愚老庵ノートSo Ishikawa
動画のもうひとつの力
私たちの周囲には今、多種多様な動画が溢れています。動画配信サービスはコンテンツ数を競い、SNSには毎日、大量の動画が投稿されています。このような動画環境が実現したのはつい最近のことです。
スマートホンとインターネットが登場する以前、動画の主役はテレビでした。日本でテレビ放送が始まったのは 1953年。動画は「テレビ番組」として、決められた時刻に一方的に送られてくるコンテンツでした。
「家族が茶の間に集まって一緒に番組を見る」これが、昭和のテレビ視聴スタイルでした。マスメディアによって同じ情報と価値が共有される「大衆の時代」、テレビから流れてくる動画が、次々と世の中のトレンドを創り出してきました。
この時代、動画の制作に携わることができたのは、ほんのひと握りの制作者だけでした。動画づくりは、高価な機材設備と分業化された専門技術によって守られた「聖域」だったのです。
日本で iPhoneが発売されたのが 2007年、YouTube の日本語版サービスもこの年に始まりました。それからわずか十数年のうちに、動画づくりの「聖域」は崩壊してゆきます。
スマホとインターネットの普及は、動画の世界に革命を起こしました。動画は「見るもの / 鑑賞するもの」から「撮るもの / 送るもの」へと変わり、私たち一人一人が「放送局」になったのです。
YouTubeでは、個人の発信する動画が、マスメディアが伝えない世界の実像を映し出しました。その膨大なアーカイブはあらゆる分野に及び、エンターテインメントだけではなく、学びや創作のためのガイダンスやマニュアルの宝庫にもなりました。
InstagramやFacebookでは、動画は「コミニュケーション・ツール」として新しい役割を担うようになりました。ネット上では今、話題を提供し交流を楽しむための「短い動画」が無数に飛び交っています。
この革命によって、私たちはマスメディアによる情報支配から解放され、わずか20年前には考えられなかった夢のような動画環境を手に入れました。しかし、革命の後には、必ず新たな支配者が登場することを、歴史は教えてくれています。
YouTubeは、「視聴された数」に対してお金を払うというシステムによって、「数は力」というマスメディアの世界を、別なかたちで創り出しました。
動画は、お金を稼ぐための手段、有名になるための手段となり、YouTuber は若者のあこがれの職業になりました。人目を惹きつけ視聴者数を稼ぐために、動画にはより強いインパクトが求められ、その表現はどんどんエスカレートしていきます。
このトレンドは、InstagramやFacebookなどにも影響を与えました。インフルエンサーとしての「数の力」を獲得するために、交流を楽しむための場が、いつしか「映え」と「フォロアー数」を競う場になってしまうケースが多くなったのです。
動画の世界は、これから先、一体どこに向かうのだろう。そんなことを考えているうちに、「菊と刀」という本のことが頭に浮かんできました。「菊と刀」はアメリカの文化人類学者、ルース・ベネディクトが、第二次世界大戦中に、敵国である日本の文化について研究した本です。
欧米の「罪の文化」と日本の「恥の文化」、この比較については、ご存知の方も多いと思います。
欧米人の行動は「神」という絶対的な基準を規範にし、日本人の行動は「他者の眼」という相対的な基準を規範にしている。善悪の判断をする時、欧米人の意識は「神」を求めて内界へと向かうが、日本人の意識は「他者の眼」を求めて外界へと向かう。ベネディクトはこのように論述しています。
動画は人間の欲望にダイレクトに働きかけることができます。食品のCMやアダルトビデオを例に挙げるまでもなく、欲望やモチベーションを喚起する動画の力は、他の情報メデイアの比ではありません。
この力を駆使した動画に取り囲まれた時、内界に「絶対的な基準」を持たない多くの日本人の意識は、易々と欲望の世界に引き寄せられてしまうのではないでしょうか。
インターネットの世界では「他者の眼」から自分の存在を隠すことも可能です。「他者の眼」がなくなった時、新たに出現した動画の世界は、「恥の文化」を「欲の文化」に変えてしまう大きな危険を孕んでいるように思います。
このような時代に、動画制作者として自分は何をすべきなのか。幸運なことに、「お金を稼ぐための動画制作」を卒業させてもらった私には今、そのことを純粋に考える時間と環境が与えられています。
ビデオの創成期から40年、技術革新によって目まぐるしく変遷する動画環境の中で、動画の制作を生業にする傍ら、私はライフワークとして、ずっと「自然の神秘的なリズム」を収録し続けてきました。
自然は私に、動画には、欲望やモチベーションを喚起する力だけではなく、「もうひとつの力」が秘められていることを教えてくれました。それは、すべてが一つに繋がった地球生命体の「生命のリズム」を伝える力であり、人間の深層意識に働きかけることができる力でした。
この力を使って、肉体に囚われてしまった同胞たちに、自分の本質が「魂」であることを思い出してもらえるような動画を届けたい。私は今、そのような願いを込めてNATUREを制作しています。
「魂の故郷に還る心の旅」をナビゲートするための動画。このような目的と用途を持った動画がこれまで存在していなかったこともあり、NATUREが理解されるまでには、まだもう少し時間がかかりそうです。
「数の力」によって巨大なメディアに成長した新しい動画プラットホーム。その圧倒的な影響力を前にした時、自分の無力さを感じます。しかし、ここで諦めるわけにはいきません。
「生命のリズム」が、心の深層で「音叉」のように共鳴現象を起こしてくれることを信じて、NATUREを支えてくださる皆さまと一緒に「動画のもうひとつの可能性」を切り開いていきたいと思います。
NATURE JAPAN について
https://nature-japan.com/concept/
About NATURE JAPAN
https://nature-japan.com/en/concept/
2022/9/22
Comment
美、透明、清浄、聖なるもの、煌めき、人を超える力、愛、希望、慈悲、智慧、癒し、励まし、優しさ、融和、……
言葉にすれば、無限の表現が生まれてくる「自然」━。
NATURE JAPAN9月も、心を洗い、至福の深みへと自然に誘う映像と音の饗宴である。
ただ沈黙して、美を味わうひと時の至福、「何もいらない」と思える、自由で静謐な感応の世界にタイムスリップする。
作者は言う。━自然は私に、動画には…「もうひとつの力」が秘められていることを教えてくれました。それは、すべてが一つに繋がった地球生命体の「生命のリズム」を伝える力であり、人間の深層意識に働きかけることができる力でした。
科学はすでに、人間の肉体が、宇宙の星間物質(星屑)から成り、呼吸に不可欠の酸素は、バクテリアから植物の光合成により与えられ、脳と意識もまた、環境や人々と繋がり極微から極大のすべてと共鳴し合っている事実を証明している。
明治の時代、見える世界と見えない世界のつながりを研究した一人に、『遠野物語』で有名な民俗学者・柳田国男がいる。世界に貢献できる宝が、日本の庶民の文化と伝統にあると観た。
柳田は、「協同」と「自助」の精神、民主主義に通じる心が、古来よりおこなわれる「祭り」━皆の幸せを祈願し、公共の福祉、公平無私を貫く精神などに、すでにあったと再発見する。
神道以前の古代より伝わる日本の思想文化は、異なる神も敬い、共に祭る包容力を有し、インドの神(仏教)も、中国の思想(儒教その他)も、和して受容し「統合してゆく」智慧があり、「自然」に神を観て、大切に敬い感謝し、環境保護、持続可能社会を、すでに実現していた。まったく未来的な叡智であった。
「自らのルーツを知ること」が、圧倒的西洋文明の潮流に流されず、私たち日本人が独自の道を切り開き、皆が幸せに至る鍵であるという。日本人、その伝統と文化、思想と生活を生み出し、育みデザインした根源が、「自然」にあると私は思う。
石川さんの創作は、その根源なる自然のリズムに回帰することで、私たち自身の意識の根源、故郷に帰る道を、表現してくれている。
「複雑を極めた世界全体を一つとして、これを現在のごとくならしめた力と法則とを、尋ねだすこと」を、普遍的人間学の目的とした柳田国男。映像によってこの願い(スピリット)を実現してくれているのが、NATURE JAPANの作者であると思っている。
石部 顯
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