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愚老庵ノートSo Ishikawa

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雪の中の焚き火

雪の中の焚き火
「 焚き火の準備ができたので、来ませんか」 6年前に遠野に移住した友人から誘いがありました。
 
この友人は清水敬示さんという建築家で、自然環境と共生する「微気候デザイン」による住まいづくりを提唱し、遠野でその活動を実践しています。
 
清水さんと最初に出会ったのは1990年、バブルが崩壊する少し前のことでした。ミサワホームから、地下空間の環境映像に NATURE作品を使いたいというオファーがあり、そこで出会った担当責任者が、清水さんでした。
 
あれから30年、不思議な「ご縁」で、清水さんとは何度も一緒に「弥次喜多道中」を続けることになりました。
 
最初の道中は、土地探しでした。「微気候デザイン」に共感し、清水さんにオフィスと自宅の設計をお願いしたのですが、その時「住まいは環境で決まる」という清水さんのこだわりで、一緒に2年間も、不動産屋さんがあきれて匙を投げるほど「土地探し」をしました。
 
次の道中は、動画づくりでした。清水さんから微気候デザインのビデオ制作を依頼されたのですが、今度は私が仕上がりにこだわり、制作費と締め切りを度外視して、二人でとことんコンテンツを作り込むことになりました。
 
そして極め付けは、「自然と共生する日本の住まいの知恵を訪ねるフィールドワーク」でした。清水さんと二人で、日本全国に散在する日本の伝統的家屋とそれを取り巻く自然環境を20ヶ所以上も訪ね、記録して回ったのです。
 
これは、微気候デザインとNATUREのコラボの旅になりました。「家屋」まわりを撮る時は清水さんが監督で私がアシスタント、周囲の「自然」を撮る時は、私が監督で、清水さんがアシスタント、そんな「弥次喜多道中」を、数年間続けました。
 
この「道中」で、清水さんは若かりし頃、カナダの最高峰マウントローガン(6054m)から世界で初めてスキー滑降し、新聞に載ったこともある「山男」だったことを知りました。
 
極限状態をサバイバルしたこの時の体験によって、「周囲の気象を読む」研ぎ澄まされた感覚に目覚めたという話を聞いて、「微気候デザイン」のルーツはそこにあったのかと、合点がいきました。
 
それと同時に、同じ「自然が大好き」同士でも、「自然」に何を求めているか、清水さんと私のスタンスの違いも明らかになってきました。
 
清水さんは、アウトドアライフが大好きで、自然を楽しみながら、自然と共生する知恵を現代の暮らしに活かす道を求めています。
 
石川さんはシティボーイだからと、よく清水さんにからかわれましたが、私は登山やアウトドアライフには、あまり興味がありません。
 
私が惹かれているのは、人間の力をはるかに超えた自然の神秘的な風景であり、その景色と出会えることが無上の喜びで、それを動画で伝えるのが私のミッションだと思っています。
 
清水さんが、現代のテクノロジーを駆使して自然と共生する暮らしを実践しようとする「現代の風水師」だとすれば、私は、言葉が信じられなくなったこの時代に、映像技術を駆使して「神さま」の存在を伝えようとする「現代の伝道師」なのかもしれません。
 
「求めているもの」の違いを超えて一緒につくれるコンテンツはないだろうか、道中でそんなことを話し合っているうちに、そこに降りてきたのが「焚き火」というテーマでした。
 
NATUREで焚き火?と思われる方もいらしゃると思いますが、心の旅に出るための自然動画にとって、「焚き火」はとても魅力的な題材です。
 
私たちは狩猟採集をしていた原始時代、外敵から身を守るために焚き火の周りに身を寄せ合い、暖を取りながら長い夜を過ごしてきました。焚き火を眺めていると、私たちのDNAに刻み込まれたこの「遠い記憶」が蘇ってくるような気がします。
 
「焚き火」の動画は、自然と共生する「環境インテリア動画」にもなりますし、心の旅に出るための「NATURE作品」にもなります。
 
「焚き火」の試作を始めたのは10年前でした。暖炉の薪を、燃え始めてから燃え尽きるまでノーカットで収録したり、河原で焚き火をしたり、いろいろと試行錯誤しましたが、今ひとつ満足のいく結果が得られませんでした。
 
清水さんが遠野に拠点を移してから、ずっとペンディングになっていましたが、6年ぶりに「焚き火」で「弥次喜多道中」が復活することになりました。
 
今回の撮影場所は、遠野のクイーンズメドウ・カントリーハウス。早池峰山の南側に広がる新宿御苑と同じ広さの里山で、牧草地に馬たちを放牧し、それに連なる田畑で、試験的に有機農業を営んでいるロケーションです。
 
清水さんが、アドバイザーとして此処の活動をサポートしていることもあり、この場所で思う存分「焚き火」をさせてもらうことになりました。
3月2日深夜、アイサイトを搭載した新しいレガシーを駆って、遠野まで7時間の「ひとり旅」に出発しました。
 
7時間連続で運転するのはさすがにキツいので、途中、いわき市の薄磯海岸で早朝の風景を撮影し、ひと休みしてから東北道をひたすら北へ向かいました。
 
「雪が降る中で焚き火のシーンが録りたい」今回はひたすらそう祈っていたのですが、東北道ではずっと、雲ひとつ無い晴天が続いていました。
 
半ば諦めかけていると、岩手県に入ったあたりで天気が急変し、何と雪が降り始めたのです。まるで「見えない世界」が、弥次喜多道中の復活を祝福してくれているかようでした。
 
今回燃やす薪は、里山で育ったハンノキ。清水さんが「焚き火」の撮影のために、伐採して乾燥させておいてくれたものです。
 
勝手知ったるNATUREの収録、清水さんは、風向きから背景まで考えて撮影ポイントをリサーチし、準備万端で迎えてくれました。
 
雪の中の焚き火は圧巻でした。降る雪は風と炎に舞い、風を受けた薪は勢いよく燃え上り、その炎は大地に積もる雪を照らし出します。
 
雪と風と火と樹木が一体となって造り出す「大自然のドラマ」は、暖炉の火では見ることができない神秘的な世界を、随所で垣間見させてくれました。
 
環境映像として使われたとしても、この動画は、見てもいいし見なくてもいいというこれまでの環境映像の概念を超えたコンテンツになる、そう確信しました。
 
雪の中の焚き火は、微気候デザインとNATUREのコラボによって、新しいコンテンツが生まれる可能性を実証してくれました。
 
これは、10年経っても「約束」を忘れず、何から何まで準備してくれた清水さんの存在と、ここまでずっとナビゲートし続けてくれた「見えない世界」の助力があってはじめて実現できたことです。
 
只々感謝あるのみです。願わくは、夏と秋のシーズンにもこの地を訪れ、この「焚き火の世界」を、もう少し極めてみたいと思います。
次の日の朝は快晴でした。昨日降ったばかりの新雪を踏みしめながら、清水さんがロケハンしておいてくれた撮影ポイントへ向かいます。
 
風が吹き抜けると、雪を冠った木々からサラサラの粉雪が、次々と舞い落ちてきます。この繊細なパウダースノウの舞いは、高精細な4Kカメラがその威力を発揮する絶好のチャンスです。我を忘れて収録モードに突入してしまいました。
 
「雫り雪の世界」にハマってどのくらい時間が過ぎたのか、清水さんがニコニコ笑って、「ひと休みしませんか」と声をかけてくれました。
 
アルミの断熱マットを敷いて雪の上に腰を下ろすと、清水さんのザックから温かいお茶とお菓子が出てきました。
 
一仕事終えて、雫り雪が舞う絶景に包まれながら飲むお茶の美味しさ。これは茶室や都会のカフェでは到底味わえない極上の体験です。清水さんが求めている世界の素晴らしさを、実際に体感させてもらいました。
 
私にはこれまで、このような時間を楽しむ余裕がありませんでした。それは、かつて宮大工が、神社仏閣を建てる仕事に取りかかる前に斎戒沐浴したように、NATUREを収録するために、「楽しむこと」を避けていたからです。
 
肉体がつくり出す煩悩を離れなければNATUREは録れないという、修行僧のような収録スタイルが、いつしか当たり前のようになっていました。
 
「せっかく肉体を持ってこの世を体験しているのに、五感でしか味わえない自然の素晴らしさをどうして楽しまないのですか」今回の弥次喜多道中では、そんな清水さんのメッセージが、これまでになくひしひしと伝わってきました。
 
そして、誰もが動画を創れる時代に、誰にも創れないNATUREを極めなければという気負いと、結果を出さなければというプロ意識に縛られて、心の余裕が持てなかった自分の姿が、焚き火の炎の中に浮かび上がってきました。
 
「私は、NATUREを楽しんでいるのだろうか」「子供のように無邪気に自然と戯れているだろうか」そんな想いが湧き上がってきました。
 
今年のNATUREは「焚き火」が、これまでにない新しいテーマになりそうです。遠野の地で「焚き火」を見つめながら、「善友」の言葉に耳を傾け、心のリハビリを楽しもうと思います。
今回のロケの風景はこちらから
 
NATURE通信 March 2024 「雪と風と焚き火」
 
清水敬示さんの紹介サイトです
 
クイーンズメドウ・カントリーハウスのサイトです

2024/3/22

Tags:NATUREへの道

Comment

  • T.doi:
    2024年3月24日

    焚火はずっと見ていても飽きませんね。心を癒してくれますし、心を無にもしてくれます。

    自然が作り出す芸術もいいですが、人が作り出す芸術もいいと思いました。石川さんが「ひと休みをする」という言葉を発せられたのが印象的でした。私は何においても「遊び心」満載なので、プロフェッショナルに徹してこられた姿に心を打たれます。

    神々しい世界は、自然に人がどう向き合っているかで感じられるものだと思いますが、いつもそのきっかけを映像で伝えていただいてありがたく思っています。

  • Akira Ishibe:
    2024年3月25日

    映像とエッセイを味わい、貴重な示唆に心洗われる想いがしております。

    「せっかく肉体を持ってこの世を体験しているのに、五感でしか味わえない自然の素晴らしさをどうして
    楽しまないのですか」。……
    「私は、NATUREを楽しんでいるのだろうか」
    「子供のように無邪気に自然と戯れているだろうか」。

    まだ、無邪気な純粋さを抱いていた頃、春の菜の花をみて、突然、至福に包まれる。紅葉の深い赤に美を感じ、心が吸い込まれる。湖面に煌めく漣の光に見入って時が経つのを忘れる。

    十歳に満たない幼少期に感じた自然の美と喜び、至福と感動が失われていったのは、学校に順応するようになってからだった。そこから、堕落が始まり、心は汚れ、無邪気な純粋さを見失い、無感動、虚しさ
    に心は覆われていった。太陽が、雲に隠れるように━。

    だが、50年たっても、野生の本心は消えてなかった。自分を超える大きなものがある。どれだけ暴れてものたうち回っても、支え、包み、受けとめてくれる自然があった。自然は、愚か者を、見捨てなかった。

    自然は、「楽しい」を教えてくれる。自然が、楽しんでいるからだ。いのちを愛しているからだ。自然に
    愛されているから、楽しい、幸せ、有り難いと感じる。どんな仕事も鍛錬も修行も、「楽しい」がなければ、人は成長しないという。自然に生かされている人間が成長する、潜在した種子が成長し開花するとき、人は、楽しく、嬉しく感動するように創られている。

    その原点を、NATUREの自然は、思い出させてくれる。石川さんのエッセイは、野生の本心に、響いてくる。「今ここ」に、完全燃焼する火のように、体と魂のあらゆる自然の「楽しい」を味わい尽くして生きたい。

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