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愚老庵ノートSo Ishikawa

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自分の居場所

自分の居場所

バードウオッチングを趣味にしているわけではないのですが、何故か「鳥たちのいる風景」に惹かれてしまう自分がいます。

鳥たちが群れている景色を収録しようとする時、私はいつもそこに人間の「個人と集団」の姿を重ねて見てしまいます。それは、群れに自分の居場所を見つけられなかった、私の生い立ちのせいかもしれません。

私は幼い頃に父親を亡くし、母親とも別れて暮らさなければなりませんでした。母に代わって私を育ててくれた祖母も、私が小学校に上がるとすぐに、あの世に旅立ってしまいました。

「人は何故、死んでしまうのか」「人は何故、別れなければならないのか」 愛する人が次々と自分の前からいなくなってしまうという不条理な現実を受け入れることができず、私は子供ながらにその解答を求め続けました。

母が再婚して、生活環境が大きく変わりました。自然豊かな北海道の田舎を出て、いきなり東京の都心で暮らすことになったのです。

都会の暮らしにも新しい家族にも馴染めずに、私は自分がアンデルセンの童話に出てくる「醜いアヒルの子」のように感じていました。

いつか白鳥になって「自分の居場所」に出会えることを信じて、私は新しい環境に懸命に適応しようとしました。しかし、心の中には、得体の知れない虚しさが残ったままでした。

やがて私は大学に入学し、心理学を専攻しました。その当時、大学のキャンパスには、世界中で同時発生した反体制運動とカウンターカルチャーの嵐が吹き荒れていました。

学生運動には違和感を感じ、ヒッピーのコミューンに心惹かれながら、私はこれまで確かだと思っていた既成の社会の価値観や権威を、次々と自分の中で「自己否定」してゆきました。そしていつか辿り着きたいと思った「白鳥の群れ」は、幻想に過ぎなかったことを知りました。

潮が引くように反体制ムーブメントが去った後、生きる目標と規範を失ったまま漂流することに疲れて、私は逃げるように大学を卒業し、レコード会社に就職しました。

そこには、それまで私の全く体験したことがない「会社組織」という居場所が待っていました。そこで私は、ひたすら群れの掟を学び、仕事のスキルを身につけました。

しかし、周囲の環境に適応できたとしても、心の奥にある虚しさは消えません。この頃、幽体離脱を体験したこともあって、私は「魂の世界」の探求に傾倒し、スピリチュアルな世界に自分の居場所を求めました。

世俗の世界を離れ、出家することも考えましたが、いざとなるとなかなか踏み切れません。「 白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあおにも 染まずただよふ 」 居場所を求めて心の二重生活を送る当時の私には、この若山牧水の短歌が深く刺さりました。

そのうちに「絵の出るレコード」のコンテンツを開発するという仕事が面白くなり、出家する機会は失いましたが、やがて私は「サラリーマンの群れ」を離れたいと思うようになりました。

「大きな群れ」では、仕事で結果を出すことよりも、上司や社内政治に忖度して生きることを求められます。この群れに、私はどうしても「自分の居場所」を見つけ出せませんでした。「自分の居場所は自分でつくるしかない」そう決意して、私は「大きな群れ」を飛び出しました。

1982年当時、テレビ番組の制作は生放送が中心で、ニュースやドキュメンタリーはフィルムで撮影していました。動画をビデオで制作し出版するという時代の先端をゆく新しい世界で、私は思う存分仕事をしてみたかったのです。

動画の制作には、多くの才能と専門技術が必要でした。一つの作品を作り上げるために、必要な人材を結集し、プロジェクトが終了したら解散するという「群れのつくりかた」は、私には合っているように思えました。

しかし、この群れは実力の世界で、結果が出せなければ居場所がなくなる厳しい世界です。この世界で新しい仕事をするために、私には拠点が必要でした。

当時は、個人がスマホで簡単に動画をつくれる時代ではありませんでした。今では考えられないような高価な機材設備とそれを運用する専門スタッフを揃えるために、はからずも私は、会社を経営することになりました。

今度こそ、自分の理想とする群れをつくりたいと思いました。しかし、その時私は35歳、何の後ろ盾もない若造が、徒手空拳で世の中に立ち向かってゆくには、「強い群れ」を目指すしかありませんでした。実績をつくって世の中に認められるには、常に上を目指し、同じ目的を持てない者、実力のない者は切り捨ててゆかざるを得なかったのです。

「これが求めていた群れなのだろうか」仕事が軌道に乗っても、私の心にはずっとこの疑問が残っていました。「私が本当につくりたかったのは、もっと温かい居場所ではなかったのか」そんな想いが日増しに強くなってゆきました。

この「魂の願い」が危機的状況を引き寄せたのかもしれません。多額の未回収金が出て、会社の存続が危うくなってしまったのです。

自分の力ではどうにもならないところまで追い詰められて、「力の道」を歩んでいた私の「自我」は崩壊しました。そしてそこには「能力がなければ愛されない」「完璧でなければ生きてゆけない」と頑なに思い込んでいる小さな子供の姿がありました。

覚悟を決めて情けない自分の姿を受け入れた時、不思議なことに、次々と救いの手が入りました。そして「できない自分」だからこそ助けてくれる人もいることを、私は身をもって知ったのです。

「自分を支えてくれた人たちのためにもう一度生きてみよう」 そう決意して、私はマスメディアの世界を離れ、動画コンテンツをオーダーメイドで制作する動画工房を立ち上げました。

その当時、オーダーメイドの動画を必要とし、高額な制作費用を支払うことができるのは、専門分野を持つ大手企業しかありませんでした。そして私は、嫌いだった「大きな群れ」をクライアントにすることになったのです。

今度はもう後がありません。「魂の願い」が引き寄せたとしか思えないこの出会いを、私は「修行の場」として受け止めることにしました。

「ダメな自分が助けてもらったように、問題を抱えているクライアントを動画でサポートしてゆこう」そう覚悟を決めて、私は新しい道を歩み始めました。

マスメディアで「売れる動画」を制作するのと、専門分野で「役に立つ動画」制作するのとでは、動画のつくり方が大きく違います。

専門分野で本当に有用な動画コンテンツを制作するためには、その分野に精通したクライアントとチームを組んで、同じゴールを目指さなければなりません。

専門分野では素人の私と、動画制作では素人のクライアントが、お互いに学び合いながら一緒に仕事をしてゆくうちに、苦手だった大きな群れの中にも、少しずつ心を許せる仲間が増えてゆきました。

生き方が変わり仕事の形態が変わったことで、都心の一等地で見栄を張る必要がなくなりました。これまで散々苦労をかけてきた妻の「大きな犬が飼いたい」という夢を叶えるためにも、私は仕事場を吉祥寺に移すことにしました。

そして、妻がBaronと名付けたチョコレート色のラブラドールがやって来て、私の人生を決定的に変えることになりました。

食事や排泄の世話、散歩と運動、シャンプーとブラッシンング、図体が大きく知能が3歳児のままのヤンチャな「息子」のケアと訓練は、仕事とは比較にならないぐらい大変でした。しかし不思議なことに、これが全く苦にならないどころか楽しいのです。

Baronは家でも仕事場でもずっと一緒にいて、私の心の空洞を埋めてくれました。そして幼い頃、愛する人が次々にいなくなってしまう寂しさに耐えられず、傷つくのが怖くて誰も深く愛せなくなってしまった自分が、心の奥に居ることに気付かせてくれました。

私はこれまでずっと、群れに自分の居場所を求めながら、根なし草のように生きてきました。それは、傷つくのが怖くて、自分のいる場所に根を深く下ろせなかったからなのです。

Baronは、私が閉ざしてしまった「深く愛する力」を引っぱり出し、蘇生させてくれました。そして「愛した場所が自分の居場所になる」ことを教えてくれたのです。

Baron は「かすがい」でした。妻との絆を結び直し、仕事とスピリチュアルな世界にしか興味がなかった私を、地域社会のワンコや犬友たちに引き合わせてくれました。Baron が仕事場にいることで、心を開いてスタッフや仕事仲間を受け入れることもできるようになりました。

そして、家族や友人、会社のクルー、毎週のように会っている犬友たち、ライフワークの NATUREを縁として出会う人たち、一緒にボランティア活動を続けている医療の世界の仲間たちとの関係が、だんだん深まってゆきました。

気がついてみると、私はいくつもの群れに取り囲まれていました。そして幾重にも折り重なった群れは、いつの間にか、かけがえのない「自分の居場所」になっていたのです。

人は一人では生きられません。群れの中で特別になることを願いながら、同時に孤立することを恐れて一緒に群れていたいと願います。

当初私は、この矛盾と混乱に満ちた群れを否定して理想の世界を求めようとしてきました。しかし、そうではなかったのです。愛することによって、この群れを「自分の居場所」にしてゆくことが、私の「魂の願い」だったのです。

人生というスパンでこれまでの道のりを振り返った時、「魂の願い」が様々な出会いと環境を引き寄せて、私をこの地点に導いてくれたくれたことが、今ならよく理解できます。

長い旅路の果てに、私は「自分の居場所」を見つけることができました。本当によくここまで辿り着けたと思います。未熟な私を受け入れ育んでくれた多くの群れ、そして Baronを遣わしてくれた神様には、いくら感謝しても感謝しきれません。

Baronは16歳と4ヶ月で、あの世に旅立ちました。想像していた以上の大きな喪失感でした。立ち直るまで半年ほど時間がかかりましたが、私に生きる力を与えてくれたのは、群れの仲間たちの存在でした。

Baronは今も、私の心の中で生きています。日々、Baronを想い対話しているうちに、あの世の人たちを想い、心の中で対話する機会も増えて、あの世にも「自分の居場所」ができたように感じています。

Baronは、私がずっと探求してきた魂の世界との「かすがい」になって、この世とあの世を繋いでくれています。

「Baron、あの世が存在することを、群れの皆んなにどうやって伝えようか」
Baron と一緒に「魂の故郷」へ向かう道をナビゲートする新しい旅が始まりました。

NATURE通信 Feb.2023「富士と白鳥」
https://nature-japan.com/post_nature/tsushin-feb2023-3/

2023/2/24

Tags:内宇宙の旅

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