愚老庵ノートSo Ishikawa
内宇宙への旅路 Part2
潜在意識のゾーンを通過すると、心理学者のユングが「集合的無意識」と呼んだ世界に到達します。
海上に点在する島々が、海底ではひとつにつながっているように、意識の深層では自分と他人を隔てる境界が無くなるとユングは考えました。
「虫の知らせ」や「テレパシー」などは、この領域を通して起こるコミュニケーションと考えたわけです。
ここの深部には、国や民族を超え、人類の記憶がすべて蓄積された想念のデータベースが存在すると言われています。
仏教の教典、華厳経は、人と人だけではなく、人と自然もひとつに繫がった巨大な生命のネットワークが存在すると説いています。
自分と他者を隔てる境界が無く、すべてがひとつに調和した「一即他・他即一」の世界。このような世界が本当に存在するのでしょうか?
残念ながら科学によるアプローチで、この世界の存在を証明することはできません。それは科学が、五感で認識できる物質の次元しか対象にしていないからです。
「肉体が人間であり、心は脳に在る。永遠の生命を生きる魂など存在せず、死んだらすべてが消滅する」現代の科学では、そう言わざるを得ないのです。
しかし本当にそうなのでしょうか?
満天の星空を見上げた時、人は何故、言いようもない懐かしさを感じるのでしょう。潮騒の響きを聞いていると、何故、心が安らぐのでしょう。花鳥風月の美しさに、何故、感動できるのでしょうか。
私たちは、自然とひとつに繋がっていた時の「魂の記憶」を、どこか心の奥深くで共有しているのではないでしょうか。
科学は、観察する自分と、分析の対象となる他者を分離します。
現代文明は、本来人間と一体であった自然を切り離し、分析し、切り分けることによって、現在の物質的な繁栄を築き上げてきました。
しかし今、この繁栄は、地球規模の環境破壊や異常気象、資源の枯渇などによって脅かされています。
この事態の根底には、自然を自分とは別の「物資」と見なし、それを支配しようとしてきた人間の飽くなき欲望があるのではないでしょうか。
現代の物質文明の歴史はわずか数百年。これは人類の悠久の歴史から見ると、ほんの束の間にしか過ぎません。
古代には、魂の存在を信じ、神仏の世界と交流していた文明が、いくつも存在していたと言われています。
心の深層を旅する時、ひとつの想いが湧き上がってきます。
私たちは、本当に進化したのでしょうか?
肉体に囚われて、自分が本来、魂であることを忘れてしまったのではないでしょうか?
私たちは今、魂として、この時代と向き合うことを、呼びかけられているような気がしてなりません。
自然のリズムに導かれ、自然と対話しながら内宇宙に向かう旅。
この旅によって、物質の次元に囚われた意識を解放し、魂の故郷へ帰還されることを、心より祈っています。
2021/5/20
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