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法隆寺は、地中深くに根を張った木の「文化」

■「彼らは木が生きて来た時間を考えない」
「Horyuji Temple is the oldest wooden building in the world」。
1981年、日本の旅行ガイドブックにあったこの言葉に、不思議な魅力を感じた。シアトル育ちの若者として、私は白人中心のアメリカの深みのない文化には、もううんざりしていた。運よくその頃、日本の若い教授ご夫婦と巡り合った。ご夫婦の「Please visit us in Japan!」の言葉をうのみに、ガイドブックを買って日本を訪れる計画を立てた。
1982年、柿が青空に映えていた晩秋に、日本への旅は実現した。法隆寺を実際に訪れると、想像していた朽ち果てた廃墟ではなく、静かに佇む威厳に満ちた寺院だった。法隆寺の五重塔のシルエットは美しかった。「The oldest wooden building in the world」との出会いで私を感動させたのは、法隆寺の古さよりも、その建築の力強さだった。
その法隆寺の記憶がまだ鮮明な1984年に、日本を生活の拠点とした。そして、約5年後のある日、『木に学べ』とういう本を八重洲の本屋で見つけた。法隆寺の復元を果たした最後の宮大工棟梁西岡常一が語り下ろした本だ。
辞書をめくりながら本の第一章を読み始めた。「木というのはまっすぐ立っているようで、それぞれクセがありますのや」と、その冒頭に西岡はいう。そして棟梁という仕事は、その「木のクセを見抜いて、それを適材適所に使うこと」であると。加えて、「木」と言えば、それはあくまでもヒノキという非常に樹齢が長い木を意味することにも触れる。「わたしら一宮大工にとりますと、木ゆうたらヒノキですがな。ヒノキという木があったから、法隆寺は千三百年たった今も残っているんです」。
そして、西岡は何よりも「木のクセ」について、それを見抜くこと、木組みに生かすことの必要性を何度もマントラのように繰り返していた。木のクセは、木が生きて来た自然の森に、曲がりながら光を探して、風や雪に耐えることで決まってしまう。で、宮大工は「そのクセを見抜かなくてはいかんわな。」
時間が経って、1990年代になった。日々の田んぼの散歩の時、畔で体操をしていた中年男性と出会った。挨拶を交わして、しばらく「周辺の林に立派な木があるね」というような話になった。が、「木というのは、本当に素晴らしい」と私が言ったら、男は急に眉をひそめた。
「私が住んでいるそこに見える公営住宅では、駐車場を拡大するためにビルの周りの桜の木を全部切る計画になった。その木の毎年の花は、元々私がその公営住宅を選んだ理由です。関係者にそう話したが、私の言うことを聞いてくれない」。男の声は怒りに満ちて来た。「そんな奴はお金や便利さしか見ていない。彼らは、木が生きて来た時間を考えない」。
「彼らは、木が生きて来た時間を考えない」。心に残る名言のような言葉だった。それまでに一度も聞いたことのないような発想だったので、深く感銘を受け、同時に、西岡の言う「木のクセを見抜く」の重要性がぼんやりと浮かんできた。
そのさらに数年後の1998年頃。GROWの石川さんが本間幸夫という漆器職人の作品の世界を紹介する映像を作ることになった。本間さんのアトリエは外国からの注文も入るので、本間さんが語る言葉をサブタイトル用に翻訳して下さいと、石川さんに頼まれた。
数日の作品撮影の合間に、本間さんがナレーション録音のために漆器作りや職人の自然への敬意の心について話してくれた。「ただ塗料を扱っているというよりは、生きた塗料を扱っているという気持ちで漆に接している」。「木という生きたものを扱っていれば、常に自然に対する畏敬の念を持って物を作っていないと道から外れる。」と。
そしてある日、木を扱うことについて、なんと、その田んぼ畔で体操していた男と同じ言葉が本間さんの口から出た。「お椀にしても、お皿にしても、木で作られているものは、ずっと何十年、もしかすると何百年森で育った木を切り倒して作るわけですね。その時に、その長い時間を生きて来た木を使って器を作る場合に、その木に対して礼をつくして木が生きた以上に長く器になって生きてもらう。こうして、木が生きて来た時間を考えないと自然に対して失礼ですね。」
■法隆寺は西欧のいう「ARCHITECTURE」ではない
そして、20数年後の自分、徐々に日本語を読む能力が上達した現在。
西岡の本『木に学べ』を開くたびに、その「木が生きて来た時間を考える」発想は、彼のすべての言葉の基本にあると気が付いた。ヒノキは、確かに樹齢が長く、耐久性にすぐれる木材ですが、「しかし、ヒノキならみな千年持つというわけやない。木を殺さず、木の性質を生かして、それを組み合わせて初めて長生きするんです」。結局のところ、この法隆寺が1300年以上存在している理由は、飛鳥時代の大工が「木のクセ」を見抜き、建物の木組みにうまく活かせたからだ。
話が戻るが、私が『木に学べ』と出会う前に、法隆寺のことをもっと知りたくて美術歴史本を立ち読むようになった。しかし、こんなにしっかりもっている法隆寺がどのように建てられたかについては情報が無さそうだった。どの本を見ても、法隆寺の建築としての価値は、その古さにある、としか述べられていなかった。つまり、1300年以上前に作られたお寺が今もそのまま残っているお陰で、飛鳥時代の寺院建築スタイルがその姿にはっきり見えるから重要な遺産だ。
しかし、この点についても、学者たちによって注目すべきとされたのは、伽藍のその当時として新しい、金堂と五重塔を中心とする「レイアウト」と五重塔の下から段々小さくなる「形」に過ぎなかった。
言い換えれば、世界の建築史家どころか、日本の建築史家でさえ、法隆寺の真の価値、つまり1300年前の飛鳥の大工の木組み技法の素晴らしさにあまり関心がなかったようである。恐らくその関心のなさは、WESTERN ARCHITECTUREを基盤とする学者は単にその大工の木の命を尊ぶ心が理解できなかったからだろう。元々西洋歴史家の目には、建築のスタイルや構造工学の「進化」がもっとも重要だ。
この学者の「進化」に対しての強いバイアスもあって、飛鳥の大工の「木を殺さず、木の性質を生かす」技法を考えると、法隆寺は西洋の言う「ARCHITECTURE」ではないと最近思い始めた。そして先日、本間さんの本『幻の塗料「金漆」』を拾い読みすると、以下の一節が私の疑念を裏付けた。
『「文明」は日進月歩。ライト兄弟が完成させた飛行機からわずか120数年、超音速飛行機が造られました。「文化」はひとっ飛びの進歩というものがありません。文化がぐるぐる回るように「深化」して行くものです。文明のように一方向の「進化」はありません。』
「文化がぐるぐる回るように「深化」して行くものです」。これは、私にとって目から鱗だった。文明の直線的な発展に対して、文化は季節が巡るように回って深化するということは、これで初めて気が付いた。まさに日本の文化は、何千年の昔から代々の職人の自然への祈りを中心に「ぐるぐる回るように深化」してきた。職人がその代々の働きの中に求めたのは「進化」ではなく自分の「素材の命を生かす」ことだった。飛鳥の大工のように。
法隆寺は本質的に本間さんの漆の椀や花瓶と同様に、文明ではなく、大地に深く根ついた「文化」そのものである。
2026/7/24



Comment
「木のクセを見抜いて、それを適材適所に使う」という技法が無ければ、湿気の多い日本で木造建築が1300年も維持されることはなかったでしょう。法隆寺は、上宮王家(聖徳太子)一族の学問寺として建立されました。太子の座右の銘は「世間虚仮、唯仏是真(せけんこけ、ゆぶつぜしん)」だったと伝えられています。太子は、虚仮の世間の只中に生きて、仏国土の建設にまい進されました。この時に一番重視されたことが、衆生のクセを見抜いて、適材適所に使うことだったでしょう。混迷を深める今の世界情勢の中で、一番大切な精神だと思います。
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