愚老庵ノートSo Ishikawa
見えない世界との通信
NATUREのロケでは、Googleマップと天気アプリで、刻々と変化する天候を追いかけながら撮影ポイントを探すようにしていますが、それとは別にもうひとつ大切なルーチンがあります。
それは「祈る」ことです。ロケ地を探す時や目的地に向かう時に、「魂を揺り起こすようなシーン」や「魂の故郷を思い出してもらえるようなシーン」を大切な人たちに届けることができるよう、ひたすら祈ることにしています。
NATUREの収録では、この「祈り」によって、見えない世界との通信が始まり、思いもしなかったような神秘的なシーンが撮れる場所へとナビゲートされることが多いのです。
見えない世界との通信では、自分の心が通信機になります。心の周波数をどこに合わせるかによって、繋がる相手と世界が変わります。
仏教には、一念三千という教えがあります。私たちの一瞬一瞬の心の動きが、仏の世界から地獄まで、あらゆる世界に通じているというのです。
浄土に行けなかった霊魂が転生輪廻すると言われている「六道」(天 / 人間 / 修羅 / 畜生 / 餓鬼 / 地獄)の世界、そして仏道の修行によって得られた「四聖」(声聞 / 縁覚 / 菩薩 / 如来)の世界。
天台宗の教えによれば、私たちの心は、常にこの「十界」のどこかの世界に通じていることになります。そして、その世界は、心が発している想念の波動によってリアルタイムに変化しているのだそうです。
言われてみれば確かに、私たちの意識は、日々の暮らしの中で、仏の世界から地獄まで、様々な想念の世界を忙しく行ったり来たりしています。
先日、夜明けに「だるま太陽と波のシーン」を収録していた時のことです。太陽が昇ってくるのを待ちながら、魂が震えるようなシーンと出会えることを、ひたすら祈っていました。
ぎりぎりまで低く下げた超望遠レンズのフレームに、波光を煌めかせながら太陽が力強く昇ってきた時には、歓喜のあまり思わず心の中で手を合わせずにはいられませんでした。
しかし、仏に祝福されたかのようなこのシーンは、一瞬にして消失しました。太陽が「だるま太陽」なろうとする瞬間に、いきなりサーファーが飛び込んできたのです。
「画面から出て行け!」思わず心がそう叫んでいました。大切なものをぶち壊しにされた口惜しさ。そこから湧き上がった怒りの波動は、地獄の世界を呼び出してしまいます。
地獄に通じたままの意識でこれ以上収録を続けても、結果は見えています。ここからどうやって心を立て直しリカバリーするか、これは、見えない世界とコラボするNATUREの収録では、乗り超えなければならない試練なのです。
天台宗では、「十界」のひとつひとつが、互いに他の九界を備えているという「十界互具」という世界観が説かれています。これは、仏も「六道」に落ちるし、地獄の衆生も仏になりうるという教えです。
たとえ自分の意識が「地獄」に落ち込んでしまったとしても、「仏の世界」にリカバリーできるというのはとても有難い教えですが、問題はどうやってリカバリーするかです。
私は、このような時に、自分を見ている「もう一人の自分」を想像し、上空からドローンで俯瞰するように、事態を眺めることにしています。
仏に祝福されたかのような世界に歓喜している「自分」から見ると、それを一瞬でぶち壊したサーファーは、憎しみの対象になって当然のように思えます。
しかし、「もう一人の自分」から観ると、サーファーにはサーファーの事情があり、それを一方的に憎悪するのは見当違いだということに、気づかされます。
波立っていた意識は、これでひとまず静かになりますが、やり場のない怒りは矛先を変えて、今度はコラボしている「見えない世界」へと向かいます。
「どうしてこうなるんだ!」「何故助けてくれない!」 見えない世界への不満と不信感に心を支配されてしまうと、そこから自力で脱出するのは困難になります。
「魂の世界」を本当に信じていなければ、この状況から抜け出すことは出来ません。リカバリーするには、ただひたすら魂の故郷に還れるよう祈るしかないのです。
「この世」の生存競争を生きてゆくために、私たちの意識は物質の世界に囚われ、魂の世界が存在することを忘れてしまいます。
祈ることによって「魂の故郷」に回帰することができれば、サーファーも自分も、見えない世界の人たちも、すべてがひとつに繋がった、とてつもなく大きな生命のネットワークの中で、生かされていることを思い出すことができます。
今起きていることが「自我」にとってどんなに理不尽であっても、それは、魂の世界を思い出し、信じるための「呼びかけ」であることに、気づくことができるのです。
祈りによって、肉体の五感では認識できない大きな世界に「託身」し、運命を素直に受け入れること。それが仏の世界との繋がりを取り戻す究極の方法ではないかと、私は思っています。
今回の出来事が何を呼びかけているのか、その解答はすぐには出ませんが、「魂の世界」との絆をしっかりと結び直してくれたことだけは確かです。
「ひとり弾丸ロケ」で、面倒なしがらみから多少解放されたとしても、NATUREの収録が行われているのは「この世」です。いつ何が起きるか分かりません。
祈りをルーチンにしながら、仏の世界と地獄が瞬時に切り替わる「娑婆のツアー」を通して、光と影が織りなす陰翳の深いNATUREをお届けできればと願っています。
NATURE JAPAN について
https://nature-japan.com/concept/
About NATURE JAPAN
https://nature-japan.com/en/concept/
2023/5/26
Comment
風薫る五月、NATUREを有難うございます。
ほんとうに、五月を、風薫る、と言った理由がよく分かる素晴らしい映像と音響、石川さんに、一句、捧げます(笑)。
■牛に乗り笛吹く童子か風来坊━光と影の豊饒なる陰翳
風薫る青葉の瑞々しさに、思わず呼吸を深くして、風の香り、鳥の囀り、揺らめく光を胸の奥まで吸い込む。
大樹に呼吸を合わせれば、枝、葉、風、光のリズムに、体の細胞と、心の波動が、自然に整って共振を始める。
安らぎと、静寂に満たされ、癒される心身の傷の痛み。映像と音に心のリズムを合わせるだけで瞑想に誘われる。
水の煌めきを見て思い出す━水は、生命の源、母胎の水に育まれ生まれた赤子は、体の7、8割が水だったこと。
体と心の故郷を、思い出させてくれる映像とエッセイ、深い言葉の断片を、以下、自分なりに噛みしめてみる。
(<>内は感想です。)
・「十界」のひとつひとつが、互いに他の九界を備えているという「十界互具」という世界観。<補足すれば、仏の心にも、地獄の心が備わっており、地獄の心にも、仏の心がある意味。「すべてはつながって一つである」。「すべてが一つに繋がった、とてつもなく大きな生命のネットワークの中で生かされている」石川さんの言。
・自分を見ている「もう一人の自分」を想像し眺める。大きな世界に「託身」し運命を素直に受け入れること。
それが仏の世界との繋がりを取り戻す究極の方法では。<最先端の医学で科学的に証明された、遺伝子、分子、ホルモン、神経レベルでトラウマを癒し創造力を開くマインドフルネス瞑想の本質につながる方法ですね。>
・仏の世界と地獄が瞬時に切り替わる「娑婆のツアー」を通して、光と影が織りなす陰翳の深いNATUREを。
<最近、トルストイの『戦争と平和』を読み直し映画もソ連版などすべて見直して思う。戦争に意味があるとすれば、地獄の闇の中だからこそ引き出される神仏と人間の光がある。闇があるから光が輝く━闇と光は、ひとつながりとなって、ある方向へと向かっている。
それが、愛━すべての生命の進化による調和であると。
皆様の人生が、光と影が織りなす陰翳の深い人生となりますように、こころよりお祈りしております。>
Akira
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