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愚老庵ノートSo Ishikawa

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「ものづくり」のレガシー

「ものづくり」のレガシー

20年間ずっと乗り続けた車を、ついに乗り換えることになりました。この車は、初代のレガシーアウトバック。スバルがまだトヨタの傘下に入る前、120点主義で車づくりをしていた時代のフラッグシップモデルです。

ポルシェと同じ水平対向エンジンをコンパクトな車体に収め、スタッフが4人乗って撮影機材を荷室いっぱいに積んでも、余裕で高速道路を走り、NATUREのロケでは、独自の四輪駆動システムで、山道や砂浜、雪道を楽々と踏破してくれました。

私は、良いものを大切に長く使うのが好きです。パーツを交換し、メンテナンスを繰り返しながら、もう一台買えるくらいの費用をかけて、この車を20年乗り継いできました。

走行キロ数は19万8000キロ、エンジンと足回りは、まだまだ元気です。このまま乗り続けていたかったのですが、問題がふたつ出てきました。

ひとつは、ガソリン代の高騰です。排気量3000ccで燃費はリッター7キロ、しかもそれがハイオクとなれば考えざるを得ません。もう一つは車と共に老朽化してしまった私自身の問題です。

最近、若い頃のように車を取り回せなくなってしまいました。周囲からもアイサイト(先進安全自動車技術)を搭載した車に乗り換えるようプレッシャーがかかってきます。

しかし、古き良き「ものづくり」の時代に生まれ、バブル崩壊後の日本を走り抜き、時代とともに朽ちてゆくこの車に、この時代を生きた自分の姿を重ねてしまうせいか、なかなかキッパリと決断ができません。

「ひとつの時代が終わった」ことを頭では理解していても、心はなかなか受け入れようとしないようです。

2000年から2005年にわたって放送された「プロジェクトX」というテレビ番組を覚えていらっしゃいますか?

このシリーズには、戦後日本の高度経済成長を支えた「革新的な技術開発」を取り上げた番組が数多くありました。名もなき人々の知られざる挑戦、そこからは「ものづくり」への熱い情熱が伝わってきました。

「窓際族が世界規格を作ったVHS」というタイトルでこの番組にも取り上げられた、日本ビクターという会社をご存知でしょうか?

VHSかベータか? 1970年代の終わりに、世界初の家庭用ビデオデッキをめぐるソニーとの規格争いが世間を騒がせたことを記憶されている方も多いと思います。

この頃、日本ビクターは、松下電器の開発部門と言われ、松下の大番頭と言われた松野幸吉という方が社長をされていました。

「命をかけて作ったものは、いつまでたっても生きている」これが、松野社長の座右の銘でした。

当時、私はこの日本ビクターから分離したレコード部門で、ビデオソフトの開発を担当しており、少し離れたところからですが、世界を席巻したハードメーカーの「ものづくり」の熱気を、感じていました。

1990年代に入り、日本メーカーが指向していた品質第一の「ものづくり」は大きく変容しました。バブル崩壊後の円高不況の中で、コストダウンと生産効率が重視され、過剰品質は「悪」とされるようになったのです。

この時代、私は独立してビデオ制作会社を運営していましたが、クライアントだった大手の住宅設備会社が、製品を買い替えてもらうために、「7年間で壊れる製品を作る」という方針を打ち出した時、大きな衝撃を受けたことを覚えています。

そして、ユーザーの利益ではなく株主の利益を最優先する「株主資本主義」の台頭によって、利潤を追求するための「ものづくり」が、日本の大手メーカーのグローバルスタンダードになってゆきました。

2011年、音響映像機器の技術開発で世界をリードしてきた日本ビクターは、吸収合併によって、84年の歴史に幕を下ろしました。このニュースを聞いた時、私は「ひとつの時代が終わった」ことを感じました。

グローバリゼーションの時代に入り、企業は巨大化し、量を拡大することによって安価な製品を供給するというトレンドが、世界中に拡がってゆきます。

消費者にとって、安くて良いものが手に入るのは嬉しいことです。しかし、身の回りにあふれる安価な製品の洪水は、同時に「もの」を大切にしない「使い捨ての文化」を生み出してしまいました。

かつて日本には、ものを大切にする「もったいない」という文化がありました。そこには、「命をいただく」という想いと、作り手への「感謝の念」がありました。

私は、子供の頃に、茶碗に残ったご飯粒を「お百姓さんが一生懸命作ってくれたお米なんだから、最後の一粒までちゃんと食べなさい」と教えられて育ったために、今でも手をつけたものを残すことが出来ません。

今、大量生産される製品の「ものづくり」では、生産者と消費者との距離が、あまりにも遠く離れ過ぎてしまったのではないでしょうか。

相手の顔が見えない中で、生産する側は「相手に喜んでもらう気持ち」や「責任感」を見失い、消費する側は「感謝する気持ち」や「ものを大切にする想い」を見失ってしまっているように思います。

私は、「作られたもの」には、作り手の「想い」が宿ると思っています。物質の次元では形あるものは滅びますが、そこに込められた「命」は、物質を超えた見えない次元で「いつまでたっても生きている」と信じています。

投資家によって支配され、利潤を求めて巨大化する大企業が席巻する世界では、命を吹き込むような「ものづくり」ができる環境は失われてしまったかもしれません。しかし、魂を込めたものづくりが可能なフィールドは、まだ残されていると思います。

その突破口となるのは、金儲けを目的にせず、量による力の拡大を求めない「ものづくり」なのではないでしょうか。

使ってくれる人を想い一生懸命に製品を作る人と、その製品の価値を理解し大切に使う人、「相手を敬うものづくり」の循環は、人と人との絆を復活させます。

この小さな絆の再生が、相手の顔が見えない巨大な「ものづくり」の世界を変えてゆく可能性があると、私は思っています。

もちろん、これは容易なことではないと思います。しかし今、本当に価値があると感じる「もの」や「こと」との出会いに、集中してお金をかける「消費の使い分け」が進行しているのも事実です。

まだ少数かもしれませんが、利益を追求する大量生産では得られない、人生を変えてくれるような製品やサービスを探し求める人たちが増えているのです。

その期待に応えるためには、肉体の次元の欲望を満たすだけでなく、魂の次元の願いを叶えるための「ものづくり」が求められます。

物質の世界から精神の世界へ、新しい時代の「ものづくり」が始まろうとしています。

次の時代を切り拓く人たちを応援するために、新しい「レガシー」を受け入れ、NATUREの収録に向かおうと思います。

 

酷暑の夏だからこそ感じられる
太陽と月の光の違いをお届けします

NATURE通信 August 2023 「陽光と月光」
https://nature-japan.com/nature-tsushin

2023/8/25

Tags:NATUREへの道

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