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愚老庵ノートSo Ishikawa

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「命の輝き」Part 1

「命の輝き」Part 1

11月のNATURE通信をどこで収録しようか考えている時、テレビから中禅寺湖の紅葉風景が目に飛び込んできました。急激な冷え込みのせいか、今年の紅葉は例年になく色鮮やかに輝いていました。

地元の写真家の方が、これまで撮影してきた紅葉の写真を紹介しながら「私のベストショットは、千手が浜の夜明けです」とコメントしていました。

ちょうど「紅葉と落葉」をテーマに日光に行こうと思っていた矢先だったので、これは見えない世界からのナビゲーションに違いないと感じ、夜明けの千手が浜を目指すことにしました。

千手が浜は中禅寺湖の西端にあり、まだ車の乗り入れができた時代に何度か訪れたことがありますが、今この場所に行こうと思うと、バスか徒歩で行くしかありません。夜明け前にバスは走っていませんから、湖の北岸に沿って4キロの道のりを歩く覚悟をしました。

日の出は午前6時3分。太陽が顔を出す前に千手が浜に到着出来るように、午前4時前に、北岸にあるスタート地点、竜頭の滝臨時駐車場を出発しました。

時間が早いせいか、紅葉シーズンだというのに駐車場には車が一台も見当たらず、周りには全く人の気配がありません。懐中電灯の明かりを頼りに真っ暗な道を歩いているうちに、道を見失ってしまいました。

中禅寺湖の南岸を巡るコースは、歩きやすい平坦な道が続いているので、北岸もこれと同じような道だと思いこんでいたのですが、とんでもない間違いでした。千手が浜に向かう北岸の道は、アップダウンの激しいトレッキングコースだったのです。

交換レンズ3本と三脚の重さは7 キログラム、熊が出るかもしれません。この荷物を背負って真っ暗な知らない山道を行くか、中止して引き返すべきか、さんざん迷いましたが、見えない世界からのナビゲーションがあると信じて目的地に向かうことにしました。

標識を見つけ出して進んでゆくと、道はだんだん険しくなります。連続するアップダウンに足の筋肉が悲鳴を上げ、心拍数は上がり、呼吸がどんどん苦しくなってゆきます。

立ち往生しては休み、休んでは前に進むという状態を繰り返しているうちに、意識が朦朧としてきました。そして、山岳信仰の「修験道」のことが心に浮かんできました。

肉体が限界に近づき呼吸が苦しくなってくると、雑念が消えて瞑想に近い状態が生まれます。このような極限状態をつくり出すことによって、「修験道」は肉体の次元を解脱して魂の世界と出会う道を開きました。

もうこれ以上息が続かないという肉体の限界点を超えたところに「もうひとつの呼吸」が存在し、その呼吸によって不思議なエネルギーに包まれるという「境地」を体験した登山家やアスリートも多いのではないでしょうか。

肉体の極限状態で発せられた「祈り」は物質を超えた次元への道を開きます。魂の探求者達の間では、古来から「祈りは霊の呼吸」と言われてきました。

自分は今、霊の呼吸をしているだろうか。老いた肉体を守ることに執着し、霊の呼吸が弱々しくなっているのではないか、そんな思いが湧き上がってきました。

実はちょうど一年ほど前に、東京に出てきた友人と久々に酒を酌み交わしていた時に、突然意識を失って救急車で運ばれるという、生まれて初めての体験をしました。原因は血圧の急激な変動ということで、それ以来、処方された薬を飲んで毎日血圧を測るという生活を余儀なくされています。

年老いて肉体が衰えメンテナンスが必要になるのは仕方のないことです。しかし、肉体は魂の願いを具現するためのモビルスーツに過ぎないと私は思っています。肉体をひたすら守って生きながらえても、そこに魂の輝きがなければ、人生は虚しいものになってしまうのではないでしょうか。

目的地に向かって必死に歩き続けているうちに、朦朧とした意識の中に、黒澤明監督の「生きる」という映画のラストシーンが浮かび上がってきました。

それは、胃癌で余命宣告を受けた役所の課長が、生きる意味を自らに問い、人生の最後の時間を市民のための公園づくりに奔走し、完成した公園のブランコに乗って歌を歌うシーンでした。

「いのち短し恋せよ乙女 朱き唇褪せぬ間に 熱き血潮の冷えぬ間に 明日の月日は無いものを」 主人公がゴンドラの歌を歌う、このラストシーンに涙した方も多いのではないでしょうか。

人間は誰でも必ず死を迎えなければなりません。人は皆、生まれた時に余命宣告を受けているのです。しかし、日々の暮らしに追われているうちに、いつの間にか私たちはそのことを忘れてしまいます。

年老いると、否応なくこの余命宣告のことを思い出す機会が増えます。病気による余命宣告は受けてはいませんが、私の今生の余命も、だんだん残り少なくなってきたようです。

「命をかけても悔いがないと思えるようなNATUREと出会いたい。そしてそれを伝えたい」私の魂はそう願っています。

しかし救急車で病院に運ばれて以来、私は肉体を守ることを優先し、知らず知らずのうちに限界に挑戦することを避けてしまっていたのです。これでは、魂を揺り起こすような神秘的なシーンと出会うことはできません。

「たとえ意識を失って倒れても、NATURE で死ねるなら本望。行けるところまで行ってみよう」そう覚悟を決めました。

立ち上がって歩き出すと、苦しかった呼吸が楽になり、体が軽くなったように感じました。「もうひとつの呼吸」のゾーンに入ったのかもしれません。

しかし、千手が浜までは、まだ1 Km以上距離があります。時計の針は5時半を周り、周囲が明るくなり始めました。日の出前のシーンを撮る前に、目的地に辿り着けそうにありません。

坂を下ると視界が開けて小さな浜が見えてきました。対岸の山あいにかかった小さな笠雲が、朝日を受けて輝き始めました。よし、ここで収録しよう、迷わずそう決断しました。

日が昇ると、波打ち際に打ち寄せられた落ち葉が、波に揺られてキラキラと輝き始めました。その「生命のリズム」を夢中で収録して、ふと後ろを振り返ると、そこには色鮮やかに紅葉した楓が立っていました。

樹々の葉は、枯れ落ちる前に色鮮やかに紅葉し、命の輝きを放ちます。自然は、人生が終わりを迎える前に、輝きに満ちた時間が訪れることを教えてくれています。

人生の秋を迎えた友人たちにこのことを伝えたくて、ここまでやってきましたが、まさにこのテーマにジャストミートする「紅葉と落葉」のシーンに出会うことができました。

私たちは今、人類史上稀に見る物質的な豊かさの中で生活しています。現代の日本というステージで「人生の秋」を迎えた少なからぬ数の人たちは、生活のために働くことから解放され、本当に自分が望んでいた生き方を探し求める千載一遇のチャンスを与えられているのではないでしょうか。

老いとともに肉体の衰えや病気という事態もやって来ますが、それは本当に大切なものに気づき、残された命を輝かせるための「神様の贈り物」だと私は思っています。

循環する生命の環の中で、死があるからこそ生は輝き、終わりがあるからこそ人生を輝かせることができるのです。

千手が浜には辿り着けませんでしたが、「命をかけても惜しくないシーン」と出会うことができました。これは、見えない世界のナビゲーションを信じて最後まで頑張ったご褒美なのかもしれない、そう思うと心の底から嬉しさが込み上げて、涙が溢れてきました。

「明日死ぬ者の如く生きよ」人生の秋を迎える大切な人たちに、「紅葉と落葉」のシーンと一緒に、聖書にあるこのキリストの言葉を贈りたいと思います。

 

今回のロケの風景はこちらから

NATURE通信 October 2023 「紅葉と落葉」
https://nature-japan.com/cat_nature/nov2023/

中禅寺湖のMapと撮影ポイント
https://maps.app.goo.gl/jojx9sEcZ3YmAv99

2023/11/24

Tags:内宇宙の旅

Comment

  • Akira Ishibe:
    2023年11月24日

    「揺らめく紅葉」を観て想う。━この映像は、石川さんのNATUREの中でも、傑作の一つだと。

    紅、紫、赤、黄、……光の変化、風の移ろい、千変万化する同じ葉の姿は一瞬たりともない。諸行無常、諸法無我にして、涅槃寂静の実相、よくもここまで見事に表現された自然の心を捉えたものである。━感動してノートを読み、傑作が生まれた背景に触れて、深く得心した。

    「命をかけても悔いがないと思えるようなNATUREと出会いたい。そしてそれを伝えたい」。願いに突き動かされ、肉体と自我を超えて解き放たれた自由=空の心に自然の力が流れ込み、撮らせてくれたのだろう、━としか思えない、自然の神秘、美の極致が、掬い取られている。日本の自然が見せる、異次元の美に感謝した。

    人か物か、自然を、命を懸けて愛する至福は、人間から最高の可能性を引き出す━。心理学、教育学を探究してきた者としての結論である。学問は、愛がもつ人間の潜在力を引き出す力について、真正面から研究してきていない。石川さんの作品と創作活動は愛と生命開花の真理を証明するかけがえのない一事例である。

    「命みじかし恋せよ乙女」━歳を取ることで、美しくも切ない詩の意味を味わえるのがまた有り難い。愛は、時空を超えて永遠に生きる。

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