縁友往来Message from Soulmates
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マインドフルネスな日本文化━大和ごころの揺籃

なにごとの おわしますかは 知らねども
かたじけなさに 涙こぼるる
━西行
I know not what sacred presence dwells here,
Yet so profound is my awe
That tears silently overflow.
━Saigyo
健康と幸せのために、必ず効くと科学的に証明された確実な方法がある。マサチューセッツ工科大学医学部ジン教授が、心身の病の治癒・予防だけでなく、健康と幸せの実現に有効であると医学的に証明して、アメリカ心理学会が、科学的根拠に基づいて推奨できる健康法として世界中に広まった方法━それが、マインドフルネス(Mindfulness)である。
今からおよそ2500年前、ブッダが菩提樹の下で悟りを開いた時に、行っていたのが瞑想・止観(しかん)・禅定(ぜんじょう)である。禅定に段階ありで、ブッダが行った中でも初歩的な瞑想から、宗教的要素を除いても、健康と幸せのために有効であり、信仰・思想・信条を問わず、誰にでもできるものにしたのが、マインドフルネスである。
ちなみに、健康と幸福に役立つとされる、医学的根拠を持った方法は、次の三つカテゴリーに分類される。
1.安定した心:安らぎ、前向き、気の充実など
2.よい食べ物:免疫力を上げ体に合った食など
3.適度な運動:体操・散歩・活動・呼吸法など
この中で、1番目に当たる、心に安らぎと安定を与え、心身を「元気」という気で満たす上で、マインドフルネス、あるいは禅・止観といった瞑想が非常に役に立つ。姿勢・呼吸・心を整えることによって、生命エネルギーが滾々と湧き出しスムーズに流れ続ける状態を作る。それだけでなく、脳細胞、ホルモン、遺伝子レベルで傷ついた神経・細胞を癒し、再生、成長させることが、医学的にも証明されたわけである。
古来、日本には、「禅と念仏」と言われるように、伝統文化だけでなく、日常生活の中に、マインドフルネス・瞑想を深める智慧が、姿勢・呼吸・心得・所作にわたって、自然に組み込まれてきた長い歴史がある(念仏にも、「名号<仏・菩薩の名>」を繰り返す中に、禅定と同じ深い精神の統一と安定をもたらす力がある)。日本人が、茶道、華道、香道、剣道、柔道、武士道、縫い道、技師道、英語道、……ありとあらゆる営みに「道」をつけてきたのには大切な意味がある。それが何であれ、単なる技術ではなく、心を磨き豊かにする方法、すなわち究めるべき道なのだ。日本人は、意識する、しないに関わらず、いかなる仕事であれ家事であれ、それを通して心を深め(心を磨き)、技を究め(知識・技術を磨き)、悟り(達人を目指す)=自己に与えられている可能性の開花(それはそのまま、その人にとっての本当の健康と豊かさ、幸せにつながる)に至ろうとする志向性を潜在的に持っているのである。
その意味でも、本来、マインドフルネスの本場は、日本なのだ。明治以来、アメリカに禅を伝え、広めた多くの日本人や東洋人がいた。そして禅の力の一端が医学的・科学的に証明・評価された後に、日本にアメリカから逆輸入されたのが、マインドフルネスの実態である。そして、歴史的に、禅が盛んになる前から、止観(煩悩を止めて智慧で観る『法華経』による禅定の境地を深める道)という禅の源流となる瞑想が、すでに日本で行われ、その指南書『摩訶止観(まかしかん)』が、広く読まれていた。中世の日本文化・文学を理解する上でも、必読の書である。ちなみに、岡倉天心が、日本の文化と精神を世界に伝えるために、初期に英語に翻訳したのが『天台小止観』(後述)であった。
それほど、日本文化に深く重要な影響を与えてきた止観であり、禅のこころが分かりやすく説かれた『摩訶止観』にもかかわらず、戦後、ほとんど顧みられなくなった。日本人として、まことに残念である。そのような思いもあって、私たち日本人の先祖たちが読み、道を求める手掛かりとした本書のいのちを、生きる上で役立たせていただければと願って、拙著『真理大全』(391~418頁)に、その解説と抜粋、現代語訳と考察を述べた。関心のある皆さまのご高覧に預かれば幸いである。
今回は、日本文化の揺籃(ゆりかご)であり、マインドフルネスの源流でもある、日本人の意識・霊性(潜在意識)・文化を育み開花する上で計り知れない影響を与えてきた、止観と禅について顧みることを通して日本文化の本質に迫ってみたいと思う。
■日本仏教の淵源となった『摩訶止観』━ブッダ、達磨、慧思、智顗へ伝わる真理の命脈
仏教の核心は、一切の存在━極微から極大に至るすべての存在が、仏性(仏の本性である慈悲と智慧)の光を抱き、涅槃寂静(空)の法則のもとに生かされ、永遠に進化・成長してゆく実相を明らかにした真理にある。慈悲と智慧の世界、一切の存在の基底であり母胎である空(くう)の根源から、一切の法則・真理が生まれた。その真理を自覚する、目覚める「覚(かく)」の宗教として、実践修行する道を説くのが仏教である。それは、永遠の生命である私たちの意識が、この世に生まれ人間となり、煩悩と業(ごう。苦の原因、過ちを繰り返させる力、未熟・弱点の闇)を、菩提と願い(真実の自己を悟り、他者の自覚を助け、皆の幸せを願う光)へと変容してゆく道程を誘うものである。
仏教の真理の核心とともに、あらゆる修行法をまとめ、統合し、坐禅による自覚へと結晶したのが天台智顗(てんだいちぎ)である(6世紀に、中国で天台宗を大成した)。智顗が、初心者にも分かるように説いてまとめられたものが、『摩訶止観』である。そこには、宇宙に遍く浸透し働いている仏の慈悲と智慧の法則「涅槃寂静」、すべては心が造り、心と現実は一つである「一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)」、闇は光に転じ、宿命は使命に変容する「煩悩即菩提」、菩薩の願いと祈りである四弘誓願を基に、真実の自己を悟り衆生を救う一切の修行と方便を包摂する「止観禅定」等の理論と実践が明らかにされている。
心の煩悩を止め智慧で観る━止観・禅定の思想は、仏教の神髄であり、『摩訶止観』は、仏教史上もっとも詳しく丁寧な坐禅の指導書、禅の指南書と言える。私は初め、曹洞宗の安谷白雲老師に坐禅を学び、その後、臨済宗の鈴木宗忠老師に参禅した。曹洞は面壁、臨済は対座などの違いはあるが、調身・調息・調心という作法の基本は、まったく同じであった。後年、天台智顗の『初学坐禅止観要門一巻』(『天台小止観』)を読み、そこに具体的に書かれた坐禅法が、曹洞宗、臨済宗の老師に教えていただいた坐法とまったく同じであったことに驚き、千数百年の時を超えて今日に至るまで、そのまま正確に伝承されてきている事実に感動したことがある。
ある研究者によれば、中国・日本の禅宗において作られたあらゆる坐禅の指南書は、すべて『天台小止観』からの全文か抜粋による直接ないし間接の引用だという。道元禅師の『普勧坐禅儀』、白隠禅師の『坐禅和讃』『夜船閑話』等にも、『天台小止観』『摩訶止観』に基づく引用が随所に見られ、天台智顗が、禅宗に及ぼした影響の大きさを知ることができる。そして、禅の思想の進化・発展は、「禅宗」と「天台の止観法門」が、二大潮流とされる。止観禅定(瞑想)の法は、ブッダから、言葉を介さず(拈華微笑のエピソード)、摩訶迦葉に伝えられ、達磨大師に至ってインドから中国へと伝承された。禅宗の祖は、達磨大師とされるが、達磨が伝えたのは真の仏法であって、禅のみではなかった。中国の『続高僧伝』には、天台智顗の師である南岳慧思(なんがくえし)禅師について、━「禅宗において、南岳慧思禅師の系統を引き継ぎ、導きを承けていない者はほとんどいない」と記されている。すなわち、禅宗の禅と天台止観の本質は、全く同一であることを、ここに意識化しておきたいと思う。
■達磨大師から南岳慧思禅師へ━中国天台宗の第二祖・天台智顗が集大成、 そして日本へ
達磨大師が、中国に仏法を伝えたのは、6世紀とされ、中国天台宗の第二祖、天台智顗(538 ~ 597)との接点は、歴史的には確認されていない。しかし、天台智顗の師であり、中国天台宗の開祖・南岳慧思禅師(515 ~ 577) ━聖徳太子の前世とされ、鑑真もそう信じて来日の理由の一つとなる━と達磨大師との出会いについては、『四天王寺障子伝』(『七代記』)に記されている。
達磨大師は、慧思禅師に言った。「私はいま、昔から交わっていた懐かしい道の友(慧思)と遇い、友の長い間、積もりに積もった罪業を滅し、しばらくその清友と時を過ごして、長く来世のためのよい因縁の種を植えた。……お前さん(慧思)は、東海(日本)に生まれ変わりなさい」。そう伝えると、達磨大師は東方に去っていった。慧思は、達磨を恋慕して朝も夕も声を上げて泣きながら、それでも一日六時の努めを果たし続けた。慧思は、達磨から真の仏法のいのちを受け継ぎ、『法華経』による禅定の境地を体得した。そして、それを天台智顗に伝え、最終的に智顗が集大成したと言える。
■仏教の全真理と修行法を包含し体系づけた『摩訶止観』━すべてを「禅」に帰一する
歴史的に見れば、禅宗が発生する以前に、天台は、すでに仏法の全体を禅に統摂し、仏教のあらゆる修行法を坐禅の一行に帰一させていた。「坐禅は万行帰趣(帰着するところ)」━止観は、その坐禅の思想内容を意味し、それを広く説いたのが『摩訶止観』である。止観の止とは、念(意識)を法界(真理・空の世界)につなぐこと。観は、念を法界と一つにし、中道の智慧をもって観ることと定義される。天台止観は、最澄によって日本にもたらされ、日本天台宗の「止観業」として、止観に基づいて法華経を学ぶこととされた。『法華経』の中枢は「一乗思想」、すなわち人間性の絶対平等な尊厳性(悉有仏性<ことごとく皆が仏性を有する>)を説くもので、同時に、仏教のあらゆる経論や修行法が、ここに包含され、体系づけられることになった。それを如実に示すのが、『摩訶止観』の内容であり、そこには、坐禅あり、念仏あり、陀羅尼あり、法華経に説かれている修行法のみならず、あらゆる仏教経典の中に説かれる修行法が、分類・統合されている。
■比叡山延暦寺は「一乗止観院」━日本仏教諸宗の母胎、日本文化の揺籃となる
最澄は、延暦寺を「一乗止観院」と名づけた。それは、法華経の精神の具現が、『摩訶止観』による止観の実践によって成し遂げられると考えたからである。やがて比叡山からは、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮などが輩出し、比叡山が、日本仏教諸宗の母胎、日本文化の揺籃と言われるようになるのも、もとをただせば止観に由来している。『摩訶止観』こそが、日本仏教各宗の 淵源となったと言っても過言ではない。また、中世の日本文学や文書等は、『摩訶止観』を読まずには語れないとまで言われ、私たち現代人が自覚していなくても、今日に至るまで、『摩訶止観』が、多様な日本文化に深く浸透し、その開花に寄与した影響には計り知れない功績がある。
自分とは何か、日本人とは何か、そのルーツと潜在力を自覚するためにも、日本文化、日本人のよき「精神的遺伝子」に多大な影響を与え、可能性の開花に貢献してきた止観・禅について、私たち日本人が知らないことは、あまりにも残念である。今や、禅と仏教は、マインドフルネス瞑想として(医学的に証明されたこともあり)、世界に広まり、日本にも逆輸入されている。医療・スポーツ・福祉の分野だけでなく、経済・経営の現場でも、アップル創業者スティーブ・ジョブズが日本の禅僧を師と仰いでいたのを初めとして、多くの一流実業家やコーチングの指導者たちが、仏教哲学を学び、坐禅を行い、経営や実業の現場でマインドフルネスを実践し、結果を出しているのが世界の現状なのである。
■天台智顗の慈悲と智慧の結晶『摩訶止観』━ただひらすら、初心者のために説く
『摩訶止観』が、多くの人々に絶大な影響を及ぼした一つの原因に、智顗が、ただひたすら初心者・初学者を対象に、心の持ち方や修行方法、その過程を分かりやすく語り、どこでつまずくのか、どうすれば超えられるのか、実生活で生きられるように懇切丁寧に説き、人情の機微に徹して表現したことが挙げられる。徹底して、私たち凡夫が、目覚められるように、きめ細かなステップとアプローチが用意され工夫されているのだ。まさに、天台智顗の篤い慈悲と智慧の迸りが胸に迫り、時に鋭く深く、時に優しく喩えを交えて、読んでいて衆生を救おうとする智顗の願いの強さに感動せざるを得ない。
『摩訶止観』は、智顗の最晩年に近い説法で、「仏法の真理を学び坐禅修行を志す者は、仏法のだいたいの意味を知れば、無常を覚悟し懺悔して何より修行実践すべきである。言葉にこだわって、あれこれ詮索すべきではない」と述べている。初めて学ぶ人たちの役に立つように説法された本書には、私たち現代人にとっても有益な多くの示唆がある。
■「願い・祈り(菩提心)」を基とする止観禅定━煩悩の闇を、菩提の光へ変容する道
止観禅定は、あくまで「願い・祈り」━菩提心(悟りを求め自他を救う願い)と四弘誓願(しぐぜいがん。菩薩の四つの願い)━あっての行である。四弘誓願の本願と祈りなくして、止観禅定はあり得ない。『摩訶止観』では、もし修行の途上で障碍や壁が現れたときは、一つの対処法として、改めて四弘誓願のいのち・原点に回帰する取り組みが用意されている。何のための仏道なのか、修行なのか、坐禅なのか、━何度でも初心に戻り、願いを自分の心深くに向かって問い、心の声を聴き続けるのである。実際に、あるがままの心の動きを直感し、無意識のうちに瞬時に動く煩悩の心を観てつかむためには、かなりの精神的な集中力、道力 (禅定力)ともいえる生命エネルギーの充実と全集中(心理学で言うフローの状態)が必要になる。
禅定・瞑想によって、潜在意識の深層から、生命エネルギーを汲み出し、見えない次元から光の気のエネルギーを受けるのである。そうして初めて煩悩の波立ちを見つめることで鎮め、快苦、好悪、損得、善悪などの価値判断や思考を止めて、「今、ここ」の世界をあるがままに感じてゆくことが可能になる。言葉を超えたエネルギーの次元、真理そのものの力=慈悲と智慧で、自分や世界をあるがままに受けとめてゆく心の状態を醸成することができるのだ。
真理を悟り、煩悩の闇を菩提(悟り)の光のエネルギーへと変えてゆくためには、何より、心の闇をあるがままに観て、受けとめ、理解してゆく歩みが不可欠である。『摩訶止観』では、心の闇(煩悩)を見続け、菩提(悟り)に変える「煩悩即菩提」の道が説かれている。仏教においては、戒(自戒する)・定(禅定を深める)・ 慧(智慧を体得する)の「三学」をバランスよく深めてゆくことが重視される。これはあらゆる「道」の鍛錬・修行に通じる普遍的法則であると言える。
■止観で中道に至り、仏性を観て開く━心経、結語の意味:観世音菩薩の慈悲と永遠の友情:すべての生命・宇宙は、螺旋的に深化・成長し、世界全体が大きな調和(大和)に向かっている
止観禅定によって得られる境地の一つが、「中道」である。中道とは、現象の奥にある本質を見極める生き方で、「天の理、地の理」に中(あた)る道とされる。また、止観禅定で、「仏性」を観ることができるようになるという。仏性とは、森羅万象、一切の生きとし生けるものは、仏の慈悲と智慧の光そのもの(如来蔵)を本性として抱いている意味である(これが、ブッダの悟りの核心であり、悟った後、最初に発した驚嘆の言葉━一切衆生、如来の智慧・徳相を具有せり━であった。「一切衆生悉有仏性」『涅槃経』)。すなわち、仏教は、止観・禅定によって、煩悩を見つめ、静めて(止)、二見(分別)に偏らない「中道」において「仏性」「真如(光と闇の真相)」を観る智慧のまなざし・心眼を開き(観)、あらゆる仏性を開花して一切の衆生を救い、この世・仏国土を浄め荘厳ならしめようとする。
『般若心経』の最後の言葉、「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆呵」とは、「彼の岸、彼の岸、彼の岸に行こう、皆、悟りの彼岸に到達して、一切を成就しよう」という意味である。これこそ、誰もが潜在意識に抱く願い、すべての衆生の救済を願って転生を繰り返す、永遠の友情を生きて一切の生命が救済され開花する世界を協働して成就する希望のビジョンなのである。
天台止観には、空(くう)・仮(け)・中(ちゅう)の三観という、真理の三様を見るまなざしがある。空観とは、衆生の願い・潜在力の光と、それを妨げる煩悩・カルマの闇を観 る。仮観は、この世の現象界の法則、科学的法則や社会的法則などの真理を見る。そして、中観は、空観と仮観を融合した、片方に偏ることのない、永遠と今の真相を観て生きる「超越のまなざし」だと言う。止観禅定によって、空観(永遠・普遍の真理)による智慧に入り、さらに仮観の智慧(現象界・この世の法則)をも知った上で、最終的に、空・仮観に偏らない中観の境地で自然に関わり生きる道である。
そして、『摩訶止観』には、煩悩即菩提、降魔即成道、━煩悩の薪(たきぎ)が多ければ悟りの火も多い、と闇を光に転じる道、闇が存在する意味についても明かされている。煩悩の闇があるからこそ悟りの光がある、との大前提に立ち、そのために何をどうすればよいか、というテーマで一貫しているのだ。降魔即成道、魔を降すことは、成道の種であると天台智顗は言った。闇は光と一つにつながり、往くべき真理の世界に向かってゆく━。それは、闇を光に転じる、人類が求めてきた究極のテーマであり、その核心に応えるのが止観、禅、瞑想の道なのだ。今日、ブッダに始まり、達磨、天台智顗、最澄、法然、親鸞、道元、日蓮……すべての人に仏性は平等に存在すると徹底して観て、説き、その開花を願い生きた先人たちの志を受け継いで、止観禅定のいのちを今に生き、未来に希望の光をつなぐ人々の誕生が待たれている。
※『摩訶止観』について、さらにお知りになりたい方は、『真理大全』(399頁)に「『摩訶止観』要旨抜粋、現代語訳と解説」として紹介していますので、ご参考にしていただければ幸いです。
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2025/4/25
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