縁友往来Message from Soulmates
- 縁友往来
- 無縁の大悲
無縁の大悲

これまで仏教的視点から人間の「死」や「誕生」、「瞑想と悟り」について振り返ってみた。今回は、大乗仏教の中核概念である「無縁の大悲」について振り返ってみたい。
「無縁の大悲」とは、縁(えん)の無いものにも働きかける大いなる慈悲のことである。英語では ”Great Compassion Without Conditions(無条件の大いなる慈悲)”と訳されている。”Unconditional Love(無条件の愛、無償の愛)” と意訳される場合もある。
ご縁のある他者に慈悲の心を抱くことは自然なことである。これが大乗仏教になると、慈悲心がこれまで縁のなかった他者にまで及ぶことになる。古今東西を問わず、「無償の愛」は人間意識の最高位の状態と理解されてきた。
竹村牧男教授は、大乗仏教の特徴を「世界の実相を分析することによって、常住の我も無く、実体的なものもないことが明らかになります。そのことをよく理解して、我執も法執も断じていって、最終的に涅槃と菩提を実現しようとするのです。・・・・修行とは、我執=煩悩障と、法執=所知障を対治し、離れていく道といえます」と、概説されている(竹村牧男『はじめての大乗仏教』)。
この修行を完成した時に現れる修行者の意識状態が「無縁の大悲」である、と言っていいであろう。秋月龍眠老師は、大乗仏教思想の要諦を「はじめに大悲ありき」と要約された(秋月龍眠『はじめに大悲ありき』)。
大乗仏教の誕生に深く関わっている経典に『金剛般若経』がある。紀元150年ごろに成立したと推定されている。中国禅の第六祖の慧能は、街中で読まれていたこの経典の一節を聞いて悟りを得、出家したことで有名である。
すなわち、「如来は、もろもろの心を説きて、皆非心となせばなり。これを名づけて心となす。ゆえはいかに。須菩提よ、過去心も不可得、現在心も不可得、未来心も不可得なればなり」の一節である。(中村元・紀野一義訳注『般若心経、金剛般若経』)
西洋に禅を伝えた鈴木大拙は、『金剛般若経』から「即非の論理」を抽出し、般若の空哲学の形式論理とした。この経典には、例えば「世界非世界、是名世界(世界は世界に非ず、是を世界と名づけたり)」のような表現がたびたび出てくる。大拙はこれを「A非A、是名A」と整理し、対象論理を超えた空哲学の形式論理とした。
このように『金剛般若経』は、大乗仏教が理論化される過程で重要な役割を果たした経典である。しかし、この経典の一番のエッセンスは、菩薩の請願が具体的に記述され、大乗仏教の「菩薩」という概念が提示された点にあると思う。
「善男子善女人、阿耨多羅三藐三菩提の心を発さんに、まさにかくの如く住し、かくの如くその心を降伏すべし。・・・・もろもろの菩薩・摩訶薩は、まさにかくの如く其の心を降伏すべし。・・・・われ、皆、無余涅槃に入れて、これを滅度せしむ。かくの如く無量無数無辺の衆生を滅度せしめたれども、実には衆生の滅度を得る者無しと。」
Osho(和尚)は、瞑想を通じて我執と法執が対治されていくと、完全に悟って仏陀になる前に菩薩の境地が出現すると語っている。この段階で一番の問題が、彼岸への誘惑があまりに大きくなり、此岸に止まることが次第に困難になることである。この時に此岸に止まるアンカー(錨)になるのが、「総ての衆生を彼岸に至らしめる」という菩薩の請願であり、『金剛般若経』の主題は、この秘密の公開にあったことを明らかにしている(B.S.Rajineesh, “The Diamond Sutra”)。次のような言葉を残している。
「全ての貴方の惨めさは、貴方はそんなにも広大であるためだ。それなのに貴方は狭い身体、狭いマインド、狭いハートに閉じ込められている。貴方の愛は拡大したい。しかし貴方のハートはあまりにも狭い。貴方の明晰さは雲一つない空のように明晰になりたい。しかし貴方の頭はあまりにも小さく、そして混乱している。貴方の実存は翼を得て、まるで鷲が太陽を横切るように飛んで行きたい。しかしそれは籠に閉じ込められている―その周りには三つの壁がある。この牢獄から抜け出すことはほとんど不可能だ。・・・・
貴方は惨めな生き物ではない。貴方はその内に神を宿している。そして貴方はこの神を発見しなければならない。これが、私が信じる唯一の奇跡だ。唯一の秘術だ。他のことは本質的なことではない。」
我々凡夫には、縁の有る他者に対しても十分な慈悲を与えることが難しい。それが縁の無い他者に対しても慈悲を実践することなど不可能のように思われる。しかし、「無縁の大悲」は意外に身近なことなのかも知れない。
例えば、宮沢賢治に「雨ニモマケズ」という詩がある。この詩の「東に病気の子供あれば、行って看病してやり、西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負う」デクノボーは、「無縁の大悲」に生きている。短期間であれだけ多くの文学作品を創作した宮沢賢治自身も、「無縁の大悲」に生きていたのであろう。
先日の日本瞑想セッションのテーマは “A Treasure Within(内なる至宝)”であった。アッチャラヤ(阿闍梨)のアヌパム(Anupam)先生は、我々の内なる至宝がそのまま無条件の慈悲であると語られていた(https://www.youtube.com/watch?v=pZfrwh4hVXw)。総ての人が宿している仏性は、「無縁の大悲」である。
2026/4/24



Comment
コメント投稿には会員登録が必要です。