愚老庵愚老庵

We recommend the following browsers to translate and display in your native language.

Recommended browser

  • ・Google Chrome
  • ・Microsoft Edge

*Select your country's language from "Show translation options"

×

  • 縁友往来
  • 嫋やかなる日本語の運命①━英語と出会った試練

嫋やかなる日本語の運命①━英語と出会った試練

Akira Ishibe

×

石部 顯 1955年、岡山県津山市生まれ。 子供の頃、自閉症で苦労するが、高松稲荷で祈ったところ、特別支援学級の知的レベルから、10年後に東大に入り心理学を研究することへ導かれた。1980年卒業。 人間の意識が秘める力、自分を超えた大きな力が存在すること、その二つが共鳴することで開かれる、皆が幸せになる道を探究し伝えている。 最新科学と古代の叡智、東洋と西洋の文化を統合し、日本の自然・文化・こころの真価を日本の若い人たち、アメリカ人に伝えてゆきたいと願っている。 その一環として著書『真理大全 真理篇 科学篇 思想篇』を、今秋に刊行予定。
嫋やかなる日本語の運命①━英語と出会った試練

 

「人生が、私たちに、これを守れと強要している規則は、人生を無条件に、つべこべ言わずに受けいれるという規則よりほかはないのである。厭わしいと思われるもの、苦しい、あるいは災いだと思われるものも、これに対して心をうち開いて立ち向かうならば、美と喜びと力を生み出す源泉となる可能性がある」(Life has no other discipline to impose than to accept life unquestioningly. What seems nasty, painful, evil, can become a source of beauty, joy, and strength, if faced open mind.)

 

表現手段として、極めて自由度の高い日本語は、世界のあらゆる言語を翻訳できる、という説がある(もちろん、翻訳しない方がよい言葉は、片仮名で取り入れることもある)。確かに、古代ギリシア語であれ、中世英語であれ、古代インドのサンスクリット語であれ、世界的に有名な本は、ほぼ、すべて日本語に訳されている。そうした日本語と、言語的に最も対極にあるとされるのが英語である。日本人が、英語をマスターするのが難しいように、英語を母語とする人が、日本語を習得する場合も困難を極める。日本語を学び始めたイギリス人が、街を歩いていて、張り紙に、「冷やし中華始めます」と書いてあるのを見て、「冷やし中華が、何を始めるのだ⁉」と驚いたという実話がある。━主語を明確にする英語に対し、日本語は、「省略(余白)」の言葉、日本語を英語に訳すと、1.5~2倍の言葉数が必要となる。

 

その難しさを、「日本語は悪魔の言葉だ」と言って嘆いたのは、キリスト教の宣教師だった。しかし、先日、思い出して、ぞっとしたことがある。子供の頃、国語が一番苦手だった私は、どれだけ日本語を学ぶことに苦労したのかを思い出して、愕然としたのだ。あの困難、労苦、困惑、屈辱、挫折……。(例えば、「私は明日学校に行きます。」━この文の正しいところに、読点をつけなさい、という問題。小学生の私は、考えれば考えるほど分からなくなった)。二度と思い出したくないトラウマの数々……そうだ、日本語は、日本人の子供━実は、大人にとっても━実に難しい言葉なのだ。

 

英語に対する、そこはかとない自信のなさは、深くは、日本語(言葉というもの)に対する、幼い頃の自信のなさ、不安、恐れ、胸中の思いをうまく表現できない苦しさ、もどかしさに根差しているように感じる(また、「母語」と言われるように、母親との心理的関係も影響しているように思われる)。ましてや、英語は未知の文明の言葉なのだから、なおさらだろう。

 

日本の英語教育に多大な貢献をした、英語の天才・斎藤秀三郎は、明治以来、いかに日本人が英語習得に苦労してきたのかを、日露戦争の「203高地」の激戦にたとえて語っている。━これまで英語を習得しようとして、多くの若者たちが、奮闘努力してきた。しかし、その企てに挫折し斃れた者は数知れず、悲惨極まるさまは、まさに死屍累々たる戦場そのものである……。願わくば、科学的方法と智慧により、難攻不落たる英語の砦を攻略し、同胞を勝利に導くために私は尽力したい。

 

西洋文明が押し寄せ、日本人が、英語との格闘を余儀なくされて以来、200年の時が流れた。幕末・明治に、日本人が英語に遭遇したことは、時代の宿命であり、避けることのできない運命であった。そしてそれは日本語にとっても、存続を懸けた生き残りの歴史であった(政治家・識者の中には、西洋に追従するために日本語を廃止し、本気で英語に変えようとする動きさえあった)。私たちの先祖が、英語に立ち向かい、味わった苦難、挫折、希望の挑戦は、令和の今もなお、終わることなく続いている。今回は、そうした日本における英語習得の現状をあるがままに知り、受け入れ、英語と出会ったことを逆にチャンスとして、日本語の運命を切り開く力とする道について考えてみたい。

 

「どんな民族の幼児であれ、まず自分の耳に入ってくる言葉を覚える。完全なる適応が行われて、初めて生存が可能になるからだ。子供が、自分の生まれた文化に適応してゆくように、その文化そのものもまた、必ずしもその文化に好意的であるとは限らない世界の中で、存続を続けているのである。そして、その文化がどのような成功を収めるにせよ、その大部分は、言語によって可能となる理解と協力に基づくものなのである」(『英文解釈教室』伊藤和夫著より)

 

 

■英語教育の危機的状況━英語嫌い増大中

 

この30年、日本は、英語教育の方向性を、会話重視に変え、小学校でも英語を始める改革を行ってきた。その結果が、すでに出ている━。高校生の英語力は右肩下がりに落ち続け、中学生には英語嫌いが増えているのだ。高校入学時の英語の学力は、コミュニケーション重視が本格化した1995年から、14年間ほぼ連続して降下し、下落幅は、偏差値に換算して、7.4にもなっている(2014年調べ)。その結果に対する真摯な反省もなく、文科省は2021年、中学英語のカリキュラムを、さらに大幅に改めた。その結果が、2024年に出た。結論から言えば、大失敗である。この3年で、中学生の英語力は、基礎となる読解・文法・単語において、以前に増して大幅に低下した。私も、中学の英語教科書を1年から3年まで取り寄せて読んでみたが、その理由が分かる気がした。一言でいって、難しくなり過ぎている━。

 

まず、2020年度から、英語が小学5・6年生で教科化され、子供たちにとって、文法・語彙ともに過剰な負担となった。その結果、できる子とできない子の二極化が起こり、当然、できる子は少なく、英語嫌いになって中学に入る子が増えた。さらに、小学校で覚える必要のないとされた単語が、中学の教科書では、読めて書けることが前提とされ(実質、それだけの単語数が増えることになり)、その結果、授業時間はこれまでと同じなのに、接する英単語数は一気に旧課程の約2倍となった。しかも、これまで高校で習っていた仮定法や現在完了進行形などまで中学に下ろされた。挙句の果てに、文科省は新学習指導要領で、高校に次いで中学でも、「授業は英語で行うことを基本とする」と定めている。これは、「外国語教育は、母語を重視する方がよい」とする近年の応用言語学の研究成果にも逆行する、極めて愚かで危険な方針である。

 

経済的観点から、「英語ができる日本人」を増やそうとして、短絡的に「英語化」に汲々としている経済界や文科省の動きに危機感を覚えている。目的とは真逆の結果が出ているにもかかわらず、失敗が明らかになっても、原因を究明し改めようとしない。それどころか、「グローバル化」の掛け声とともに、大学の講義まで、英語化しようとしているのだ。企業内で英語化した結果は、「失われた30年」を見ても分かるように、すでに様々な問題やデメリットが指摘されている(後述するが、英語化による、コミュニケーション力、創造力などの「能力低下」の実態がすでに明らかになっている)。にもかかわらず、文科省は、さらに「大学教育の英語化」を長期的に推進しようとしているのだ。あとで理由を述べるが、もしこれが実現されるなら、日本人の教育と研究、創造力のレベルは、これまでに比して格段に落ちるだろうと予測されている。

 

そもそも、文科省が大学の講義を英語で行う、と言い出した一番の根拠は、イギリスで作られた「世界大学ランキング」にある。このランキングは、イギリスが海外から留学生を集める目的で作られたもので、初めからイギリスに有利なように「評価の指標」が作られている。例えば、講義が英語でなされている、留学生が多い、などで、当然トップには、オックスフォード、ハーバードなど英米の大学が来る。英語で講義をしていない日本の大学などは下位となる。文科省は、このランキングを上げるために、講義の英語化を方針として打ち出し、経済的にも成績評価でも留学生を優遇し、とにかく数を増やすことを目指して、この方針に従う大学には補助金を出すので、補助金が欲しい大学は、これに従う━。

 

こうした打算や欲望も渦巻く中、現在、日本の英語教育の現場では、小中高の現場でも、ますます混迷が深まる状況にある。さらに大学でも、混乱する(英語ができる以前に、求められる人材が育たなくなる)ことになるであろう。以上を踏まえた上で、日本人、同時に日本語にとって、英語とどのように関わることが、本質的に願われるあり方なのか、考えてみることにしたい。

 

 

■英語が苦手な理由━「必要がない」から

 

「日本人が、英語が苦手」と言われる理由として、大きく二つ指摘されている。まず、「必要がない」こと━。日本は、大学・大学院まで、日本語で教育・研究が行われている、アジアでは数少ない国である。実は、それこそが、明治以来、日本が近代化に成功し、欧米に伍(ご)する国となっていった重要な理由の一つなのである。

 

明治初期から、日本語をやめて、英語を国語にしようとする流れがあった。その方が、西洋近代化を早く成し遂げられるからという理由である。まったく浅薄な発想なのだが、幸い、アメリカの有名な学者から、母国語を失って、その国の文化は成り立たず、アイデンティティを失うことになるから、絶対にやめたほうがよい、との良心的な勧告があったこともあり、実現しなかった。また、福沢諭吉など智慧のある日本人がまだ生きていて、なんとか英語化されずに済んできているのだ(戦後も、日本語廃止、国語を英語に、という同様な議論が現れる)。

 

さらに重要な点は、日本人は、西洋の専門書をどんどん日本語に翻訳し、一部のエリートだけでなく、庶民に至るまで、自然科学、社会科学の知識や技術を共有する方向に邁進したことである。ごく一部の特権階級だけが、知識・情報を独占し、大衆と断絶している限り、社会や国全体としての進化は起きえない。西洋も、中世から近世に移行する際に、同様なことがあった。中世ヨーロッパは、ラテン語が公用語で、一部の貴族や僧侶だけが、ラテン語で書かれた聖書や思想哲学、科学技術の知識を独占していた。しかし、宗教改革で、聖書が、当時は「土着」語であった英語(ティンデール訳)、ドイツ語(ルター訳)、フランス語(カルバン訳)に翻訳されたのをきっかけに、様々な思想・知識、科学技術が、一般庶民にも知れわたることとなり、それが近代化の原動力となっていったのである。

 

日本も、英語ではなく、「土着」の日本語で、欧米の思想・科学を理解し、使えるようになったからこそ、他のアジア諸国では不可能であった奇跡の近代化を成し遂げることができたのだ。他のアジアの諸国では、大学の講義は、英語である。英語ができなければ、社会で指導的な立場には就けない。日本は、そうではない。つまり、必死に英語を身に着ける必要がない、「必要と必然がない(あるいは弱い)」のである。

 

日本における「専門書(欧米の原書を日本語に翻訳した本)の発行部数」は、明治の初めからたった40年で、世界第3位となった。フランスとほぼ同数の専門書を発刊しているのだ。自由、社会、文化、平等、酸素、水素などなど、幕末から明治期にかけて、重要な西洋の思想、科学の用語が次々に日本語に翻訳されてきた。その本を読めば、一般庶民でさえ理解することが可能になるように、私たちの先祖は、一目で原語の意味が分かるように、訳語に智慧の限りを尽くした。そして日本語を豊かにして、近代化への基盤を用意して来てくれたのである(これら日本人が翻訳し作った近・現代における自然科学や社会科学、思想の重要な概念を表す漢字の用語は、中国に逆輸入され、今でも使われている)。今の日本において、自由、平等、社会、文化、共同体……そうした西洋思想の翻訳用語をまったく使わずに、不自由なく議論することは、まず不可能であろう。

 

もちろん、日本語に翻訳された専門書を読んで、使いこなせるだけの知的好奇心と、潜在力を、一般庶民が持っていたこと自体が、何より日本の近代化の源泉であったことには間違いない。それは、江戸時代、「和算」が庶民に深く浸透していた経緯を見ても分かる(関孝和は、行列式を、西洋で発見される数年前に見つけていた)。海外の人が、日本の文化を高く評価する理由の一つとして、次の点を挙げる。━ほとんどの国では、ごく一部のエリートだけが、高いレベルの知識・技術・教養を独占し、大多数の庶民との格差は大きい。しかし、日本は、「国民全体の底のレベルが高い」こと、どの国も、国民全体のレベルを上げることが極めて難しく、そこにこそ、日本の強みがあるという。その通りだと思う。好奇心・喜び・好きなことであれば、目的・願いさえあれば、原書でも何でも読みこなし吸収し味わい尽くすのが、日本人の「極める」スピリットなのである(漫画・アニメなど、オタク文化も、世界に誇るべき日本文化の「華」の一つであろう)。

 

 

■日本人にとって、「英語は難しい」言語である

 

よく、中学高校と6年間も英語を勉強しながら、満足にしゃべれないとは、……と嘆かれてきた。が、それは、ある意味、誤解である。アメリカの国務省によれば、外交官が、他国語を習得するために、平均的にどれほどの時間を要するかを発表しているが、その中で、最も習得が困難で、時間を要する言語が、日本語なのである。習得に必要な時間は、なんと、2,200時間━。アメリカ人にとって、日本語の習得が難しいように、日本人にとっても、英語は習得に困難を極める。中高6年間というが、週4、5時間ほどでは、せいぜい、1,100時間ゆけばよい方だ。つまり、決定的に、英語を習得するには、時間が足りていないのだ。

 

日本人にとって英語が難しい理由は、言語として、文法、発音、成り立ち、ことごとく日本語と最も対極にあるのが英語だからである。特に、「音声」の違いを距離化した図によれば、言語の音声として、もっとも遠くかけ離れ、隔たっているのが、日本語と英語なのである。つまり、日本人が、英語を発音するためには、普段ほとんど使っていない顔や口、舌の筋肉を新たに使い、鍛えなければならない。逆もまた真なりで、アメリカ人が日本語を話そうとすることもまた、「筋肉レベル」で大変なのである。英語に近い言語の他国の人々が、比較的容易に英語を習得できるのに比べ、日本人にとって、英語は非常に難しい言語であるという認識を持つ必要がある。「相手を知り我を知れば百戦危うからず」で、舐めてかからない方がよさそうだ。英語も知れば知るほど、ほんとうに奥が深く、日本人にとっては、難しい言葉なのである。

 

 

■英語を使うと愚かになる⁉━「英語化は愚民化」の真意

 

衝撃的な研究結果が発表された。母語ではなく、第二外国語を使った場合、人間は、知能指数(IQ)において、1割低下し、コミュニケーション能力において、3割落ちることが分かった。それも、バイリンガルの人たちを対象に研究されたため、第二外国語といっても、かなり高度に習得されている条件である。例えば、母語が日本語で、第二外国語が英語、だがバイリンガルだから、英語にはかなり堪能であると言える。それでも、日本語を使って知能テストを受けた結果と、英語で受けた結果では、1割も、英語の方が低かった。━母語の日本語では、IQ100の人は、第二外国語の英語では、IQ90になったのである。さらに、コミュニケーション能力では、日本語で100の力が発揮できる人は、バイリンガルでさえ、英語では70の能力しか発揮できないのである。これが普通の人だったら、能力の落差はさらに大きく広がるであろうことは容易に想像がつく。場合によっては、IQで3割の低下、コミュニケーション能力で5割の能力の「劣化(愚鈍化)」が予測されている。「英語化による日本人の愚民化」は、実際に起きる可能性のある近未来なのである。

 

大学の講義を英語化しようとする動きに対して、ある大学教師は、「まず教授が学生に伝える段階で、英語では、伝えたいことの50%くらいしか伝えられず、それを聞く学生は、その30%も理解できればよい方だろう。教育だけでなく、研究においても、恐ろしいほどの低いレベルに落ちる可能性が容易に想像できる」と言っている確かなことは、ノーベル賞受賞者を多く輩出してきた、日本語による高等教育と基礎研究の強みを自ら捨て、それに逆行するかような愚かな英語化政策を、文科省が率先して推進しようとしているのが今の日本であるということだ。

 

昨年、ノーベル賞を受賞した北川進氏は語る。━「日本のノーベル賞受賞者数は、2000年以降、自然科学分野では非欧米諸国の中でトップ(世界全体では、アメリカに次いで第二位)だが、これはひとえに、『母国語で高等教育まで終えられる』環境があることによる。高度な思考力は、母国語によって豊かに育まれるものだ。無論、資金(長期的な資金援助)も大事だが、下手な英語教育より、日本語教育の充実を図るべきだ

 

まったく同感である。日本語は、日本文化の基底を支え、日本人のアイデンティティの核をなし、豊かな想像力・創造力を養い、思考・情操を鍛え、開花する「至高」の言語なのだから━。

では、日本人と日本語にとって、英語との理想の関係は、どうあるべきなのだろうか? 次回、そのテーマについて探究してゆきたい。 (続く)

 

2026/1/26

Tags:メッセージ

Comment

コメント投稿には会員登録が必要です。