝」とともに、その脅威に対しては、自然に対する「畏敬」の念を抱き、身を守るために智慧を磨き、蓄積してきた歴史がある(例えば、地震に対しては、揺れを吸収する耐震構造<五重塔や石の灯篭などに見られる>、津波に対しては、ここより海側に住んではならないとする言い伝え等々)。自然の脅威もまた、日本人の感性と脳、身体を鍛えてくれる条件となったと考えらえれる。

先に触れたように、仏教・華厳経では、最高の悟り(菩提)の心とは、大地、太陽、風、水、火、月……である、と言い切っている。自然の中で生き生かされ、自分の心身の内側に、自然が住んでいるのが日本人である。日本の自然・風土が、日本人と日本文化にもたらした恩恵と影響の大きさについては、極めて重要なテーマなので、改めて取り上げることにしたい。ここでは、そうした日本人と文化の特性について、心理学の観点から少し触れておきたい。

 

🔳世界108カ国中、IQ(知能テスト)の第1位が、日本人である理由 

日本人の宗教的寛容性、自然の道、八百万の神々を敬い、異国のものも頭から否定・排斥しない特性(よいところは取り入れ、よくないところは捨て、昇華して新しい日本独自のものに創り変える「独創性」)は、そのまま日本文化の受容性、多様性、包容力、創造力に表れている。明治期には、西洋の科学技術を取り入れ、いち早く対応してゆくが、その力の土台には、すでに日本独自に進化していた科学の知見と高い技術力があった。

例えば、江戸時代後期、伊能忠敬らが測量して作った日本地図の驚異的な正確さは世界を驚かせた。ニュートン誕生の1年前に生まれた関孝和は、微分積分の基礎を発見し、和算は庶民レベルで研鑽され、神社に奉納されている数学の問題には、今の京大大学院数学科の学生でも解くのが難しい問題があり、それを庶民が楽しんで解いているのだ。江戸時代の頃に、数学・和算の問題集が、ベストセラーになる国は、世界でも珍しいだろう。

多くの世界の人々が指摘するように、人間性も含めて、ごく普通の一般的日本人がもつポテンシャルは、世界的に見ても高いようだ。科学的(統計学的)な比較である一つの尺度として、2024年に、フィンランドの有名な研究所が、世界108カ国、50万人を対象に行った「知能テスト(従来のIQ尺度に創造性・問題解決力・柔軟な思考力を測定する尺度を加えた新しいIQテスト)」がある。その結果、第1位は日本人で、平均IQは、112,3だったという。

海外の研究者たちは、日本人に高い知性が生れる背景を、以下のように分析している。

1.農耕稲作文化━縄文前期以来(本格的には弥生となるが)、何千年にもわたって稲作は行われ、水の利用(すべての田に水を流すには、土地の勾配等、緻密な計算が必要である。また変わりやすい天候へのきめ細かな対応、後には精密機器の取り扱い等によって認知能力が高まったと考えられる。

2.言葉━日本語の漢字は右脳、ひらがなは左脳、カタカナは右脳と左脳を活性化し、脳の総合的トレーニングとなっている。日本語の文章表現には、文脈理解と美的センス(伝えたい想いを、漢字やひらがな等をどのように読みやすく、美しく、リズムにも配慮しながら配置してゆくか=文体につながる)が求められ、微妙な差異を認知する力が自然に養われる。

3.食文化━自然の豊かな恵みにより育まれた味覚。「うまみ」を発見し、21世紀に世界的に認められた味となる。魚に含まれるDHA(認知機能・記憶力を維持)、食べる時の微妙な「箸使い」などが、脳の発達を促している。

4.心構え━「おもてなし」は、相手の感情を見とり、最適解を見つける力を育てる。学校の「係り活動」は、認知力を多面的に向上させている。日本は「思いやりと協調」の文化であり、子供の頃から、複数の視点から問題解決を試み、協力することによって、文化的知性が鍛えられている、等々。

日本人、日本文化、日本的霊性のルーツを尋ねる時、私は、少なくとも2万年前(縄文時代。本当はもっと昔)から、日本の美しく豊かな自然に育まれてきた、日本人の意識(潜在意識)と肉体(遺伝子)に秘められている潜在力のことを思わざるを得ない。このテーマについて、今後、さらに科学的かつ体験的(実践的)に探究してゆきたいと思う。

 

🔳自然の中に生きる日本人━自分を超えた力に支えられ「今ここ」に永遠を生きる

・自己は、今・此処において、阿弥陀仏に包まれ、支えられ、生かされていたとの自覚がもたらされる。……自己が自己のみにおいて成立しているのではなく、自己を超えたものにおいて成立していることの了解がもたらされるということ。

自己とは何か、一つの解答が示される。親鸞が、阿弥陀如来の願いは、つくづく親鸞一人のためにあったのだと悟ったように、私たち一人ひとりもまた、阿弥陀如来(=無量寿無量光如来=永遠・無限の光の如来)と一対一で、その救いにあずかっている。宇宙で唯一のかけがえのない個として認められ愛されながら、一切の違いを超えて平等の救いに収めとられている。歎異抄の英語訳を読んだドイツの哲学者ハイデッガー(著著『存在と時間』で有名)が、心底感動して、これを世界に伝えたいと日記に書いた事実が思い出される。真理の月は、国の違いを超えて、美しいのである。

・仏教は、即今・此処で、生死の対立以前の不生(ゆえに不滅)を自覚するところに永遠の生を見出す。

今ここに、永遠なるものを見出し、今ここを十全に生き切る、生命を最高に謳歌する道こそが、本来の仏道であるという。「今ここ」にある、自然、仏のはたらきかけを感じ応えて生きる。「自己のいのちが自己を超えるものに支えられていることの自覚から、報恩に生きるべく、為すべきことに全力で取り組むことになる、そこには『自(おのずか)ら然(しか)らしめるものがある』、それこそが、自然法爾(じねんほうに)の世界……」。なんと素晴らしい世界に、私たちは生き、生かされていることか━。

日本に生まれ、自然の力、自然の道、大乗・日本仏教のこころに育まれる恩恵を感じると、小さくてもいいから感謝とともにその恩に報いる行為をしてゆきたいと自然に思えてくる。大乗・日本仏教という真理の月の光を掬い取り、世を照らした先人のお蔭さまで、私たち日本人と日本文化が、今もなお、その美しい余光を放っていることは、世界の人々が認めていることだ。

とりわけ若い人たちには、これよりその潜在力、可能性を育み開花し、世界の調和のために皆で力を合わせ尽力してほしいと願わずにはいられない。そして私たち先を行く世代は、その土台を創り、彼らを支えることに、与えられた命の時間を捧げることにしたい。なぜなら、それが自然の循環であり、今に永遠を生きる喜びなのだから━。

 

月かげの いたらぬさとは なけれども

ながむる人の こころにぞすむ  ━法然

仏の慈悲は、月の光のように私たちをくまなく照らしているのですが、

夜空を見上げて、月に気づいた人の心にこそ、光は住むものなのです。

 

 

2025/2/25

Tags:日本文化のルーツ

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