愚老庵ノートSo Ishikawa
風と砂の記憶
九十九里浜で「風と砂のドラマ」に遭遇しました。
砂浜の砂が強風で舞い上がり、陸から海に向かって砂の気流を作り出していました。
ダイナミックな光景に我を忘れ、夢中で撮影しているうちに、40年前にテレビの取材で訪れたイラクの砂漠の光景を思い出しました。
イランイラク戦争の特別番組を制作するために、砂漠の捕虜収容所を取材した時にも同じように強い風が砂の気流を造り出していました。
NATURE通信 Jan.2021 砂塵
https://nature-japan.com/post_nature/tsushin-jan2021-4/
そのシーンがトリガーとなって、1ヶ月に及ぶ長期ロケを終えて日本に戻った時の記憶が、浮上してきました。
それは、何とも言えない不思議な感覚でした。
目に入ってくる日本の風景がすべて、綺麗に作られたスタジオセットのように、実在感のない薄っぺらな世界に見えてしまうのです。
砂漠にコーランが流れる中で戦争の取材を続けているうちに、私の中で何かが変わってしまったのかもしれません。
「水を発見したのは魚ではない」というマーシャル マクルーハンの言葉があります。人は、当たり前になっている日常の環境について考えることはしません。
日本を離れて、イスラムというこれまで全く知らなかった異質な世界に身を置くことで、それまで見えなかったものが見えてきました。
それは、子供の頃から学校やメディアを通して西洋の文化と価値観を刷り込まれ、その基盤の上に人生を築いてきた自分の姿でした。
欧米が牽引してきた現代の物質文明は、科学を錦の御旗にして、ひたすら快適さと便利さ、経済効率を追求し、今の世界を造り上げました。
その世界は今、砂上の楼閣のように揺らぎ始めています。
本当に大切なものは何なのか。
残り少なくなった人生を、どのように生きてゆこうか。
「風と砂の記憶」によって、再び、内宇宙との対話が始まりました。
2021/3/31
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