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愚老庵ノートSo Ishikawa

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「願い」のルーツを求めて

「願い」のルーツを求めて

今年も、井の頭公園の池のほとりにある大盛寺へ初詣に行きました。元旦の早朝に、界隈の犬友たちと一緒に「犬詣」するこの正月行事は、もう15年も続いています。

このお寺には銭洗い弁財天が祀られていて、毎年皆でお金を洗っているのですが、残念ながらまだ宝くじの高額当選者は出ていません。

年の初めに、私たちは神様に手を合わせ、様々な願い事をします。願いを叶えてもらったから神様の存在を信じるという人がいる一方で、一心に祈り、お賽銭をはずんでいるのに願いが叶わなかったから、神様なんか信じないという人もいます。

神様への願いは、何故、叶ったり叶わなかったりするのでしょう。

「願い」は、心のどこから生まれてきたのかによって、その深さでいくつかのレベルに分けられるように思います。

一番表面にあるのは、食欲、性欲、睡眠欲などの生理的欲求から生まれた「願い」です。この肉体レベルの願いは、欲求が満たされれば、すぐに消えてゆきます。しかし、これが叶えられなかった時、話はちょっとややこしいことになります。

欲求が阻止されると、叶わなかった願いは「潜在意識」のレベルへと沈潜してゆきます。社会のタブーなどによって「抑圧」された想念エネルギーが、意識されないまま日常の意識や行動を支配すると、近代の精神分析学者達は考えてきました。

生存が脅かされたり、心が傷を負った時、抑圧された恐怖心やトラウマが、様々な欲求や願いに姿を変えて、その人の人生を支配するということもよく知られています。

私たちが想念の世界で想い描いたことは、物質の世界で具現すると言われています。

この世の生存競争を生きてゆくために、私たちは、力やお金や賞賛を求めます。しかし、その願いが叶えられたとしても、それが永遠に続くことはありません。やがて、その願いを生み出した「恐怖心」も、具現してしまうからです。

「盛者必衰の理」が支配するこの世で、儚い夢を追いかける虚しさを知り、神様に救いを求めた時、その祈りは、魂の世界への道を開きます。

そこで、私たちは自分の「魂の願い」と出会うことができる、と覚者たちは言います。私たちの魂は、毎回違う肉体を纏って何度も生まれ変わり、「この世」というステージで様々な役柄を演じながらその願いを果たそうとする、というのです。

その原動力となっているエネルギーの大きさは、この世に生まれた後で作られる「肉体の願い」とは比べものにならないほど大きいと言われています。

しかし、肉体を持ってこの世に生まれると、私たちは五感で感じられる物質の世界しか認識できなくなり「魂の願い」を忘れてしまうのだそうです。

私たちが今、抱いている願いは「魂の願い」なのかでしょうか。それとも「肉体の願い」なのでしょうか? 

「肉体の願い」は、すぐに目に見える成果を求め、その結果に一喜一憂します。しかし、永遠の生命を生きる魂は、もっと長いスパンで人生を見ています。

「肉体の願い」は、この世でひたすら「獲得」と「成功」を求めます。しかし、「喪失」や「挫折」が、「魂の願い」を目覚めさせてくれることもあるのではないでしょうか。

願いが叶わずどうにもならない時、生きているのが嫌になってしまうことがあります。しかし、「その悲しみや苦しみがあったからこそ、新しい境地が開けた」これまでの人生を振り返って、そう思える人は少なくないと思います。

私たちが、この世に生まれてきたのは、魂がそれを願ったからであり、今生きている世界は、たとえどんな環境であろうと、「魂の願い」が叶えられたから具現したステージなのだと、魂の探求者たちは言います。

このステージで、私たちの「魂」は、その願いを叶えるために最もふさわしい環境と事態を引き寄せると言われています。しかし、それは、苦痛を排除し快楽を求める「肉体」が願うものではないのかもしれません。

どんなに願っても願いが叶わないと思う時、それは、「魂の願い」が「肉体の願い」とは比べものにならないほど強い力で「宿命」を引き寄せているからかもしれないのです。

「魂の願いはもう叶えられている」のに、肉体に囚われた私たちが、そのことに気づけないとしたら、それはとても哀しいことです。

「願い」のルーツを求めて内宇宙を旅しながら、ふとメーテルリンクの童話「青い鳥」のことを思い出しました。

幸せを求めて様々な国を訪れたチルチルとミチルが、最後に自分たちの部屋で「青い鳥」を見つけたように、私たちの心の一番深いところにある願いは、すぐ足元で、もう既に叶えられているのかもしれないのです。

自分を守るために築き上げてきた「自我の壁」をできるだけ透明にして、「魂の願い」を確かめたい。年の初めにNATUREを見ながら、そんな想いを新たにしました。

NATURE通信 January 2023
https://nature-japan.com/cat_nature/jan2023/

2023/1/20

Tags:内宇宙の旅

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