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愚老庵ノートSo Ishikawa

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この世とあの世 Part3

この世とあの世 Part3

この夏、猛暑と集中豪雨が連日のように続いています。まるで日本が温帯から亜熱帯に変わってしまったかのようです。

気象庁のデーターによれば、最高気温35℃以上の猛暑日の数は、この100年の間に、3,3倍に増加しているそうです。

緩やかに上昇する右肩上がりのグラフを見ているうちに、何故か「茹でガエル」のことが頭に浮かんできました。

「カエルを熱湯の中に入れるとすぐに飛び跳ねて逃げ出すが、水から徐々に温度を上げてゆくと、逃げるタイミングを失い、茹でられて死んでしまう」というこの寓話を、どこかでお聞きになったことがあるかもしれません。

物質的な豊かさと快適な生活にどっぷりと浸り、資源の乱獲や生態系の破壊が、異常気象や地殻変動を引き起こしていることに気づいていながら、このぬるま湯から出ようとしない己の姿は、まさに「茹でガエル」のようです。

200年前なら、この環境から飛び出して、ソローの「森の生活」のような隠遁生活ができたかもしれません。しかし、今起こっているのは、地球規模での「地球生命体」の自浄作用のような気がします。どこにも逃げ場はありません。

現状を変革しようとしてても、大多数の人々は、他人のことには無関心で、自分の生存が脅かされない限り行動を起こそうとはしません。

今の日本では「多数決の原理」で物事が決められています。「数は正義」という社会の中で、政治は利権とポピュリズムに支配され、痛みを伴う改革は先送りされてゆきます。

民主主義の根幹となっている「多数決の原理」では、残念ながら、今起こっている「地球生命体の危機」には、対応できなくなってしまっているように感じます。

一方で、インターネットを使ったマインドコントロールが急速に進行しています。日々、個人情報が吸い上げられ、そのデータをもとに、好きなことや欲しいものの情報が絶え間なく送られてきて、私たちを欲望と快楽の世界へと誘います。

古代ローマでは、都合の悪い現実から民衆の眼を逸らすために、食べ物とエンターテインメント、「パンとサーカス」によって統治が行われたと言われています。 

私たちは今、インターネットによって、個人レベルのあらゆる欲望に対応した多種多様な「パンとサーカス」と繋がっています。

地球生命体が悲鳴をあげているのを目の前にしながら、知らぬ間にその現実を見えなくしてしまう高度に洗練されたマインドコントロール。いつの間にか、私たちは、この新しいネットワークにしっかりと絡め取られているのではないでしょうか。

最近の世界不平等研究所のレポートによれば、コロナ禍で世界中の99%の人が収入を減らす中で、世界の富豪10人の資産は2倍になり、1%の富裕層が世界全体の4割近くの個人資産を所有しているそうです。

目を凝らすと「世界の危機」すらも利用して富を独占しようとする、国家という枠を超えたグローバルな権力の存在が見えてきます。

巨大化するこのような権力に対して、私たちはあまりにも無力です。私たちは、未来に漠然とした不安を抱えながら、茹でガエルのようにジワジワと茹でられてゆくしかないのでしょうか。

肉体が滅びればすべて終わりで、五感で捉えた物質の次元だけが私たちの世界と考えるなら「この世」はあまりにも不条理です。

しかし、人間の本体が「永遠の生命を生きる魂」であり「あの世」が存在する、という視座を持った時、この不条理な世界は、私たちの魂を進化させるためのステージへと変貌します。

どうあがいてもどうにもならない絶望的な状況に追い詰められた時、私たちは「神さま」に救いを求めます。「自我」が降伏した時、内宇宙への扉が開き「魂の記憶」が蘇ってくるのです。

生まれてくる前に、私たちはどんな願いを抱いたのでしょうか。その願いは「この世で抱いた願い」と同じだったでしょうか。

私たちの魂は「この世」の富と権力を崇拝することを望んでいるでしょうか。他人の眼差しに一喜一憂して生きることを望んでいるでしょうか。自己保身のためにリスクを避け、責任を回避するためのルールでがんじがらめになって生きることを望んでいるのでしょうか。

私は、何のためにこの時代に生まれてきたのか。今「この世」のステージで、魂から何を問いかけられているのか。

この世の「不条理」が、眠れる魂を目覚めさせるための呼びかけだとしたら、私は魂の進化を目指す「もうひとつの道」を探して、このステージを生きてゆこうと思います。

NATURE通信 Aug.2022 太陽と波濤
https://nature-japan.com/post_nature/tsushin-aug2022-1/

2022/8/23

Tags:内宇宙の旅

Comment

  • Akira Ishibe:
    2022年8月24日

    日本は、知らぬ間に、反社会的集団が、国から地方に至るまで政治・経済・社会の中枢に侵入し、定着、支配し、立法・行政・司法を牛耳る、危機的状況にあることが露呈した。

    失われた30年、いや、破壊された30年と言って過言ではない。少子化問題、教育費削減、実質賃金低下、企業の革新力の喪失。日本は三権分立でなく、極論すれば、「カルト全体主義」かと。

    世界的ベストセラー『監視資本主義 人類の未来を懸けた闘い』は、デジタルによるマインドコントロールが私たちの生活に深く浸透し、無意識、行動、現実まで動かしている実態を明かした。

    「魂の存在を排除し科学的合理性を徹底する」心理学者マイヤー、スキナー等の「オペラント条件づけ」理論と最新鋭のAIを統合し、人間の意識・人格・行動・人生への監視・管理・支配が深化する。

    ジョージ・オーウェルの『動物農場』『1984』を読み直してみると、日本社会が、まさにオーウェルの予言通りの状況になってきている。背筋が寒くなる思いがした。本当に、このままゆくと日本は危ない。

    再生、救済の道は、心の奥底にある本心・真情(情緒)の覚醒、人間を支える大きな存在、自然・宇宙とつながるリアルな感覚・感情・思考・意志を回復し育んでゆく以外にないと思えてくる。

    日本の自然、映像作品・NATUREは、時代・社会が抱える最も深い痛みに、ダイレクトに響き、包み込み、浸透し、生命の源から瑞々しいいのちを甦らせ、自然の愛と叡智の光を与えてやまない。

    やがて生まれ来る子供たちが、大人になり、日本にこれほど美しい
    自然があったことを知り、再生へと立ち上がる励ましに、本作品は
    なってゆくことだろう。自然は、命の光、希望そのものなのだから。

    石部 顯

  • Akira Ishibe:
    2022年8月25日

    The cistern contains: the fountain overflows.
    Sooner murder an infant in its cradle than nurse unacted desires.
      — William Blake

    水槽は湛え、泉は溢れる。<学者は、知識を記憶に蓄え、天才[魂に天が授けた才]は、無限の霊感に溢れ生きる>

    実行しない願いを胸に抱いているより、揺籃中にある幼児を殺すがよい。<本心の願いは、命を懸けて形にせよ>  
    ━ ウイリアム・ブレイク

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