愚老庵ノートSo Ishikawa
「水鏡の風景」が映し出す世界
NATUREのロケで水辺にいる時、実際の風景よりも、鏡のような水面に映った「水鏡の風景」に惹かれてしまうことが多くなりました。
それは、水面に映った世界の向こうに「もうひとつの世界」が存在するように感じるからなのかもしれません。
水鏡の世界は、物理的には人間の錯覚がつくり出した虚像です。しかし、私達が確かなものとして認識している「この世」の現実そのものが「幻影」だとしたらどうでしょう。
インド哲学は、現実の世界はマーヤー(幻影)であり、真実の世界を覆い隠していると説いています。
私たちは、自分が生きている現実の世界が、よもや「心が映し出す幻影」だとは考えてはいません。五感を通じて知覚している現実の世界は、揺るぎない確かなものであり、それ以外の世界が存在することなど考えられないという人が大多数ではないかと思います。
しかし、眠っている時に見る「夢の中の世界」について考えてみてください。夢は「肉体の眼」で見ているでしょうか。
肉体の感覚器官によって外界を知覚していた顕在意識の活動が停止した時、私達の意識は内宇宙へと向かいます。この世界を見ているのは、「肉体の眼」ではなく「心の眼」だと言われています。
「眠っている間に私たちの意識はどこへ向かうのか、そこはどんな世界なのか」残念ながら、現代の科学は、この内宇宙の全容を解明することができません。それは、現代の科学が「肉体の眼」が認識できる「物質の次元」しか対象にできないからです。
眠っている間に、私達の意識は、物質の次元を離れ「魂の世界」に回帰する、そして目が覚めて「肉体の世界」に戻った時には、そのことをほとんど忘却してしまうと、魂の探求者たちは言います。その失われた記憶の名残りが、私たちの見た夢なのかもしれません。
目覚めている時に見ている世界と眠っている時に見ている世界、どちらが真実の世界なのでしょう。
「胡蝶の夢」という説話の中で、蝶になってヒラヒラと舞う夢を見て、その夢から覚めた自分に、荘子はこう問いかけます。「自分は蝶になった夢を見ていたのか、それとも蝶こそが本来の自分であって、今の自分は蝶が見ている夢なのか」
この問いに答えを出そうとしても、考えれば考えるほどわからなくなってしまいます。
荘子は、「どちらが真実の世界であるかを論ずるよりも、いずれの世界も肯定して、一切をあるがままに受け入れるところに真の自由がある」と説きました。
荘子が求めたのは「知」による分別を離れて生きる「無為自然」の自由な境地だったのです。
鏡のように静かな水面は、空と大地にひろがる風景を映し出します。水鏡に映し出された虚像を舞台に、現実の世界の鳥たちが遊泳し、魚が跳ね、その波紋が水面にアブストラクトな揺らぎを造り出します。そして、一陣の風が起こした漣が、水鏡の風景を消し去ってゆきます。
ここでは、水鏡が映し出した「もうひとつの世界」と「現実の世界」が見事にひとつに溶け合って、神秘的な景色を造り上げています。
この景色を眺めていると、自他を分別し、肉体の世界と魂の世界に「境界線」を引くことが、何とも愚かで虚しいことのように思えてきます。
肉体と魂の境界を超えてすべてが一つに繋がっている、あるがままの「万物斉同」の世界。水鏡の風景が、この自由な境地に向かう心の旅の「入り口」になるように、NATUREの画づくりに取り組んでゆきたいと思っています。
復元版「水鏡の森」
https://nature-japan.com/mizukagaminomori/
Restored Version「 Forest Mirror」
https://nature-japan.com/en/forest-mirror/
2023/7/7
Comment
■無限なる美の交響━心と自然が共振する万華鏡
ただ、ただ、美しい━。表現する言葉がない。この自然美は、一体どこから来るのだろうか?自然を映す「心」があるから、美しいと感じる。なら、私たちの心とは何か? 究めた人がいる。
私たちの心の本性、究極が「秘密荘厳住心」だと悟った空海━によれば、自然も人間も宇宙も、仏心の智慧と慈悲が、浸透、相応、相入、共振する真理の交響曲鳴り響く荘厳な世界だという。
私たちの心の本性が美しいから自然の美に共振、感動し(心が動き)、初めて美しいと感じられる。
若い頃、受験期に心が曇り、自然を感じなくなり、坐禅のお蔭で自然を美しいと感じる感性が戻った。
身体は、物質の肉体だけではなく、重なるように気の体、意識の体などで、重層構造になっている。病は気から━マインドセット・心の癖やトラウマが、病の根本にあると科学も認めるようになった。
悲しい時、人生に行き詰まった時、生きる気力さえ失った時、花に、癒しと生命力の甦りを感じた人はいないだろうか。それが、空海のいう自然がすでに持っている慈悲と智慧の光であり、私たちもまた、その一部として抱く生命の美と真実にほかならない。
だから、美しいものに、心は共振する。本来の美に、自然に還ろう、心の深みから慈悲と智慧を引き出し、自然のすべてのいのちと共振し、調和して、新しい世界の荘厳を創造しようとして生き生かされている。自然はそれを、今も外から内から助けてくれている。
The Infinite Symphony of Beauty
-- a kaleidoscope of nature and heart resonating
How beautiful this NATURE is! Byond description.
Where does this beauty come from?
We can feel it through the heart, consciousness.
What is the heart? The seeker found the ultimate.
Kukai realized it is the secret glorious heart.
Nature, human beings, and the universe are the
world resonating of the symphony of the truth,
which is permeated, interacted with, and harmonized
by the compassion and wisdom of Buddhas’ hearts.
It is because the origin of our heart is beautiful
that it resonates with the beauty of nature, and
feel nature’s beauty. When I was young, I could
not feel the beauty of nature because of my dirty
heart. But through Zen meditation was it purified,
I brought back feelings for beauty such as a child.
Our body is not only constructed by mass. It has
a multi-layered system with ki, consciousness etc.
Ki causes many diseases. That some mindsets or
traumas cause diseases is also proved by medicine.
When we are sad or lose a spirit to live a life,
a flower can give us a cure, or a power to live.
That is the light of compassion and wisdom nature
already has. We, humans, have the same beauty and
truth, living as a part of nature and the universe.
Our hearts can resonate with something beautiful.
We are living to return to the original beauty,
to bring out compassion and wisdom from the bottom
of our hearts, and to create a glorious new world
resonating, harmonized with all lives of the earth.
Nature has always help us challenge it from our
outer and inner worlds from the past to the future.
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