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愚老庵ノートSo Ishikawa

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怪我の功名

怪我の功名
Photo by 松井 孝澄

NATUREのロケの最中に、怪我をして病院に行く羽目になりました。NATUREの収録を始めて40年になりますが、ロケの最中に病院に行ったのはこれが初めてです。

信州の蓼科大滝で、石を割って上へと伸びる樹木の生命力の凄さに見とれているうちに、地表を這う大木の根に躓いて転んでしまいました。

転んだ時、反射的に両手で収録機材を守ったため、左膝をダイレクトに石畳で強打しました。一瞬、膝に痛みが走りましたが、ジーンズの上に履いていたレインスーツのパンツが破けていなかったため、単なる打ち身だと思いました。

痛みをこらえながら機材をチェックしていると、雲間から光が差し込んで、目の前の滝壺が輝き始めました。収録のチャンス到来です。幸いなことに機材は正常に機能してくれていました。

落下する水流と光が造り出す「ダイナミックな生命のリズム」を、夢中になって収録しているうちに、いつの間にか膝の痛みのことは忘れていました。

滝壺
https://nature-japan.com/post_nature/tsushin-jun2023-4/

 

蓼科大滝、滝壺を飛翔するのはカワガラス?だそうです。

収録を終えて一息ついた時、左足に痛みと違和感を感じたので、ひとまずロケを中止して足の状態を見ることにしました。

レインスーツのパンツを脱ぐと、ジーンズが血に染まっていました。ジーンズを脱ぐと、膝のところがパックリ切れていて、傷口から血が流れていました。

幸いなことに、今回のロケは、二人の友人が一緒でした。そのうちの一人、松井孝澄さんは、蓼科で二拠点生活をしているということもあり、速攻で救急外来のある病院を探し出して、その病院まで連れて行ってくれました。

救急外来では、すぐにX線撮影が行われ、膝にヒビが入っているかもしれないという所見が出ました。傷口を念入りに消毒して5針の縫合、そして破傷風のワクチン注射と抗生剤の点滴。この病院には、全国から若いドクターが研修に来ているようで、外科と整形のドクター達が熱心に意見交換しながら、2時間以上もかけて、丁寧に診療してくれました。

その間、松井さんともう一人の友人、新見知明さんが、ずっと付き添っていてくれました。実は今回、この二人とNATUREのロケに出かけるのは、30年ぶりのことでした。

30年前、「くるくるプロジェクト」というのをやっていました。収録したNATUREのシーンを皆んなで見て、心に響くかどうか、「くるかこないか」を判定しながら、「どんなシーンが人の心を共振させるのか?」を探究していたのです。

このプロジェクトのおかげで、表面意識が判定する個人の好き嫌いを超えて、心の深層で、見る者を共振させるシーンがあることがわかってきました。

「自然の神秘的な変化と生命のリズムによって、魂を揺り起こす」という NATUREのコンセプトは、このプロジェクトを通してしっかりと育まれたように思います。

松井さんと新見さんとは、NATUREの目指すべき方向を模索する、この「くるくるプロジェクト」を一緒にやった仲でした。

その後、お互いの生活環境が変化したこともあって疎遠になっていましたが、当時の仲間が亡くなったのがきっかけで、30年ぶりに付き合いが復活しました。

一緒に飲んだ勢い?で、NATUREのロケに行こう!ということになり、30年ぶりに「くるくるプロジェクト」プチ同窓会を蓼科で開催することになったのです。

学生時代の友人に会うと、意識が時空を飛び超えてその時代に戻ってしまうことがありますが、今回、私の怪我というアクシデントによって、30年という心の距離が一気に縮まったような感じがします。

楽しみにしていたロケを台無しにしてしまい、本当に申し訳なかったのですが、怪我のおかげで昔の仲間の優しさと有り難さを、身に沁みて感じることができました。

松井さんのところに泊めてもらって、次の日もロケに出る予定でいたのですが、それが中止になったおかげで、ゆっくりと旧交を温めることができました。

松井さんと新見さんは、すでに前期高齢者になっていますが、二人とも現役で仕事を続けています。

当時、新見さんは、写真集の編集など出版の世界で活躍していましたが、あれから30年、写真から音楽の世界へと活動の場を移していました。新見さんは今、大岡山で Goodstock Tokyo というライブハウスを運営しながら、ミュージシャンのマネジメントやプロデュースをしています。

写真家からミュージシャンへ。フィールドは変わっても、持ち前の面倒見の良さで、周りの人たちを支えるという新見さんの生き方は、変わっていませんでした。

「売れるためならば何でもあり」という浮き沈みの激しい業界の中で、アーチストが息の長い活動を続けられるようにサポートするというのは、並大抵の苦労ではなかったはずです。

疎遠になっていたこの30年の間、新見さんの人生に何があったのか、積もる話をゆっくりと聞けたのは、まさに怪我の功名でした。

その昔「自分の葬式には10万人の人を集めたい」と豪語していた新見さんは、もはやその野心の欠片さえ感じられないような好好爺になっていました。

松井さんは今、企業向けのソフトウェアを扱うIT企業を経営しながら、リモートワークによる二拠点生活で「自然に囲まれた暮らし」を楽しんでいます。

今回、宿泊と食事の世話は、松井さんが面倒を見てくれました。聞けば、料理が好きで、こちらにいる時は、食事は3食全部、自分で作っているそうです。

私は「男子厨房に入るべからず」という躾を受け、一度も自活したことがありません。「昭和の粗大ゴミ」と言われ、「濡れ落ち葉」にならないように必死にリハビリしている我が身と比べて、松井さんのライフスタイルは、何とクールなことか。

若い頃「突っ張っていた」松井さんが、楽しそうに料理を作り、自然体で家事をこなすのを見ていて、何故かとても幸せな気持ちになりました。これも思いがけない怪我の功名だったと思います。

「人は思うものになる」という心の法則があります。松井さんも、新見さんも、30年という時を経て「本当にそうなりたいと思う自分」に近づいたのではないか、そんな気がしました。

人生は、予期せぬ「出会い」を運んできます。人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如し。今回、足の怪我という「災難」があったからこそ、このような幸せな時間を過ごすことができました。

この歳まで生きてきて良かったと思えることがあります。それは、出会った人の人生を、数十年というスパンで俯瞰し、分かち合うことができることです。

数十年というスパンで人生を眺めた時、過去から未来に向かって連鎖してゆく「禍福のスパイラル」が見えてきます。そして、そのスパイラルを造り出しているのは、生まれてくる時に抱いた「魂の願い」だということがわかってきます。

「自分は何のために生まれてきたのか」「自分が本当に望んでいたものは何だったのか」禍福が描きだすスパイラルの輪にその解答を求めながら、今生の残された時間を、NATURE行脚してゆきたいと思います。

photo by 新見知明

NATURE JAPAN について
https://nature-japan.com/concept/

About NATURE JAPAN
https://nature-japan.com/en/concept/


ライブハウス Goodstock Tokyo 新見さんの運営するライブハウスです
https://goodstock-tokyo.com 

2023/6/23

Tags:内宇宙の旅

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