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亡き妻の“声”に救われた心理学者ー秘めた光を放て

「縄文時代の日本人は、生きることそのものが歓喜であった。創ることそのものが、祈りであった。自然と人間と、そして神々とが、まだ分かちがたく一つに溶け合っていた、あの人類の失われた、そして二度と戻ることのない黄金時代、そのかけがえのない記憶と精神が、君たち日本人の、文化のDNAの最も深い螺旋(らせん)の中に、今も間違いなく脈々と生き続けているのだ。
君たちの文明が、この病める地球にとって、いかにかけがえのない希望の光であるのか。だからこそ、私は悲痛な思いで、深い深い愛を込めて、君たちに問いかけねばならない。あえて厳しい言葉で、叱咤せねばならないのだ。『目を覚ましたまえ、日本人よ!』いつまで眠り続けるのだ。いつから君たちは、自らのうちに眠っている、あの神々しいほどの力の、その存在の力を忘れ果ててしまったのだ? いつから、君たちは、私が、その虚しさと野蛮さに心の底から絶望した、あの西洋という古びて錆びつき、もはや機能不全に陥っている物差しで、自分自身を測り、そして不当に貶めるようになってしまったのだ?
西洋理性(合理主義)は、プラトン以来、論理と分析、二項対立の思考(分ける、名づける、体系化すること)を文明の証としてきた。だが、その極端な明晰さがもたらしたものが、自らと異なるものを徹底的に排除し破壊する現実だった。西洋理性という傲慢でどこまでも自己中心的な光が、その背後に、ナチズムのホロコースト(強制収容所の黒い煙)という怪物の影を産み落としたのだ。
君たちが今感じている、息苦しさの本当の正体、それは君たちの魂が、その一番奥深い場所で泣き、そして叫んでいる声なのだ。『違う。われわれの生きる道は、こんな浅く乾いたものではなかったはずだ!』と。『我々の内には、もっと豊かで、もっと創造的で、もっと喜びに満ちた大いなる力が、眠っているはずだ!』そうだ、その通りなのだ! ……日本人よ、誇りなさい。君たち自身が、この袋小路に入り込んでしまった人類史にとっての、生きた黄金時代そのものなのだ。さあ、そのうちに秘めた光を、世界に示してくれたまえ。私は、遠い場所から、君たちのその輝かしい未来を、必ず見つめている」━
━文化人類学者クロード・レヴィ・ストロース(日本人への遺言より)
「武士の梅津は、闇夜の坂の上で、見ず知らずの女に呼びとめられた。女は、美しい声で言った。『今、大層困っております。これから非常に厳しい務めを果たさねばならず、この赤子を、しばらく預かってはいただけないでしょうか?』。彼女は、若く見え、声の響きが妙に魅力的で、梅津は、これは妖怪の罠ではないかと疑った。━すべてが疑わしかった。が、生来、優しかった彼は、胸にこみあげる慈悲の思いを、妖魔を恐れて抑え込むことなどできないと思い、頼みを聞き入れ、赤子を受けとり、胸に抱いた……」 ━小泉八雲 『奇談:梅津忠兵衛の話』
「昔、中国のある地方で、未曽有の旱魃が発生した。灼熱の日照りが続き、人々は疲弊し、食糧も尽きて為すすべもなく、最後の手段として、遠い町に住む“雨乞い師”に助けを求めた。
雨乞い師の老人は、一つだけ要件を出す。広い平野に、三日間、飲まず食わず一人引きこもることができる小屋を用意してほしい、と━。彼らは、その通りに準備し、老人を迎えた。
一日たち、二日が過ぎ、そして三日目の夜になった。……空に、忽然と暗雲が現れ、天地が陰ったかと思うと、ポタ、ポタと雨が降り始めた。やがて大地を一気に潤す勢いで、雨は降りに降った。
人々は、天を見上げ、潤々と降る慈雨に手を差し伸べ、狂喜し、泣き、合掌した。手を取り合って抱き合い、小躍りする、歓喜は、雨音とともに天空に木霊した━。そして、皆が、雨乞い師に尋ねた。
『一体、どうして、雨を降らすことができたのですか』と。老人は、答えた━
『わたしは、何もしていません。この地に来て、自分がタオ(自然、本然のあり方)から外れていること感じたので、わたしを整え、自然の理(ことわり)の力と調和するようにしたのです。そして一度、わたしが整えば、世界は整う、━理の力が、旱魃に、雨をもたらしたのです』」
━中国に伝わる実話
「人は、憎むものになる。人は、愛するものになる」━心は現実になる
■亡き妻の「声」に救われた、世界的に著名な心理学者からのラスト・メッセージ:「今ここ」にある愛
The last message from the most evaluated psychologist in the 20th century, saved by the “voice” of his deceased wife. ― “Presence” is Love.
20世紀、最も世界に影響を与えた心理学者は誰か━。アメリカで、専門家を対象に行われた調査の結果、第1位は、カール・ロジャーズ(Carl Rogers)であった。理由の一つに、彼の理論と実践活動が、単に医療の現場を超え、政治・外交、経済・経営、教育・福祉など広範な分野で普遍的な成果を上げてきた実績が評価された点がある。
いま日本で、心理カウンセリングと言えば、ロジャーズ流と言っても過言ではない(「来談者中心療法」「傾聴」「人間対人間」など)。相談に来る人を「患者」と言わず、「クライアント(client:来談者)」と、最初に呼んだのも彼である。互いに、成長するもの同士として、人間対人間(person to person)、平等に出会い交流するのが、本来のカウンセリングのあり方であるとする。
日本で、その普及に尽力したのが、私の心理学の師・佐治守夫東大名誉教授であった(私は、ロジャーズの孫弟子にあたる。が、西洋心理学に限界を感じて、東洋の心理学を探究することになった)。
今回は、“世界一”の心理学者カール・ロジャーズが、他界した最愛の妻の“声”を聞いて悟った体験━人生最後の論文に結晶した、私たちへのラスト・メッセージを味わい、対話・コミュニケーションが開く「内宇宙」の可能性に迫ってゆきたい。そして、日本人が秘めている潜在力の「扉」をたたくところまで行ければ幸いである。
ロジャーズが自分の心理学を構築する上で基にしたのが、実は、禅や東洋思想であった(この事実は、日本で、ほとんど注目されていない)。東洋哲学の智慧を取り入れたロジャーズ心理学を、受け入れやすい土壌が、すでに日本にあったと言える。本当は、日本の方が本家━つまり、正しく言えば、東洋思想を取り入れた西洋心理学の、日本への「逆輸入」だったのである(禅が、マインドフルネスと名を変えて、逆輸入されたのと同じである)。
アメリカのコロンビア大学で教えた仏教学者・鈴木大拙の名著“ Zen and Japanese Culture(禅と日本文化)”(Princeton University Press) の著者紹介には、大拙が影響を与えた欧米の思想家として、哲学者ハイデッガー、ヤスパース、心理学者ユング、フロム、歴史学者トインビー等が挙げられているが、これにカール・ロジャーズの名を加えることができる。彼もまた、大拙から禅や東洋思想を学び、多大な影響を受けていたのだ。
日本の臨床心理学、心理カウンセリングの歴史では、西の河合隼雄(ユング心理学・ 京大)、東の佐治守夫(ロジャーズ心理学・東大)と言われ双璧をなし、互いに刺激し合い交流しつつ日本のカウンセリング・臨床心理学会を牽引し、一時代を築いていった。違う流派とはいえ、深い共通点がある。ユングも、鈴木大拙などから学び、大拙の著書の「前書き」まで書いており、『チベット死者の書』を座右の書としていたほど東洋哲学に傾倒し、自らの心理学の理論的かつ実践の拠り所としたのだった。日本の臨床心理学の主な源流となるロジャーズもユングも、大拙等が伝えた仏教・東洋思想に多大な影響を受け、その本質を自分なりに解釈して独自の理論と方法を構築している点で共通しているのだ。
悩み苦しむ人を助けたいと願う目的の一点においては同じだからこそ、佐治先生と河合先生は互いに尊敬し合い刺激し合って、現場におけるカウンセリング経験に基づく様々な価値ある仕事を生み出してゆかれることができたのだと思う(当時、佐治先生を中心とする私たちの学科では、上下の序に関係なく、教授以下、皆、「さん」づけで名を呼ぶという習わしがあった。佐治先生が作った「風土」である。よって以下、「佐治さん」と表記させていただく)。
■浮浪者の中に飛び込み、サルから学べ━身を挺して相手を守る
佐治さんは、戦後、焼け野原になった浅草寺(せんそうじ)の地下で、浮浪者と共に生活して、カウンセリングの境地と技を磨いた。「同じレベル、同じ地点に どういるかということ。飛び込むときはとことん飛び込む、と同時にこの人がどんな気持ちで今対応しようとしているのか、相手への観察も含めて、そういうことがどれだけできるかという、これが私の臨床の原点」と語られている。
そして、比叡山でサルを研究し「サルになった男」と言われた学者に倣い、カウンセラーにふさわしい条件として、サルに信頼され、サルと友だちになるための条件が、そのまま当てはまると言われた。
クライアントをサルにたとえ(この場合、サルと人間を平等に観て、知覚・感覚・直感においては、野生のサルの方が、われわれ現代人より鋭く優るところがあるという認識が前提にある)、カウンセラーを、サルと交流する人間にたとえれば、次のことが言えるという━。
まず、サルに、嘘は通用しない。カウンセラーは、相手(クライアント) の期待を裏切ったり、欺いたりしてはならない。もし、サルが敵(犬が天敵)に襲われたとき━例えば、クライアントが、社会的差別、パワハラ等、何か理不尽な目に遭ったとき━は、率先して自分(カウンセラー)が身の危険をおかしてでも戦い、仲間であるサル(クライアント)を守る。サルと平等に向かい合わず、自分は人間だなどと思い上がった姿勢で関われば(カウンセラーが上<治療を施す側>、クライアントは下<治療に従う側>といった傲慢な態度で関われば)、サルはすぐに去ってゆく。したがって、サルを自分と対等の存在としてつきあうこと……。
佐治さんは、これらはカウンセラーの心得として、 ロジャーズの示す要件より実践的で、優れていると思うと言われた(『カウ ンセラーの<こころ>』佐治守夫著・みすず書房)。
■亡き妻の声を聞いて、ロジャーズが悟った「救う力」━生涯の縛りから解き放たれた瞬間:喪失の絶望から甦らせた永遠の光、「今ここ」にあなたが「ある」という愛
ロジャーズは、「純粋性(genuineness)」をカウンセリングの重要なコ ンセプトとして中心に据え、いかに純粋、透明であるかを大切にした。そして、「私が思うに、いかなる結果が(クライアントにより)選択されようとも、 いかなる方向が選択されようと、心理臨床家が、喜んでそれを受け容れるとき━心理臨床家は、そのとき初めて、建設的な行動をめざす個人の能力と可能性の活力に満ちた力が何であるかを理解するであろう」と述べている。この言葉には、人間の可能性を信じ、さらにそれを超えて働いている何か大きな力との協働を予感させるものがある。以下、晩年のロジャーズについて、下山晴彦元東大教授著『分かりやすい臨床心理学』の「世界の臨床心理学の歴史」等から要約する。
ロジャーズは晩年、最愛の妻を亡くした。その喪失感は、深く愛していただけ、本人が自覚する以上に大きく、かといって、心を癒し救う仕事の責任を背負う自分が、弱音を吐くことはできなかった。そうした彼の気持ちを察して、友人が、ある集まりに参加してはどうかと提案してきた。降霊会(こうれいかい)である。最初、半信半疑で気乗りはしなかったが、友人から勧められて、ロジャーズは、降霊会━死者の魂と交信できる能力を持つ人(霊媒)を介して、死者の霊と対話を試みる会合に、参加したのだった。
降霊会の目的は、死者の霊からのメッセージを受け取ったり、死者の存在を感じたりすることで、特に19世紀の欧米でブルジョアのサロンを中心に非常に流行った。『レ・ミレザブル』『ノートルダム・ド・パリ(ノートルダムのせむし男)』などで有名な文豪ヴィクトル・ユーゴーは、幾度となく会合を開き、霊との対話を詳細な記録として書き残している。降霊会は、現代でも、行われている(日本でも、民俗学的に言えば、「口寄せ」「いたこ」「いちこ」「巫女」などの役割の一部を通して、昔から今日に至るまで続いている)。
やがて会が始まった。ロジャーズを前にした霊媒者は、念を集中し霊を呼び出す言葉を唱え、ロジャーズの妻の霊を招いた━。まもなくして、霊が現れ、霊媒者の肉体を借りて━霊媒者が、自分の肉体を霊に委ねる(貸す)ことによって、霊は肉体を通し音声で語ることができるようになり、一方、人は霊の声を霊媒の声帯を通して聴くことができるようになるわけである。そして、ロジャーズに向かって、霊が語り始めた。
ロジャーズは、驚いた。声の調子や響き、イントネーションに至るまで、生前の妻とそっくりだった。いや、同じと言ってよい━声をまねて、できるものではないことは、ロジャーズ自身がよくわかる。彼は、しばらく妻の霊と言葉を交わし、対話を続けた。……
やがて、会は終わった。当然、ロジャーズには、まだ、信じきれない気持ちが残っていた。こうなれば、納得いくまで、ことの真偽を確かめるしかない━。彼は、その後、幾度か降霊会に参加し、妻と称する霊との対話を重ねた。そして、ついにその日がやってくる。
彼は、自分と妻の二人を除いて、絶対に誰も知らない、ある“秘密”を、話題に出してみることにした。それを知っているかどうか、確かめようと思ったのだ。━
妻として現れた霊は、二人だけしか知らないはずの、その秘密について、夫であるロジャーズが心の底から納得できるよう、詳細かつ明晰に語ってゆくのだった。彼女の霊は、確かに秘密を知っていたのだ!
ロジャーズは、驚愕した。妻の霊に間違いない! 驚きはやがて確信に変わっていった。最愛の妻の霊と出会えた喜びと至福に浸るロジャーズの内界に、これまでの人生と心理療法家としてのあり方に、大きな亀裂が入り、思いもよらない次元から光が差し込み、決定的な変容が起り始める━。
それ以降、ロジャーズは、それまで否定していたスピリチュアル(霊的)な世界や存在を、徐々に認めるようになってゆく。以前は、「ロジャーズには、宗教の話はするな」と周囲の人が気を使うほど、宗教嫌いだったロジャーズ(若い頃、キリスト教に幻滅したトラウマがある)は、スピリチュアルな存在が、真実であると確信するようになった。その体験と、臨床の現場における実践を基に、彼が人生の最後に書き上げることになった論文のテーマが、「プレゼンス (presence 今━ここに━存在すること)」であった。
■苦しむ人を安易に励まさない━ただ、黙って傍らにいる沈黙の対話
「プレゼンス」の重要性は、日本では阪神淡路大震災のときに広まった。絶望と恐怖、孤独のただ中にある被災者に、「頑張れ!」などと励ますことは、かえってよくない。頑張りたくてもその気さえ起きない、愛する人を失い、希望も気力もなくした人に、頑張れということは逆にむごい仕打ちにさえなってしまう。そうではなく、ただ傍らに共にいること━「プレゼンス」こそが、大切である、として注目された。これは、最愛の妻を失ったロジャーズが、魂の永遠を確信して、初めて救われた体験から生み出された智慧であった。
にもかかわらず、日本の心理学者は、ロジャーズを専門にする研究者でさえ、ロジャーズ最晩年の体験、気づき、理論と実践について探究しようとする者は、皆無に等しい(イギリスでは、研究されていると聞くが)。スピリチュアルな体験に触れること自体が、長く「科学的」であることにこだわってきた心理学界の世界的主流から外れることになるからだ。
意識の可能性とは何か、どうすれば人の心が癒され救われるのか、といったことより、科学的であること(そのため、実験心理学として、ネズミを使った知覚心理学などが追求されてきたが、ネズミで人間の心が分かるはずはないと筆者は以前から考えてきた)に固執して自縄自縛に陥り、あるいは、ある目的のために、人の心を作り変える手段としての心理学が研究されてきた歴史と現状がある。宣伝広告、プロパガンダ、洗脳、情報統制、心理操作、多くの人々の無意識に働きかけ、意識を手繰り、上書きして変える、ある目標に誘導し、自分から喜んでそれを選び取るように意識を方向づけるのである。そうした心理学の「闇」の側面を知り、心を守る必要がある━それは、「内宇宙」の可能性を探究し、開発する「必要と必然」の意味の一つであると思っている。
ここで冒頭に掲げた、レヴィ・ストロースの言葉を、私たちの心に深く刻んでおきたい━「いつから君たち(日本人)は、私が、その虚しさと野蛮さに心の底から絶望した、あの西洋という古びて錆びつき、もはや機能不全に陥っている物差しで、自分自身を測り、そして不当に貶めるようになってしまったのだ? 君たち自身が、この袋小路に入り込んでしまった人類史にとっての、生きた黄金時代そのものなのだ。……さあ、そのうちに秘めた光を、世界に示してくれたまえ。私は、遠い場所から、君たちのその輝かしい未来を、必ず見つめている」━
ロジャーズは、1979年の論文で、「変性意識状態」(Altered State of Consciousness) の見出しで「プレゼンス」について述べている。[注:変 性意識状態とは一般的に、通常の覚醒時(脳波ではベータ波)とは異なる意識状態を指す。その体験を共有することも可能であることから、社会学の分野でも研究対象となっている。他に、至高体験などとも表現される。自然や宇宙との「一体感」、強い「至福感」、「覚醒感」などを伴い、時に、そ の人の世界観を一変させることもあるとされる。変性意識状態は、瞑想や 極限状況の体験、ある種の薬物(LSD等、一時的で副作用があるため要注意)等によっても、もたらされる。心理学で、催眠等により意識が非常に深くリラックスした状態をいう場合もあり、トランスパーソナル心理学では、肯定的効果を人間にもたらすものとして研究されている。]
その内容について最も詳しく記されている、佐治さんと保坂亨千葉大教授(私の同窓生)他共著『カウンセリングを学ぶ 理論・体験・実習』(東京大学出版会)から、その一部を紹介したい(訳は保坂。スピリット <spirit >を、「精神」と訳しているが、精神では、ロジャーズの意を尽くしきれないため、保坂も原語を併記している。スピリットは、「魂」「霊性」「ス ピリット」等の表記が、より望ましいと私は思う)。
ロジャーズは、力を尽くしてカウンセリングに集中しているとき、気づいたことについて、次の様に語る(太字筆者)。
「私がわが内なる直観的自己に限りなく近いところに居るとき、あるいは、ことによると関係の中で、いささか変性意識状態にあるとき━そんなときには、私が何をしてもそれが十分な癒いやしになるらしい、ということである。そんなときには、端的に私が<今━ここに━存在すること(presence)がひとを自由にし、援助する。しようと思ってできる体験ではないが、しかし、リラックスすることができていて、自分の超越的な核に近いところに居ることができているとき、そのとき、私は関係の中で普段とは違った動き、そのとき わき起こってくるものに身を任せた動きをすることがある。
その動きには、 合理的な根拠はないし、私が何をどう考えているかとの関係もない。しかし、 それら普段とは違った行動が、思いもかけず、正しかったことがわかる。それらの瞬間、わが内なる精神(spirit)がその触手を伸ばし、他者の内なる精神(spirit) に触れたかのようである。2人の関係は2人だけの関係を超越し、より大きな何かの一部となる。そこには深い成長と癒しとエネルギーが <今━ここに━存在する>。……
私は、神秘的(mystical)な響きのする記し方をしてしまったことは承知している。だが、私たちの体験には、明らかに 超越的なもの、記述不可能なもの、精神的(spiritual)なものがある。私は、 多くのひとびとと同様、こうした神秘的精神的次元(a mystical, spiritual dimension)の重要性を過小評価してきたと思わざるをえない」
1986年、死の前年に出版された論文に、成長促進関係の「もう一つ の特徴」として、次のように記している。
「私が真実 (real=genuine, congruent) に関係の中に入ってゆくことができるとき……私は、クライアントの内的世界とふれあっていることで次第に動かされている自分に気づきます。そればかりか、進行中の事柄と関係のないような自分自身の内的体験やことばをもち出している自分に気づきます。と ころが、その私の体験やことばが、クライアントの体験している事柄ときわめて重要な関係をもっていたとわかることが多いのです」
■「自分なんか、どうなってもいい」と嘆くクライアントに━「自己が非常にくっきり目に見えるかたちで」今━ここに━存在すること
最後に、1987年(没年)、「治療における自己の活用」についてのインタビューで、ロジャーズは、次のように語っている。
「ときとともに、治療で自己を活用していることに気づくようになりました。クライアントにピンと焦点が合っているときには、自分が<今━ここに ━存在すること>がそのまま癒しになるようです。いい治療者はみんなそうじゃないでしょうか。
昔、統合失調症の男性とウィスコンシンで1~2年以上面接していたことを思い出します。長い沈黙がたくさんありました。決定的な転回点は、その男性が、もういい、生き死になんかどうでもいい、脱院しよう、というときでした。私は言いました。『君は自分なんかどうなってもいいと思っている。だけど私は、君がどうなってもいいなんて思ってないんだ。君がどうなってもいいなんて思えないんだ』。男性は急に泣き出しました。10分も15分もです。これが治療の転機になりました。
私は、それまでもその男性の感情に応答し、受容してはきたのですが、 そのことがその男性に本当に伝わったのは、私がひと(person)としてその男性のそばに行き、自分の感情をその男性に向かって表現したこのときでし た。
このことに関心をもったのは、治療者の3つの基礎条件(純粋性・無条件の積極的関心<受容>・共感的理解)を、強調しすぎてきたと思うからです。ひょっとすると、それらの条件の辺縁(周辺)にある何かこそが治療の最も重要な要素なのではないか━治療者の自己が非常にくっきり目に見えるかたちで<今━ここに━存在すること>です」
自分が裸の存在となり、自己と他者、両者の自我を超えてつながる深い 意識のレベル、スピリチュアルな次元での交流が、心の病の治癒のみならず互いの意識・魂の可能性の開花と成長をもたらす━。私は、ここに21世紀を生きる私たち人間にとって、健康、幸せ、真の個性・才能・創造力を開花する核心となるテーマがあると思っている。
1970年代後半、大学で西洋心理学の限界を痛感した私は、意識の治癒(救い)と可能性の開花(直観・創造力の発揮)の道を、独自 に求めざるをえなくなった。その歩みの過程で、ロジャーズが、1979年から没年の1987年にかけて語っている「超越的なもの」「神秘的精神的次元」が本当にあることを、自らの体験━超越的な愛と智慧のリアルな実感により、また実際に関与してきた数千人の方の事例を通して確信するようになった。そうした次元につながらない限り、 癒されない、救われない、開花されない意識の可能性があることを認めざるを得なくなったのだ。
■宗教-科学複合的な知、新霊性運動(new spirituality movement)が世界に起きている( 宗教社会学者・島薗進東大名誉教授)。「対話」による心の救いと可能性の開花に向かう━“沈黙の対話”を基に
ロジャーズが、カウンセリングの体験を重ねることで晩年に到 達した「変性意識状態」による治癒の可能性について、私の体験を通して言えることは、禅や瞑想だけでなく、茶道や武道(「道」のつくすべての日本文化)の鍛錬、自然といのちを融和して生きる生活によっても変性意識状態に入り、生きることができるということだ。
先に変性意識状態の「注」で触れたように、━変性意識状態(至高体験)は、自然や宇宙との「一体感」、 強い「至福感」、「覚醒感」などを伴い、極限状況の体験、瞑想などによっても起きるからである。すなわち、カウンセラーが、瞑想・自然・茶道など何かの「道」に親しむことは、自身の 心身の健康によいだけでなく、対話による治療、カウンセリングにおいて、 自らの意識を磨き充実させ、ロジャーズのいう変性意識状態(真実の自己が 開かれた自然の状態)に入り、「プレゼンス」の状態を生む可能性を開くことにつながると言える。それと同じ理由で、NATUTRE JAPNNの自然の映像が伝えるリズムに、心身を浸す時を持つこともまた同様の効果をもたらすことだろう。
「プレゼンス」のよい例が、江戸時代に生きた禅僧・良寛である。彼は、何を説法するわけでも、特別なことをするのでもない。が、人々の中に彼がいるだけで、家では喧嘩がなくなり、みな笑顔になった。放蕩息子は、良寛の流した涙に気づいて心を入れ替え正気に戻り、家族はみな幸せになるといったことが、次々に起きたと記録には残されている。まさに、ロジャーズがいう「プレゼンス」の力ではないだろうか━。
禅・瞑想を修めた 良寛さんの意識は、変性意識状態にあり、内からあふれる、まごころの慈悲の光 が自然に周囲の環境、人々を照らし、癒し、救ったのだろう。レヴィ・ストロースが、「我々の内には、もっと豊かで、もっと創造的で、もっと喜びに満ちた大いなる力が、眠っているはずだ! そのうちに秘めた光を、世界に示してくれたまえ」という「内なる光」の発露のよき例こそが、良寛さんであろう。
佐治さんにも、似たところがあった。何か問題が起きたり、意見が分かれたりして対立するような場面があると、佐治さんが現れ、その場にいるだけで、どういうわけか問題は解決し、対立は解けて和が生まれるのだ。私の友人が、それを心底不思議そうに、「なんか佐治さんがいると、問題が自然に解決して、場が和んで、うまくまとまっていくんだよね……」と言っていたことが思い出される。今から思えば、まさにプレゼンスの力を体得され、生きておられたのだと思う。
ロジャーズが、20世紀に最も世界に影響を与えた心理学者として、アメ リカで第1位に選ばれたことには、必然があると思う。ロジャーズが言う「宗教」や「神秘性」について、佐治さんは次のように説明している。━それ は、「ロジャーズが青年期までこだわっていたキリスト教などの旧来の救済宗教を意味しない。島薗(1996) の言う宗教-科学複合的な知である新霊性運動(new spirituality movement)あるいは新霊性文化(new spirituality culture)という文脈で議論すべきであろう」(宗教社会学者・島薗進東大名誉教授は、上智大学グリーフ研究所所長。「スピリチュアル・ケア」 の実践を行う人材を養成している)。島薗氏は、いま世界に、「新霊性運動」が起きていると主張している。それは時代衝動━ある時代に、世界中で同 時に起きる、共通した意識の動向と社会現象のことである。
アメリカでは今、既成宗教のキリスト教よりも、直接、 個人が神とつながる「スピリチュアル」な生き方が、道を求める人々を中心 に広がっている。日本でも、パワースポット、神社、スピリチュアルへの関心が、若者を中心に極めて強くなり、映画、アニメ、漫画、歌、小説等に溢れるようになった。前世、転生(てんせい)、輪廻といった言葉が、ヒット曲やアニメで普通のように使われている(そうした日本のアニメや漫画は、いま世界中に広まり、高く評価され、世界の若者・子供たちだけでなく、大人にさえ絶大な影響を与えつつある)。若者や子供 ほど、この傾向は顕著で、今後この時代衝動は、危険(カルト宗教の跋扈)をはらみながらも、より深く広く、社会現象として現れてくることだろう。佐治さんもまた、「新霊性運動」を自覚されていたことを知って、私は素直に嬉しかった。
■日本の危機に、女性と若者が目覚め始めた━「様々な潜在力の実現、成長の能力をもつ、使命の達成に生きる人」として出会う
佐治さんは、カウンセラーの心得として、「同じものは同じものによってのみ知られる、というギリシア以来の叡智を改めて確認したい」と述べ、ル ネサンスの思想的基盤を創った哲学者プロティノスの言葉を掲げている(『カウンセリングを学ぶ』)。
「見るものたる眼は、見られるものたる対象と同族化し、類似化した上で、 観照に乗り出すべきなのである。その理由は、眼がもし太陽と似ていなければ、眼は断じて太陽を見ることはできないし、魂も、それ自身が美しくなっていなければ、美をみることがかなうまいという点にある。神を観、美を見ようとするものは、誰でもまず何よりも、神に類似していなければならない。美しき自己になっていなければならない」。
そして、この一節を読んで感動したゲーテが記した次の言葉を掲げる。
「人の内にて、神みずからの生動することなければ、神々(こうごう)しきものの、人を魅することもあるまじ。人の内にて、神みずからの力の生動することなければ、神々しきものの、人の魅することもあるまじ(人の内界に、神が動かなければ、神々しいものが人を魅了することも、神々しいものに人が魅了されることもないだろう)」
ロジャーズは、カウンセリングにおいては、セラピスト(関わる側)の姿勢が決定的要因になるとし、クライアントは「様々な潜在力の実現や、成長の能力をもつ、使命の達成に生きる人物」として出会われる。
まず、セラピスト自身が、純粋性を生きる━心を浄化し、高次の自己に目覚め、自ら癒され、健康を取り戻し、意識の可能性を開花し続けてゆくことが求められる(現実には、セラピスト<精神科医も同様>である自分自身が、癒されることのないまま働きについてやがて疲弊し、あるいはクライアントの無意識にある混乱に自身が巻き込まれて苦しむケースも多い)。セラピストの心が救われ、健康となり、可能性が開かれてゆくこと、それがそのままクライアントの意識に影響を与え、治癒のみならず、人間同士として平等な、かけがえのない信頼の絆きずなを結び、深め合い、共に豊かに成長してゆく関係を育むことにつながるのである。
人生の最晩年に、人間のスピリチュアル、霊性の次元にある可能性に目覚め、伝えようとしたカール・ロジャーズ。最期まで臨床の現場で、苦しむ人のために人生を捧げ、志半ばで往かれた佐治さん━。二人の遺志を受け継いで、意識の可能性を花開してゆく「対話」の道を極め、霊性の観点から特に重要な役割を担う女性と若い世代に、その真理を伝え、体得・開花していただけるように尽くしてゆきたいと思う。
2025年夏に起きている社会現象は、女性と若い人たちが目覚め始めている兆候を示しており、私たちの無意識を動かしている時代衝動そのものが、日本人の覚醒を強く促しているように思われてならない。世界は今、日本に、日本人と日本の文化に、かつてないほどに注目している。日本人の覚醒は、日本だけでなく、世界に波紋を広げてゆくことになるだろう。それを予言しているのが、冒頭のレヴィ・ストロースの遺言である。最後にもう一度、その呼びかけを噛みしめ、どうそれに応えてゆくのか、ともに思いを馳せて、自分との対話を深めてゆきたいと思う。
━君たち(日本人)の文明が、この病める地球にとって、いかにかけがえのない希望の光であるのか。…「目を覚ましたまえ、日本人よ!」いつから、君たちは、私が、その虚しさと野蛮さに心の底から絶望した、あの西洋という古びて錆びつき、もはや機能不全に陥っている物差しで、自分自身を測り、そして不当に貶めるようになってしまったのだ? 君たち自身が、この袋小路に入り込んでしまった人類史にとっての、生きた黄金時代そのものなのだ。さあ、そのうちに秘めた光を、世界に示してくれたまえ。私は、遠い場所から、君たちのその輝かしい未来を、必ず見つめている。━
「人の内面に、深く、深く入り込んでいけば、必ず、『純真無垢な子供』(本当の自分の核)が現れる。たとえ一瞬であっても、その純真無垢な子供が、表面に顔を出せば、大変な違いが生じる。なぜなら、その子供の純真さは、常に健康で、完全無欠だからだ。それは決して壊されない。あなたは、かつてどんな破壊も及んだことのない、人の内奥の核心に達したのだ。そしてその核のいのちを、再び脈動させることができさえすれば、それで十分だ。あなたは、治癒の過程をスタートさせたのだ」 ━和尚
The only defence we have against the mind benders is to develop our mental capabilitiesーindividuallyーas a firewall against psychological warfare and cultural colonialism.
私たちの心を、捻じ曲げようとする人々(心理操作、宣伝工作、洗脳、印象操作、偏向報道、報道統制、プロパガンダ等)に対する唯一の防衛は、そうした無意識レベルに働きかけてくる心理戦や文化的植民地主義の侵攻から守るシステムとして、わたしたちの精神的な、様々な可能性を、それぞれにおいて、開発・開花することにある。
ー Daniel Estulin "TAVISTOCK INSTITUTE"
2025/7/25
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私もカウンセリングの手法をロジャーズ派(来談者中心療法)の先生方から学びました。ただロジャーズの「presence(臨在)」までは、教えてもらえませんでした。カウンセラーは、一種の「altered state of consciousness(変性意識状態)」に入って、宇宙的超意識と繋がり、その臨在に触れてもらってクライアントを治癒していく、という療法は高度な技法です。
しかし、日本では剣道や柔道、合気道、茶道など、道の付く修行では、最終的に師匠はこの臨在を弟子に体験させ道を伝えてきました。レヴィ・ストロースはこのことを知って、未来世界への日本文化の貢献に期待を寄せたのだと思います。
レヴィ・ストロース、懐かしい名前です。学生時代に「野生の思考」を読んだことを思い出しました。1970代、実存主義に代わる新しい哲学として構造主義が注目されていましたが、知的ファッションとして文字の表層を読んでいた当時の私には、残念ながらその本質と価値がよく理解出来ませんでした。
冒頭のレヴィ・ストロースのメッセージは、半世紀の時を経て、私の心に深く刺さりました。Akiraさんのおかげで、再びレヴィ・ストロースの「思考」に出会えたことに深く感謝します。
「縄文時代の日本人は、生きることそのものが歓喜であった。創ることそのものが、祈りであった。自然と人間と、そして神々とが、まだ分かちがたく一つに溶け合っていた、あの人類の失われた、そして二度と戻ることのない黄金時代、そのかけがえのない記憶と精神が、君たち日本人の、文化のDNAの最も深い螺旋(らせん)の中に、今も間違いなく脈々と生き続けているのだ。
━君たち(日本人)の文明が、この病める地球にとって、いかにかけがえのない希望の光であるのか。…「目を覚ましたまえ、日本人よ!」いつから、君たちは、私が、その虚しさと野蛮さに心の底から絶望した、あの西洋という古びて錆びつき、もはや機能不全に陥っている物差しで、自分自身を測り、そして不当に貶めるようになってしまったのだ? 君たち自身が、この袋小路に入り込んでしまった人類史にとっての、生きた黄金時代そのものなのだ。さあ、そのうちに秘めた光を、世界に示してくれたまえ。私は、遠い場所から、君たちのその輝かしい未来を、必ず見つめている。━
レヴィ・ストロースが送ってくれたこのエールに応えたい、心からそう思いました。今回Akiraさんが「究極のカウンセリング」として紹介してくださった「プレゼンス」の境地を目指して、「NATURE」と「愚老庵」で、今できることを、全力で発信してゆきたいと思います。
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