愚老庵ノートSo Ishikawa
海との対話
今月の特集「AIが復元した動画」では、日本の海辺の風景をお届けします。この動画は、1980年代から90年代に収録されたもので、かつて「白砂青松」と謳われた美しい日本の海岸の面影を伝えています。
一昨年前、NATURE通信を始めてから、この時代に収録した海辺に足を運ぶことが多くなりました。浜辺を歩いていて感じるのは、NATUREを撮影できるところが、40年前よりも少なくなってしまったことです。
NATUREの収録では、画面の中に、心の旅へと向かう意識の邪魔になる人工物などが入らないようにしながら、そこに現成する「神秘的な変化と自然のリズム」だけを切り取るようにしています。
切り取られたフレームの中だけを見ると、「最近の砂浜」と「40年前の砂浜」は、それほど変わっていないように見えます。しかし、フレームの外側にある砂浜は、この40年の間に大きく変わりました。
浜辺を歩いていて、まず目につくのは、海岸の侵食を防ぐために設置されたコンクリートの堤防と波打ち際に沿って積み上げられた消波ブロックです。
海辺で暮らす住人の生活のために、このようなインフラが必要なことは理解できますが、それと引き換えに、陸と海との繋がりが断ち切られ、日本の美しい海岸線の景観が失われてしまったのは、何ともやりきれない想いがします。
砂浜の面積が減少していることも気にかかります。NATUREの定番撮影スポットでも、この40年の間に、堤防から波打ち際までの距離が、じわじわと短くなっているのを感じます。
「地球温暖化」によって海面が30cm上昇すると、日本の砂浜の半分が失われ、1m上昇すると、日本の砂浜の9割が失われてしまうというシミュレーション結果が報告されています。地下水や天然ガスの大量採取による「地盤沈下」は、海面上昇の影響をより深刻なものにしています。
現在収録している砂浜が、「かつて砂浜だった日本の海岸」の記録映像にならないように、ただ祈るばかりです。
もうひとつ気がかりなことがあります。それは、砂浜に打ち上げられた「ゴミ」が増えたことです。最近では、ペットボトルやプラスチック製品の残骸が、数多く目に付くようになりました。
打ち上げられたゴミは、日本のものだけではありません。波打ち際で「遠い国」から流れ着いたゴミを発見した時、海によって世界が一つに繋がっていることを、改めて教えられたような気がしました。
世界中の無数の河川が、そこに流されたあらゆるものを海へと運びます。そして、海は、そのすべてを受け入れ、循環するいくつもの「生命の環」によって、それらを浄化し、再生し続けています。
しかし、陸地からの排水や廃棄物の投棄などが増え続けて、この「自浄作用」は、もはや限界に来てしまっているように感じます。
人間の飽くなき欲望が作り出した、顔の見えない巨大な社会システムが、「地球生命体」が自らを自浄できないところまで、自然環境を破壊しまったのかもしれません。
現在起きている海面の上昇や異常気象などが、「地球生命体」の異変を告げる警告のように感じてしまうのは、私だけでしょうか。
今、「地球生命体」にとって一番いいのは、自分のことしか考えられなくなってしまった私たち人類が、地球から退場することだと言う人もいます。
海と対話しながら波打ち際を歩いていると、天変地異によって海底に沈んだと言わる古代アトランティス文明のことが、心に浮かんできました。
エドガーケイシーは、相談者の心の深層にある「転生の記録」にアクセスし、現代に生まれてきた多くの魂たちが、古代アトランティスの時代にも生まれていたことを明らかにしました。
アトランティス大陸の沈没は、肉体に囚われて物質の次元しか見えなくなってしまった人たちが社会を支配して、自己中心的な快楽と欲望を追求した結果、引き起こされたと、ケーシーのライフリーディングは伝えています。
この時と「同じ過ち」を繰り返さないために、私たちは今、高度な物質文明という同じ舞台装置が整えられた現在のステージに転生し、自らの魂と対話していると、ケーシーはライフリーディングで語っています。
「この世」で肉体を纏うことによって、私たちは、五感を通じて刺激に満ちた快楽の世界を体験し、過去世で出会った縁ある人たちと、再び出会うことができると言われています。
しかし、物質で出来ている肉体は必ず滅びます。この世を生きてゆくためのモビルスーツが「自分」だと思い込んでしまうと、「生老病死」の苦しみから逃れることができなくなります。
死すべき肉体を守ろうとする不安や恐怖心から「足ることを知らない欲望」が生まれ、自他を区別する心から「他者との争い」が生まれてきます。
この世に、戦争や力による支配、搾取や差別を作り出しているのは、「肉体が自分で、目に見える世界がすべて」と頑なに信じている「私たちの心」なのだと、覚者たちは説いています。
「物質に囚われた意識」と「利己的な科学技術」では、もはや地球上に山積している様々な問題を解決できないことを、私たちは心のどこかで感じ始めていると思います。
アトランティスの時代と「同じ過ち」を繰り返さないために、私たちに出来ること、それは、まず自分自身の意識を変えてゆくことではないでしょうか。
人間の本体が「永遠の生命を生きる魂」であることを、私たちの心が受け入れることができれば、生き方が変わり、それによって世界が変わる可能性があります。
力及ばずに、これから先、様々な天変地異が私たちを襲うことになるのかもしれません。しかし、肉体が滅びたとしても魂は不滅です。魂としての私たちは、その事態を試練として受け止め、魂を成長させるために、再び新しい転生のステージへと向かうことができるのです。
私たちは、この時代に生まれ、何を得て、何を失ったのでしょう。そして、これからどのような未来を選択しようとしているのでしょう。
「白砂青松」の面影を残す美しい浜辺の風景と対話しながら、私たちの来し方と行く末を、一緒に考えていただければ幸いです。
1980年から1990年代の日本の浜辺の風景です。
AIが復元した動画「白砂青松」
https://nature-japan.com/hakusaseishou/
Restored Version " White Sand Green Pines"
https://nature-japan.com/en/white-sand-green-pines/
10ヶ月続いた特集「AIが復元した動画」シリーズは、今回で終了となります。
ご視聴ありがとうございました。
2023/9/6
Comment
■「白砂清松」を観て想う━
「何事のおはしますおば知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」
(西行)
水に、踊る妖精、波に、うねる龍、雪に、舞う白い花を観た、昔の人の気持ちが分かるような気になる映像詩━。
水と空気の透明感、太陽の優美さ、海の豊饒な静けさ…たった30年前に比べ、今の自然が泣いているようです。自然を守り、子供たちに遺す、私たちの責務を思いました。
太陽から幾条にも降ってくる浄光、宗教心などなくとも、そこはかとなく荘厳な気配を感じる━素朴な感動があって後に信仰とか宗教という形になったに過ぎないのでしょう。太陽の向こうに大きな何か、サムシング・グレートを感じた縄文時代の人々と同様に、私たちもまた、自然から、人として生きる理と智慧を学ぶことができると確信しました。神は、人間にとって必要なものはすべて生まれる時に与えていると、昔、聞いたことがあります。美しい自然を観て、本当にそう思えてきます。もう、何もいらないですね(笑)。
「海は、すべてを受け入れ、循環するいくつもの生命の環によって、それらを浄化し、再生し続けています」━。「海」という字の中に、母が、あるように、いのちの母胎、あらゆる個性を一つに結び新生させる海の愛と叡智こそが、今、必要とされているのでしょう。海は、永遠の女性性の象徴、━知に溺れ欲望の限りを尽くした私たちを救う力は、「永遠に女性なるもの、我らをして高く昇らしむ」━
“Das Ewing-Weibliche ( Eternal Womanhood)Zieht uns hinan (Draws us on high.)” --Goethe Faust ゲーテ『ファウスト』
Akira
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