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日本語の美と知性 -数学が証明した真実

Akira Ishibe

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石部 顯 1955年、岡山県津山市生まれ。 子供の頃、自閉症で苦労するが、高松稲荷で祈ったところ、特別支援学級の知的レベルから、10年後に東大に入り心理学を研究することへ導かれた。1980年卒業。 人間の意識が秘める力、自分を超えた大きな力が存在すること、その二つが共鳴することで開かれる、皆が幸せになる道を探究し伝えている。 最新科学と古代の叡智、東洋と西洋の文化を統合し、日本の自然・文化・こころの真価を日本の若い人たち、アメリカ人に伝えてゆきたいと願っている。 その一環として著書『真理大全 真理篇 科学篇 思想篇』を、今秋に刊行予定。
日本語の美と知性  -数学が証明した真実

世界最古と言われたメソポタミアより、7000年以上古かった縄文文化

「日本語の起源は、日本だった」━。DNAと言語分布を照らし合わせた研究で、「日本語は孤立言語である」との結論が出た。すなわち、日本語は、周囲のどの言語とも、血縁関係が確認されていない、孤絶した言語なのである(これまで日本語の起源を、他国の言語に求める説は多々あったが)。日本語の起源は日本、と考えることが最も自然であり妥当だという。

かつて、人類の文明発祥の地は、メソポタミアであるとされてきた。しかし現在では、それが誤りであったと証明されている。縄文土器が発見され、放射性酸素年代測定や、様々な科学的鑑定法の進化により、日本列島には、人類最古の文明と言われてきたメソポタミアよりも、「7000年」以上前から、高度な土器文化が栄えていたことが判明したのだ。今や、日本の縄文土器が、人類文明発祥の地と言われたメソポタミアよりも古いことは、世界の常識となっている(「世界史」が、欧米の価値観・歴史観によって書かれてきたことを忘れてはならない。From a strictly scientific point of view, history cannot be called a science. 厳密な科学的見地からすれば、歴史は、科学とは言えない)。

また、漆塗りの技術も、縄文時代に、すでにあったことが明らかになっている。私たち日本人は、長い間、中国から伝えられてきたものだと信じ込まされてきた。が、それも、今から「9000年」も前に、日本で作られた漆工芸品が出土し、中国よりも古い歴史があることが、科学的に証明されたのだ。現代の日本が、科学技術で世界の最先端をゆく国であると同時に、縄文時代からのアニミズム(あらゆるものに霊・魂を見る文化)を底辺に保持していることには、深い関係があるのではないかと考えられる。つまり、縄文文化において、世界の最先端をいっていた事実と、科学技術と古い伝統を共存させている現在の日本は、つながっている━そうした日本文化の特殊性に、今、世界が注目しているのだ(ギネスブックには、「世界で最も古い国は、日本である」と記されている)。

3000年前の縄文人のDNAを解析した結果、現代日本人のDNAの13%から21%に、縄文人由来の遺伝子があることが証明された。しかもそれは、世界人類のどの遺伝子にも見当たらない特徴を持っていることが分かった。縄文時代は、1万年以上にわたって平和を維持し、土偶や土器に象徴される極めて高度な精神性と文明をもっていた。縄文人が、自然と一体になって生きる、他を思いやり自利よりも利他を重んじて、自分よりも社会や公の調和・平和のために生きていたことがうかがえる。私は、豊かな自然とともに生きて発展した日本文化(和の精神)がそうであるように、融和的で優しい、たおやかな日本語の音やリズムは、縄文人の意識とDNAに深く根差していると考えている。

そして、縄文時代を起源とする古代日本語は、日本から西方に伝えられ、その後、様々な西方の言語もまた日本に流入したと考えられる。例えば、約6000年前のシュメール語は、文法など日本語との共通点が非常に多い。しかし、日本では、3万6000千年前の円形集落が、各地で発見されており、歴史的には日本語の方が起源として古いと考えて然るべきである。まず、日本から、西方に日本語が伝えられ、後にシュメール語等が、西方から日本に伝えられたと見るのが妥当である。

しかも、日本語は、数百年で文法や構造を大きく変えた英語、フランス語、中国語など他国の言語と違い、数千年(少なくとも千数百年)にわたって、その構造を、ほとんど変えることなく保ち続けている稀有な言語なのである。それは、ハンチントンが、『文明の衝突』で、日本文明を、世界文明の中で独自の個性と歴史を持つ、独立した唯一の文明として位置づけたことに呼応している。

世界最古の長編小説、『源氏物語』が、女性によって書かれたことも、世界から驚異の目で見られている。今から約1000年も前に、紫式部が活躍した11世紀初頭と言えば、英国にシェークスピアが出る、まだ550年も昔のことである(オックスフォード大学が設立される約150年も昔)。時代的に圧倒的な男性中心の世界にあって、普遍的な人間の深い心理描写と人間像を創り上げた女性の知性と感性に、海外の人々は「奇跡」を見るのである。

 

「日本語は、単なる言語や表現の枠を超えた『魂の器』であり、文化と心を映し出す鏡である。情、侘び、さび、空気を読む、など英語に訳しきれない、翻訳できないこと自体が、その言語の持つ文化の深さを表している」━元オックスフォード大学リチャード・ローエンスタイン教授(言語学)

「日本語は、言語学の限界だ」━ケンブリッジ大学マイケル・ダニエル教授(言語学)

「人間にできて、AIにできないことは、求める(願う・欲求する)ことである。AIは、どんなに有能でも、『指示待ち君』なのだ。チャレンジ、イノベーションは、人間にしかできない。教育で取り組む課題は、言葉を操る力(AIとのコミュニケーションを含め)、単なる知識を超えた、問題設定力のための広い教養、変化する社会の中で適切な判断ができる倫理観と批判的評価力である」 ━トロン開発者・板村健東大学名誉教授

                ※

わが妻は いたく恋らし 飲む水に 影さへ見えて 世に忘られず

(私の妻は、とても恋しがっているようだ。飲もうとする水に、彼女の面影まで見えて、決して忘れられない。)━防人の歌『万葉集』(7~8世紀の歌)

 

君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで  ━読人知らず 『古今和歌集』(「君」の意味は、祝福する相手を指す。当時、広く用いられていた言葉。)

 

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。  ━清少納言『枕草子』(七五調のリズム)   

 

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。   ━川端康成『雪国』

The train came out of the long tunnel into the snow country.(汽車が、長いトンネルを抜けて雪国に入った。)  ━サイデンステッカー訳

 

知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。

うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想(おもい)、籠(こも)るとぞ知れ。(Our sweetest songs are those that tell of saddest thought. –Shelleyの詩。漱石訳)━夏目漱石『草枕』(七五調・五七調のリズム)

                

主語を言わなくても通じる。助詞の一文字で意味が反転する。数千年の時をかけて磨かれてきた日本語━。その深層には、「数学の原理」が息づいていることが分かってきた。「物事の根源は数である」と言ったのは、ギリシアのピタゴラス。自然界を動かす背後にある力と法則を、数で理解し表そうとした。同じ真理を、言葉によって表したものが古代の詩であり、イエス、ブッダの聖句であったのだろう。それは、表現手段の違いに過ぎない。

最先端の物理学、量子力学の創始者たちが、皆、インドや中国の古代思想=言葉・詩から、発想のインスピレーションを得たという事実━。数学も、詩も、その究極の根源は同一の自然の真理・法則から生まれたものであることを物語っている。今、世界で、「科学の女王」と言われる数学が、「日本語」の持つ潜在力と美しさの真相を解明しつつある。今回は、数学と日本語、そして自然との関係が物語る、数千年をかけて洗練されてきた日本語の知性と美の秘密に迫ってみたい(数学が苦手な方にも、直感的にご理解いただける内容ですのでご安心ください)。

 

少ない情報で多くを伝える日本語━AIでさえ、解釈に苦戦する日本語の秘密

今、世界の研究者たちが、日本語に強い関心を寄せている。日本語の文法、言葉の並び方、意味の伝わり方、音の組み立て方、そのどれもが数学で扱う構造や規則性を持ち、数理モデルで説明しやすいという。例えば、情報の効率を図る情報理論、意味の方向を表すベクトル空間、複数の関係を整理する階層構造、自然界の形に現れるフラクタル、そして状況から意味を推定するベイズ推論等々、日本語の内部には、こうした数学概念と一致する特徴が幾つも存在しているというのだ。 

例えば、日本語の独自性━主語がなくても破綻しない構造。助詞が作り出す論理的で明確な意味の分担。敬語の背後にあるはっきりとした階層性。独特の音のリズム、漢字の部首に見られる自己相似(フラクタル)の形、そして曖昧さを生かして文脈から意味を推測する(断定を避け、相手を思いやり、対立せずに最適解に至る)仕組み━。日本語が、非常に階層的で、文脈依存型の言語であることが、数学の理論に重なる点が多い理由の一つだという。

日本語は、文の一部だけで判断するのではなく、前後の流れや相手との関係状況全体を踏まえて意味を作り上げていく。そのため、一見複雑に見える特徴の裏側には、一定の規則と整った構造が存在しており、それを解明するのに数学の概念が非常に役に立つのだ。また、日本語は、長い歴史の中で、少ない情報で多くを伝える方向へ発達してきた。この性質は、数学が追求してきた効率の考え方とも深く重なる。海外の言語学者やAI研究者が、日本語を数理的に解析し始めたのは、こうした背景があるからであり、同時に、AIが、最も難解とし、表現に苦労しているのも、日本語なのである。

 

洗練された叡智が光る━日本語の省略、簡潔、曖昧の極致

日本語には、主語を言わなくても意味が伝わるという世界でも珍しい特徴がある。「行きました」━これだけで、誰が何をしたのか、私たちは、前後の文脈や状況から自然に理解する。一方、英語は必ず主語を言わなければ、文が成立しない。例えば、“I went.”となるが、主語のIが、抜けた瞬間に、文が壊れてしまう。

冒頭に掲げた川端康成『雪国』の冒頭、この文にも主語はない。が、英訳になると、主語が置かれている(日本語では、汽車の中に自分が乗っている感じだが、英訳では、上から汽車を見下ろしている感じ)。日本人は、この省略の仕組みを無意識のうちに身につけている。なぜ、日本語だけが、このような高度な省略が可能なのだろうか?

その答えを示したのが、数学の一分野である「情報理論」であった。情報をどれだけ効率よく伝えられるのかを数式で評価する考え方である東京大学が行った分析では、日本語は冗長性(あることを伝えるのに必要とされる言葉の長さや量)が非常に少ない、という結果が出た。主語を省く言語は、曖昧になりやすい。が、日本語はその曖昧さを、「文脈」が見事に補うことによって、むしろ効率が上がっているのだ。

「やりました」という短い言葉も、前の状況、相手との関係、今話している内容等々の情報を、瞬時に組み合わせて意味を決定している。研究によれば、日本語話者は、意味を理解する際に、英語話者の約2倍の文脈情報を使っているとされる。英語は、主語がないと誤解が生まれるため省略が厳しく制限される。日本語はむしろ主語を省いた方が、自然で伝わりやすい。数学で置き換えてみると、文の表面上の情報量は少なくても、文脈の情報が、欠けた部分を補ってくれるために、結果的に日本語は情報効率が極めて高い言語になっていることが分かったのだ

AI翻訳は、英語には強い。が、日本語では誤訳が目立つ。その大きな理由が、主語が明示されず、文脈によって意味が決まるという日本語特有の構造にある。日本語は、同じ長さの文章でも、英語の約1.52倍の情報を伝えられる。これは、数学で言う「情報圧縮」の働きである。短い言葉で、多くの意味を伝える日本語は、その方向へ、何千年もかけて長い歴史の中で発達してきた。数学の情報理論が証明するのが、省略は、曖昧さではなく、効率の高さの証明であり、文脈を使いこなして、少ない言葉から最大の意味を引き出すことが、日本語の特徴の一つであるという真実なのだ。

 

「助詞」の叡智━意味の力と方向を瞬時に変え緻密な論理を紡ぐ魔法

日本語には、たった1文字で文の意味を大きく変えてしまう仕組み━助詞の「を」と「が」がある。「私が彼を選んだ」。「私を彼が選んだ」。同じ単語を使いながら意味の方向が真逆━「選んだ」言葉の向きが、鮮やかに反転している。英語では、主語と目的語を入れ替えるしか方法がなく、言葉そのものを組み換える必要がある。ところが、日本語では、動詞をそのままにして、助詞だけで意味の方向が変わる。この仕組みを解析するために使われたのが、数学の「ベクトル空間」だった。

ベクトルとは、向きと力を持つ量のことだ。京都大学の研究では、日本語の助詞が、文の意味の方向性を切り替えるスイッチになっていること、言葉の流れを別の方向へ向ける働きがあることが明らかになった。「彼を選んだ」と言えば、意味は私から彼へ向く。しかし、「彼が選んだ」と言った瞬間、意味は彼から私へ向きを変える。助詞という小さな記号で、文の構造を一瞬で切り替えることができる効率の良さが、数学のベクトル空間と驚くほど一致しているのだ。また、日本語話者は、助詞と文脈を、瞬時に組み合わせて意味を正確に受け取る

AIは、この「方向性の切り替え」を見落とすことがあるために、誤訳を生みやすい。日本語話者なら、助詞の役割を直感的に理解しているため迷わない。が、AIには、その方向感覚を正しく捉えることが難しいのだ。ここにも、日本語が持つ数学的な構造の強さが現れている。この仕組みがあるからこそ、日本語は、複雑な意味を最小限の言葉で組み立てることができる。こうした助詞の恩恵に気づかず、感謝してこなかった自分が恥ずかしい。

 

■敬語がもつ「階層構造の美」━敬語に苦労した過去も報われる⁉

日本語の中でも、海外研究者が特に注目する領域が、敬語である。海外の日本語学習者だけでなく、日本人でさえ苦労する、あの敬語━。同じ行動を表しているのに、相手との関係や場面によって形が大きく変化する。丁寧語、尊敬語、謙譲語、……その細やかで複雑な違いの裏には、ある数学的な秩序があったのだ。敬語は、明確な「階層構造」を持っていることが、言語学の研究によって分かってきた。数学には、複数の要素を、どちらが上か下かで分類しながら扱う理論があり、それによれば、敬語には、文全体の構造としての「高さ」が、階層的に決まっているというのだ。図で示すと、丁寧語は中心に、尊敬語は上に、謙譲語は別の軸として横に広がるような形となり、数学が扱う階層構造そのものになるという(よく分からないが、そういう分布になるイメージだけでもしていただければ幸いである)。

日本語の敬語体系は、自然言語の中で、最も美しく階層化された構造の一つであるという海外の学者さえいる。日本語の敬語体系は、複雑だから美しいのではなく、秩序があるから美しいのだ(そうだ)━日本語にある階層の美を、数学が見抜いたのである。

 

■日本語の音律に「自然美」を聴く━五七調・七五調に秘められた意味

日本語には古くから受け継がれてきた独特のリズム、五七調(あるいは七五調)に代表される音数律がある。俳句や和歌に用いられるこのリズムは、日本語を響かせる際の基準として、長い歴史を持っている。五七調は、万葉集で多く使われ、荘重で力強い響きを、七五調は、古今和歌集以降に主流となる軽やかで優雅な響きを持つ。冒頭の清少納言の枕草子も、夏目漱石の草枕も、七五調と五七調が基調となっている。

俳句や和歌では、五七、五七、……短い音(五)の軽やかさ、そして七の音を挟んだときの少し伸びやかな響き━。この五と七音の並びが、「フィボナッチ数列」と驚くほど親和性が高いという(フィボナッチ数列とは、11235813のように、前の2つの数を足した数字が続いていく、自然界でよく見られる数列)。例えば、貝殻の螺旋、植物の葉の並び、ヒマワリの種の配列、花びらの数、松ぼっくり、台風の渦、銀河の渦巻き等々、自然が生み出す美しい形の多くに、この数列が見られる(ミツバチの家系の先祖の数も、フィボナッチ数列になる)。

研究者たちは、日本語の五七調の、5と7という数の間に、自然界と同じリズムが隠れている━例えば、俳句の575は、音の短さと長さのバランスが、自然界の黄金比(1対1,618)に非常に近く、5で短く引き締め、7で少し広げ、最後にまた5でしめる、緊張と緩和が繰り返される美しいリズムで、数学で言う黄金比━自然が最も安定し、美しく見える比率━に近い音とリズムなのである。日本人は、そのような五七調を、自然に選んできたことになる。お茶の水女子大学の研究では日本人は、日本語で5と7を組み合わせたリズムを心地よいものとして本能的に感じる傾向があるだけでなく、このリズムは、人間が普遍的に美しいと感じる自然の法則に近いという。

注目すべきは、日本において、このリズムが、長い歴史の中で自然に選ばれてきた点である。言霊(ことだま)と言われるように、日本人は、言葉を声にして発することにより、言葉にこめられた霊・魂のエネルギー(気)が、形となって現れる、現実に影響を及ぼすことを知っていた。日本語はもともと、音の響きを重視する言語で、古代の人々は単に耳に心地よい音の並びだけでなく、神や魂にまで届く、音律と「響き」を持った言葉、詩や歌を紡いできた。その一つの結果として、57という音数が、最も自然な形として残ったと言える

日本語話者は、日常の会話でも、五七調に近いリズムを無意識に使いこなしている。そのリズム感には、人類が古くから美しいと感じてきた比率の秘密が宿っていたのである。自然界の法則と呼応するように、日本語はそのリズムを選びとり、今に伝えてきた。数学、自然、日本語が、出会い一致するところに、五七調の美しさがあり、それは日本人が守り続けてきた「音の文化」でもある。

 

日本語の「曖昧さ」は、最適解に至る智慧━日本語が論理的でないという誤解をとく

日本語には曖昧だという印象がつきまとう。しかし、この曖昧こそが、実は日本語の最大の武器なのではないか━。研究によれば、この曖昧さは、数学の「確率」と深く結びついていた。数学に「ベイズ推論」という分野があり、それは、今ある情報とこれまでの知識を組み合わせて、最もあり得る答えを導くという数学的な推測の方法である。日本語は、文脈を使って推測する仕組みを持つ。別の表現をすれば、曖昧さを残すことで、聞き手が状況に合わせて、意味を補う余地を持てる言語と言うことができる。

例えば、「後で」の一言だけでは意味は確定しないが、文脈が加わることで様々に変化する。━目の前の仕事が終わったらすぐにやる、という意味になり、あるいは、急いでないから後でゆっくりやる、という意味にもなりうる。曖昧な言葉が、文脈によって最適な意味に変わる━まさに、ベイズ推論の働きと一致するだけでなく、日本語話者が、この推論を非常に高い精度で行っていることが分かってきた。文の一部が省略されていても、文脈の情報から自然に補える。主語が省略されても、日本語話者は前後の流れから主語を推測し、正しく理解できるこの能力は、AIが最も苦手とする部分であり、AI翻訳の誤訳は、しばしばこの曖昧さから生じる。

スタンフォード大学の研究者は次のように指摘する。━日本語は文脈から確率的に意味を導く構造が発達していて、最後まで言い切らなくても、聞き手が自然に補う。そしてその補い方は状況に応じて、最も合理的な形を取る。これが、日本語が持つ曖昧さの力だったのだ。また、日本語の曖昧さには、対立や衝突を避けるという機能もある。はっきり言いきらないことで、相手の立場を尊重し、場の空気を保つ文化が日本語の中に溶け込んでいる。

これは、数学の観点から言えば、複数の可能性を同時に残すというモデルに近いとされる。意味を一つに固定しないという柔軟な仕組みを持つことで、最適な判断を可能にしている言語が日本語なのである。はっきり言わないこと、余白を残すこと、そして文脈によって意味が変わること━。これらは弱点ではなく、むしろ「推測の力」を最大限に発揮するための仕組みであったのだ。海外の研究者たちは、日本語の曖昧さをそのように評価している。曖昧さは、混乱ではなく、最適化である、と。

 

■AI・科学技術と日本の霊性文化の融合━「魂の器」に情と花を盛る

静かに話し、察し、読み取り、補い、必要な時に最も自然な答えを導き出す。それは数学の世界でいう最適解を求めることに近い働きであり、日本語の曖昧さは、美しさであり、強さだった━数学が、その事実を証明し始めたのだ。日本語は、音、形、意味、省略、リズム、推測、それらが互いに支え合いながら、1つの大きな体系を作り上げている。そうした日本語を生み出した、古代日本人の意識とは、一体どのようなものだったのだろうか━。そこまで遡(さかのぼ)らなければ、日本語の真価を自覚し、味わい、生かすことにはならないだろう。

まず、世界の研究者たちが注目するのは、日本語の複雑さを超えたところにある統一された美であった。━日本語は、自然に基づく数学のように無駄がなく、整い、深みを持っている。日常で何気なく使っている言葉の裏に、美しい秩序と合理性が潜み、その美しさは、世界のどの言語にも置き換えられない日本語だけのものである。この特徴が生まれた根源は、日本人が、縄文の昔より自然に深く溶け込み、自然と一体となり、八百万の神を感じ、人間や動植物だけでなく、ものにも命と霊が宿ると感じた感性・霊性に深く根差していると思う。言葉にも、霊が宿り、魂がある━。だから、人を傷つけたり自分を貶めたりするような言葉は、使わないようにすることは当然であろう。自然そのものが、そのように教えてくれている。昔の人は、すべては循環する、━言葉のいのちを汚せば、その影響は自分にも還ってきて、自らを傷つけ貶めることになることを知っていたのだ。

現代の日本人にも、そのDNAは受け継がれている。深層心理学からすれば、無意識(普遍的無意識)の中に、縄文時代の日本人の意識もまた継承され、密かに息づいていることになる。それは、東日本大震災の折、危機の中で示された人々の思いやり、また整然と列を作って配給を待つ姿に現れている。私は、1万年以上にわたって平和を保ち、高度な文化を築いてきた縄文時代の日本人の意識にこそ、日本語を生み育てた究極の原因があると思っている。これより世界は、さらなる天変地変の試練とともに、大きな文明の転換期を迎えることが予測されている。その過程で、AI・科学技術と日本人の意識(霊性文化)が融合した新しい価値観が生まれ、競争から協調へ、支配から調和へ、単なる物質的豊かさから精神的・スピリチュアルな充足へと、世界が変わってゆく未来を予感せずにはいられない。

秘められた日本語の知性と美の真相が、数学の光をあてることによって、より明晰に見えてきつつあることを非常に嬉しく思う。この事実と、これまで日本人に多くの優れた数学者が生まれてきたこととの間には、深いつながりがあると思っている。思考力と創造力は、日本語を触媒として発揮されるからだ。日本の美しい自然、数学の美しさ、そして日本語の美━。量子力学によれば、宇宙のすべては振動するエネルギーであるという。自然、数学、日本語がもつ美しさには、同質の美のエネルギーの「振動」が湛えられているのだろう古代の日本人が知っていたように、人間を含む宇宙自然、すべての根源は、一つなのだから━。

様々な違いに、意味を見出し、互いに尊重し合い、同時に共通の根源へと遡(さかのぼ)ってゆくことが、新しい調和の実現には必要となる。数と言葉、科学と思想、西洋と東洋、AIと人間の「相補性」━互いに対極にあるもの同士が、同じ大本の根源に還ることで、つぶし合うのでも、一方だけが勝つのでもなく、あい補って互いの特性を生かし合う未来を拓く挑戦━。違いがあるからこそ生まれる大きな調和へ、一つとなって進化を遂げる世界に、新たな真理と美の誕生が待っていると思えてならない

イギリスのリチャード・ローエンスタイン教授は、日本語を、「魂の器」であると言った。私たちは、「魂の器」である日本語に、一体何を盛って、世界の人々に提供してゆくのだろうか━。ゲーテは言った。言葉という「銀の器」に、「金の林檎」を盛って、私は人々に詩を提供するのだ、と。ならば、私たちは、日本の様々な文化的霊性の道=チャンネルを通して、所作とたたずまいに、日本語という「魂の器」に、思いやりと和らぎの情、美と調和の花を盛って、世界の人々に供してゆきたいものである。

2025/12/25

Tags:日本文化のルーツ

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