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嫋やかなる日本語の運命②━東洋と西洋を「和」する道

☆写真:南方熊楠『菌類彩色図譜』
南方は、14歳までに、『和漢三才図絵(105巻)』『本草綱目』『日本紀』などの中身をすべて書写した。17歳で、英語を高橋是清に学び、翌年入った大学予備門(東京帝国大学前身)の同期に、夏目漱石、正岡子規、山田美妙、秋山真之らがいた。27歳から33歳の間、“NATURE"誌に論文を22編発表(ロンドン滞在中)、帰国してからも10篇を投稿している。南方は、日本人として英語を高度に身につけ、東洋と西洋の叡智を融合しようとした先駆者のひとりである。科学・経済至上主義が席巻した当時、エコロジーの発想を初めて日本で広め(日本は本来、自然にエコロジー発想そのものなのだが)、熊野の森を守り通し、政府の方針に反対して入獄もしている活動家であった。前半生、世界を漂白して過ごし(地球は一つ、人間は皆兄弟という信念を抱く)、後半生は、故郷の人々と自然とともに生きることにより(自然と人々に自身が助けられ救われもして)、「郷土の人と自然を愛し、地方と国を守り、さらに人類・地球規模の思想に、自信をもって達することができた」とされる。日本語、漢文、英語、その他十数か国語を知りつつそれを超えて、いのちと直接、対話することができた、本物の学者であり、自然人である。
「英語の習得は、日本人が、日本語で、精密にものを考え、この言語を正しく運用するためにも必要不可欠と言ってよいのです。そして、それはとりもなおさず、……東西の文化・文明を融合する独自の文化を、皆さんが21世紀に向かって創出するための基礎的な潜在力に関連してくる訓練であると、私は信じております」━奥井潔『奥井の英文読解』
■日本語は、英語と出会った試練によって進化する━「英語を学ぶことは、すべての基本である日本語の力を深めること」
私が学んだ英語教師の一人に、奥井潔先生がいた(当時、駿台予備校講師、英文学者)。先の戦争で、特攻(桜花の搭乗員)の生き残りであった先生の講義は、英文学から人生論に及ぶ、若者たちへの愛情と期待に満ちた願いと祈りのメッセージであった。過日、先生の著書『英文読解のナビゲーター』(研究社)を、懐かしく開いて読んでいると、英語を学ぶ意味、日本語と英語の関係と未来について、非常に重要なことが書かれていたので、ぜひ、その趣旨を共有させていただきたいと思う(以下、要約)。また先月、復刊されたばかりの『奥井の英文読解』からも併せて引用したい。
たとえば、文化と教養という日本語を、正しく、適切に使用するためには、共通の語源である、cultureという言葉の意味を知っていなければならない。文化も教養も、cultureの訳語に他ならないからだ。理性は、reasonの、常識は、common senseの訳語。━「およそ日本語で理性的にものを考えたり、論理的合理的に思考を推し進めてゆく場合に使わなければならない抽象的な用語の多くは、明治以降に新しく日本語の語彙に加えられた翻訳語なのです」「明治維新以降、私たち日本人は、(西欧語を習得しなければ)自国語である日本語を、厳密に、正しく運用することもままならないという特殊な言語状況、歴史的条件の中で今もなお生きているのであります」
先生は、このようなことは、過去にも行ってきたことであると言われる。それは、中国文明を受容し、漢字から平仮名、片仮名を作り出し、「いろは四十八文字」(日本語のアルファベット)を創出、これに漢字を随時挿入して独自な日本語、文語を創るとともに、独自な日本文化を生み出してきた歴史的事実である。
そして、江戸三百年の成熟期を経て、明治維新を迎えることになった日本語に、新たに立ちはだかることになったのが、英語(その他の西欧語)である。
「私たちは、かつて、一字一音の仮名文字の中に様々な漢語を、必要に応じて自在にはめ込んで日本語の語彙を拡大しつつ駆使してきたように、今度はヨーロッパ語を、それが英語であれ、フランス語・ドイツ語・スペイン語であれ、必要に応じてそれと同義に近い漢語に、すでに使い慣れてわが国字としている漢語に翻訳して夥(おびただ)しい新語を造成しました。cultureを、文化・教養という国字に翻訳したのは、その一例です。また外国語を、その発音に近い片仮名文字に移して、そのまま、平仮名で綴る文章の中にはめ込んでもいます。『あの人にはデリケートなユーモアがある』というように。こうして明治以降、私たちの父祖たちは、西から押し寄せるヨーロッパ文明、東から打ち寄せるアメリカ文明を、その言語とともに積極的に、しかも柔軟に、幾多の試行錯誤を繰り返しながら受容し、欧米の言語によって、日本語の語彙を増殖させながら、特に産業革命以降、全世界を支配し続けている欧米の文化・文明を吸収・同化し、わが血肉と化することによって、曲がりなりにも日本独自の文化と文明を生み出し続けてきたのであります。私たちは今もその歩みを続けており、今後も続けてゆくでありましょう」
奥井先生は続ける━。
「西洋文明の精髄をなす理性的論理的な思考と表現を、日本人が、日本語で行えるように、青少年を訓練すること」が、英語学習の大切な目的の一つであり、今もこの事情に変わりはないと信じている━。「英語を教材として、日本人として、ものをより正確に、論理的に深く考え抜く力、またより深くものに感ずる感受性を身に着けるように、青少年を訓練し、自分自身も訓練する」ことを先生は願われた。
「英語を学ぶことは、すべての基本である日本語の力を深めることに他ならぬ」。そして、容易にわかることなど面白くはない、難問を解くことが、実は最高の知的快楽であることを、ほのかに知り始めることになればよい(そうすれば、大学に入学できるくらいの語学力は、その結果、自ずから身についてくるものである)と、ご自身の願いを記されている。「自分で考える力を育てる」ことを、英語教育の核心とされた奥井先生の願いは、今も色あせず、混迷する英語教育の未来を、微かに照らしていると思う。
「外国語の習得は、日本の古典、さらには中国の古典を知る訓練と並列するべきものであり、……両者は車の両輪のごとく進められなければなりますまい。英語の一教師としての私の仕事は、皆さんが、日本人として、ものを正確に深く考える力、ものに鋭敏に深く感ずる力を強化する手助けとして、英語を精密に読解して、これを日本語で表現し、また日本語を、これに相応する英語に表現する訓練を行うこと、つまり外国語を媒体として、日本の青少年の論理的な思考力と鋭敏な感受性を高めること、以上に尽きているのです。外国語を一つ、ある程度履修しておかなければ、日本語の運用もままならぬ事態になりかねない、そういう言語状況は今後も変わりなく続くということを、もう一度申し上げておかねばなりません」
では、奥井先生が説かれる、日本語と英語の理想的な関係、日本人にとって英語を学ぶ意味とは、具体的にどのようなことなのだろうか。━「徹底して『知力(ものを深く考える力)』と『感受性(物事を深く感じる力)』を鍛えるために、英語を学ぶのだ」、そして英語の「難解さに挑む喜びを味わってほしい」と言われた奥井先生━その講義を録音した音声が、奇跡的に残っており、過日、Youtubeで公表され、誰でも聞けるようになっていたことが分かった。ここでは、1970年代半ば、先生の講義の初日に、私も学んだ英文と、先生の訳を取り上げる(先生は、70年代から90年代にかけて教えられていたので、本録音は中後期に行われたと思われる)。それを通して、英語を学ぶ意味、英語と日本語の関係について、考えることにしたい。日本語訳だけも、読んでいただければ幸いである。
■英語で日本語の新たな可能性を開く━知性と感受性を鍛える英語
原文:Life moves on, whether we act as cowards or as heroes. Life has no other discipline to impose, if we would but realize it, than to accept life unquestioningly. Everything we shut our eyes to, everything we run away from, everything we deny, or despise, serves to defeat us in the end. What seems nasty, painful, evil, can become a source of beauty, joy, and strength, if faced open mind. Every moment is a golden one for him who has the vision to recognize it as such.
日本語訳:私たちが、卑怯者として生きようが、英雄として生きようと、人生は変わることなく滔々と流れ続ける。人生が私たちに、これを守れと強要している規則は、そしてこの規則はそれを理解したいと願う人にのみ分かる規則なのであるが、人生を無条件に、つべこべ言わずに受けいれるという規則よりほかはないのである。私たちが、目を閉じて見ようとしないものすべて、私たちが逃亡して対決を避けるものすべて、私たちが拒否する、あるいは軽蔑するものすべてが、究極において、私たちを敗北者にする手助けをしているのである。厭わしいと思われるもの、苦しい、あるいは災いだと思われるものも、これに対して心をうち開いて立ち向かうならば、美と喜びと力を生み出す源泉となる可能性があるのである。過ぎゆく一瞬一瞬が、これを黄金の時と認識する視力の持ち主にとっては、まさしく黄金となるのである。
奥井先生は、この英文読解に必要な重要構文と文法を解説し、一文ずつ和訳し、最後に全文を訳してから、「この世に存在するものは、すべて美しい」と言ったゲーテ、「どんな経験も、どんなものも、この世に存在するものはすべて、その内に聖なるものがある」と言った英国の詩人ブレイクの言葉を紹介された。そして、自分の戦争体験もまた、そうであったと言われ、「あるがままの現実を受け入れて生きてゆくこと。現実を否定するよりも、受け入れて生きる方が、はるかに困難な道である。しかし、はるかに美しく、広い道である」とまとめて開講の言葉とし、受験生を励まされた。
「皆さんが英語を必修科目として履修を義務づけられているのは、かつて江戸時代の子供たちが、寺子屋で、論語の素読から始まる漢文・漢詩の素養をある程度まで身に付けなければならなかった理由と同じなのです。これを学習することが、日本人が日本語で、ものを深くかつ精密に考え、考えたことを的確に表現することに役立つからです。日本人が日本語で、特に抽象的な思考や推論を、論理的に正確に推し進めるためには、ヨーロッパ語を少なくとも一つ学ぶことは、何よりもよき訓練となり、私たちが既に日常に使用しないわけにはいかない用語の中で、外国語に起源をもつ翻訳語、たとえば教養とか観念とか理性とか、その他無数の日本語の意味内容を正しく理解することにも役立つからです。英語を学ぶことが、私たちの日本語の正しい運用に役立ち、これなくしては、日本語自体の運用さえままならない場合が生ずるという特殊な歴史条件・言語状況の中で、私たちは今も生きているからなのです」━『奥井の英文読解』
■日本語と英語の驚くべき「共通性」━似た歴史を持つ言語の運命的出会い
日本語と英語は、まったく似たところがなく、対極に位置する、完全に異なる言語であることは、先回、見た通りである。しかし、「歴史言語学」という分野の「歴史類型」という視点から見ると、日本語と英語は、次のような点で、かなり似ているという。
1.6世紀、大陸の宗教(日本語は仏教、英語はキリスト教)が入ってきて影響を受け、言語文化を育んできた。2.そのタイミングで、両言語に文字(日本語には漢字、英語にはローマ字)がもたらされ、漢字、ローマ字を、自言語に適応させるために数世紀をかけ、最終的には独自の仮名や英語スペリングを開発、発達させて受容・統合することに成功した。3.多言語からの影響を受け、語彙を外部から激しく借用してきた。4.その結果、日本語では「和語・漢語・西洋語」、英語では「英語・フランス語・ラテン語(ギリシア語を含む)」という語彙の三層構造が発達した。5.しかし、両言語とも、根本的なところでは、本来的な要素を完全に失っていない。
イギリスは、大陸の近くにある島国、日本もまた大陸の近くにある島国である。その地理的・風土的条件、地政学的条件などによってもたらされる、両言語が経験してきた歴史的事実に共通点があることは非常に面白いと思う。一つの大きな違いは、イギリスは一時期、他民族に支配され(ノルマン・コンクエスト)、ノルマン・フランス語が公用語になったことがあることだ(日本でも、ある時期、漢文が公文書に使われた時期があった点では少し似ているが)。しかし、その時代でも、英語は庶民の言葉としてしぶとく生き残り、逆に、フランス語から多くの語彙を取り入れ進化を遂げていくのである(その後、ルネサンス期には、多数のラテン語、ギリシア語を取り込むことになる)。
そうした西洋文明を凝縮したような英語と、東洋文明の粋(すい)を結晶したような日本語が、明治時代、本格的に真正面から出会うのである。私は、この出会いに、「西洋と東洋の調和と融合」という、人類の進化にとって運命的な意味と必然を感じずにはいられない。日本という、東西両文化の共存を可能にする、極めて逞しい受容力と豊かな創造力をもった国で出会った二つの言語━、両言語の未来に、東洋と西洋が調和する新しい文明が誕生する礎となる役割、ミッションが託されているように思うからだ。言語として、最もかけ離れた両極にあり、同時に似たような歴史と構造をもつ両言語だからこそ、それぞれの素晴らしさ、特徴を学び吸収し合い、高め合って、より豊かに進化発展する可能性が開かれる未来が待ち受けているのではないだろうか。
私たちの祖先は、西洋文明の特徴である、相対・分離してできる限り理知的・論理的に表現して伝えようとする「科学」に適した英語を、日本語に移し替えようとして苦闘してきた。しかし、それは同時に、奥井先生が言われるように、徹底して「知力」と「感受性」を鍛えるために英語を学び、英語を学ぶことで、すべての基本である日本語の力を深めることにもなったのだ。例として、大岡昇平のような作家たちが書く正確で緻密な散文や、小林秀雄のような文人たちが書く深く優れた文章には、それぞれ青春期に行った外国語(フランス語、ドイツ語、英語等)の習得が少なからず関与していると言える。文豪・夏目漱石も英文学者であり、森鴎外は、ドイツ人女性と恋するほどにドイツ語が堪能であった。二人は、加えて漢学(漢文)の素養も豊かだった。
私たちは、千年以上の時を超えて様々な外国語を取り入れ、昇華、統合し、より豊かに進化させるという運命を背負った日本語を、母語とする日本人の末裔であり、現在は日本語を基に英語を生かし、世界の調和に貢献するポジションに置かれている。そして、日本語の中に英語を取り込む挑戦は、今もなお現在進行形で進んでいる(現在進行形という言葉自体、先人により英語から翻訳されていたからこそ、今ここで使うことができる日本語なのだ)。
日本人が、生きている限り、日本語は生き延びる。日本語が生きている限り、日本人は滅びない。日本語の潜在力に目覚め、日本語を充実させ、その豊かさを心から謳歌し、青少年に伝えてゆきたいと思う。そして、日本語の対極にある英語から、理性と論理を極める知性の使い方、表現方法を学ぶことにしよう。日本語には、日本人なりの理性と知性を極める「型」━感性・感覚・情緒に深く根差した、極めて緻密で高度な「論理性」がある。しかし、日本流の「型」もまた、思考・理性・知性に根差した「論理性」をもつ英語という「他流」から学ぶことで、日本語と異なる視点・発想を吸収して、より深化・成長してゆくことができるに違いない。そのようにして日本語を豊かに進化させ、その可能性を開花させてゆくことが、人としても、社会においても、新しい調和の未来を開く礎になると信じている。日本語が背負った運命を愛することは、とりもなおさず日本人と日本文化を愛し、守り育て、世界の調和に貢献する歩みに他ならないと思う。
この世に生まれ、日本語に出会って70年、英語に出会って58年━。自分の想いを言葉にして表し、人や世界に伝えることができる言葉、自分と人のこころの声を聞き、受けとめ、味わい、言葉という「器」に想いを載せて差し出し、深く交流できるいのちの言葉━。そして、人のいのちの大地にそっと降り立ち、やがて根を張り、生きる力を与え、人生を支える力となる言葉に感謝し、その恩恵に、報いてゆきたいと思う。
◎ご紹介した奥井潔先生の講義を、以下のアドレスより、聴くことができます。ある時代における英語教育の一つの頂点だと思いますので、英語と教育に関心のある方にお薦めします。
https://www.youtube.com/watch?v=R_VM8clqE7o&t=11s 講義前半
https://www.youtube.com/watch?v=8qJqRtz0c6E 講義後半
◎先月末、計らずも、奥井先生の著書の復刻版が、研究社より出版されました。これも何かのご縁かと思い、紹介させていただきます。
『奥井の英文読解: 3つの物語―分析と鑑賞 [新装復刊版]』 奥井潔 著
<書籍紹介>:本書は、復刊ドットコムでリクエスト上位にある参考書ですが、この度、ついに研究社より復刊の運びとなりました。著者の奥井潔先生は、当時、駿台予備学校で絶大な人気を誇った講師で、多くの生徒を合格に導き、「受験の神様」と呼ばれていましたが、著作は少なく、本書は、その中でも復刊の要望が多かった一冊です。取り上げた3作品の英文読解は、著者が得意とする文学的な読解の真骨頂で、まるで授業を受けているかのように丁寧に展開し、英文を読む楽しさを教えてくれます。
<著者紹介>
奥井 潔(おくい きよし)
1924年台湾生まれ。1952年東京大学文学部英文科を卒業後、1954年から半世紀近くにわたって駿台予備学校で講師として活躍した。文学的な英文の読解を得意としており、受験テクニックだけでなく、人生論・道徳論にまで及ぶ人間味あふれる講義が人気の秘密だった。東洋大学にて長年にわたって教鞭をふるい、東京大学、法政大学、埼玉大学、東京女子大学、慶應義塾大学などの講師も歴任した。東洋大学名誉教授。著書に『イギリス文学のわが師わが友』(南雲堂), 『英文読解のナビゲーター』(研究社)などがある。
2026/2/25



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