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愚老庵ノートSo Ishikawa

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ビデオレターと作品集

ビデオレターと作品集

早いもので 、四季折々の生命のリズムをお届けする「NATURE通信」を始めてから、もうすぐ三年になります。

月に一度のこのビデオレターを制作するためにひたすら収録を続けてきたおかげで、NATURE JAPANのアーカイブには今、新しい作品集が創れるだけの多彩なシーンが蓄積されています。

実はこの三年間、「NATURE通信」の制作と「愚老庵ノート」の執筆に追われて、新しい「作品集」をつくる余裕がありませんでした。NATURE JAPANの活動もようやく軌道に乗り、やっと新しい作品集づくりに取り掛かれそうです。

「NATURE通信」があるのに、どうして「作品集」をつくる必要があるのでしょうか。「NATURE通信」と「作品集」の違いはどこにあるのでしょう。

「NATURE通信」は、四季折々の神秘的な「旬の自然」を動画で切り出し、「人工のリズム」に囲まれた現代の暮らしに「生命のリズム」を届ける、言わば自然からのビデオレターです。

移ろいゆく「自然の美」を切り取ったNATURE通信の動画作品は、ひとつひとつ単独で見ると「儚さ」や「無常」を想起させることがあるかもしれません。

しかし、四季という大きなサイクルで、収録されたアーカイブ全体を眺めた時、そこには、目に見えない「もうひとつの自然」が見えてきます。

それは、誕生と死という「生命の循環」を造り出し「無常」の奥に在って変わることのない「永遠の生命」の存在です。

NATURE JAPANに「作品集」が必要なのは、すべてがひとつに繋がった地球生命体の「生命のネットワーク」と、この大きな「生命の循環」を伝えるためなのです。

日本古来の芸道で使われている「序破急」という概念があります。この言葉は、雅楽から生まれたと言われています。

緩やかな導入部、変化に富んだ展開部、急速な展開を見せる終章、時間軸を持つという意味では、動画づくりは、音楽に近いのかもしれません。

自然は、この「序破急」のリズムに満ち溢れています。寄せてくる波が砕けて浜辺に打ち寄せるシーン、一陣の風が花を散らして吹き抜けてゆくシーン、変幻自在にその姿を変える渓流のシーンなど、NATUREの動画づくりでは、自然が造り出すこの「序破急」のリズムを求めて、収録を行なっています。

ひとつひとつのNATURE作品の時間は、2分から3分。「生命のリズム」に乗って小さな心の旅をするには、少なくともこの長さが必要だと考えています。

静止画を3分間ずっと見続けるのは、なかなか難しいものがありますが、「序破急」のリズムで構成された動画ならこれが出来ます。

作品集では、複数の作品を時間軸上に配置し、全体でひとつの世界を表現してゆきます。作品集の長さは、20分を目安にしています。

現代人が集中できる時間は15分程度という調査結果があります。多くの方々にモニターしていただきましたが、意識を集中して最初から最後まで視聴できるのは20分、この時間が限界のようです。

作品集を、連続したひとつの作品として視聴していただくには、この20分の時間軸に、もうひとつの大きな「序破急」を創り出さなければなりません。

自然界は、幾つもの「循環する生命の連環」によって造られています。水と大気の循環、季節の循環、生きとし生けるものの命の循環など、この生命のサイクルに沿って作品集を構成してゆけば、そこに自ずから大きな「序破急」が生まれてきます。

時間軸上に並んだ動画の印象は、前に置かれた動画に影響されます。暗いシーンの後では、明るいシーンが際立ちます。明るいシーンが続くと、次に来るシーンは明るく見えません。

音についても同じことが言えます。静かな音をより静謐に感じてもらうためには、変化のある大きめの音を、そのシーンの前に持ってこなければなりません。

少し長い動画を制作する時には、時間軸をデザインするためのこのような動画編集の技が必要になってきます。

「NATURE通信」では、旬の自然の臨場感を大切にするために、現場で収録した音をできるだけ加工せずに再現するようにしていますが、「作品集」では、音のつくり方が変わります。

表面意識を惹きつけるインパクトのある「音場」から、深層意識を旅するための抽象的で余白のある「音場」へ、「作品集」では、視聴者を現実の世界から見えない世界へとナビゲートする「音づくり」が求められます。

デジタルの世界と違って、時間軸のデザインに正解はありません。何度も試行錯誤してみて、結局元に戻ることも多いのですが、完璧につくり過ぎないよう、そこにどんな「遊び」を生み出してゆくか、それが今、私の課題になっています。

時間軸に動画をデザインしている者として、この頃気になっていることがあります。それは私たちの暮らしから、「空白の時間」がどんどん失われていることです。

ヒットソングは、早いテンポで息つく暇もないほど音符を詰め込み、アニメはクローズアップと短いカットで埋め尽くされ、インターネットからは絶え間なく刺激的な情報が送られてきます。

競って隙間を埋めようとするこのようなトレンドの背景には、時代が抱える「不安」が見え隠れしているように感じます。

私たちは今、破局に向かって加速度的にスピードを上げる激流のような時代を生きています。急激な環境変化によるストレスと未来に対する漠然とした不安を抱えて、毎日を生きている人も多いのではないでしょうか。

人は得体の知れない不安を感じた時、その時間を何かで埋めて、考えないようにすることで自分を守ろうとします。

私たちの周囲には今、不安な時間を埋めるための魅力的な刺激や情報が、いやというほど溢れています。そして無自覚にそれに反応しているうちに、ふと気がつくと私たちの周りからは、「空白の時間」が消えてしまっているのです。

「空白の時間」が失われてしまうということは、自分と向き合う道が閉ざされ、「見えない世界」との繋がりが絶たれるということです。

日本古来の伝統文化で、先人たちが大切にしてきた「間」や「余白」は、現実の世界の中に、見えない世界を垣間見せるための「空白の時間」でした。

能や狂言、茶の湯、剣道や弓道など、「道」を極めようとした芸道が生まれたのは、戦国乱世の時代です。明日をも知れぬ殺伐とした時代だからこそ、人間の本質を問う「道」を求める文化が生まれてきたのだと思います。

私たちも今、未来に希望を持てない不安に満ちた時代を生きています。このような時代に生まれてきたのは、私たちの魂が人間の本質に立ち還ることを願っていたからではないでしょうか。

「人間とはどのような存在なのか」「私たちは、何のために生まれてきたのか」日本の伝統文化の底流に流れる「智慧」は、その解答へと向かう様々な「道」を教えてくれています。

私たちに今できること、それは「空白の時間」を取り戻し、自分との対話と「見えない世界」との繋がりを復活させることではないでしょうか。

NATUREの新しい作品集が、目に見えない大きな「生命の循環」を伝え、魂の故郷に回帰する心の旅をナビゲートできるよう、老骨に鞭打ってもうひと頑張りしようと思っています。

 

動画の桜の見所は散り際です
循環する生命がつくり出す「無常の美」の世界を楽しんでください
 
NATURE通信 April 2024 「散る桜」
https://nature-japan.com/cat_nature/apr2024/

2024/4/24

Tags:制作ノート

Comment

  • Brian Amstutz:
    2024年4月26日

    The old wisdom of the Americas,
    before my pale ancestors arrived,
    was to fear and respect
    the four directions of the cycle of life—
    east, south, west, and north.

  • Akira Ishibe:
    2024年4月28日

    Seeing cherry trees in full bloom,
    I remember various things in my life. –Basho
    さまざまなこと 思ひだす桜かな 芭蕉

    NATURE JAPAN「散る桜」に、花の巡りを人生に重ね、永遠なる生命の循環を想う━。石川さんに、感謝!

    無心、透明、純粋に、花のいのちを、あるがままに写し撮る、映像と音響による桜の饗宴━。美しい。

    主人公は、花━。人間は、器(うつわ)である。器は、中が空(から)だから、花を飾るのに役に立つので、我(が)が、中にあると、邪魔になる。

    芸術表現に、無我・無心が尊ばれる理由━。自我も、自然に奉仕する、自然に溶け込み一つになって楽しみ戯れ遊び、無心に目覚めて、いのちの喜楽を謳歌する。NATUREの映像は、自然と人間が一つと、余白で物語る。

    私の故郷、美作の津山城も、満開の千本桜で彩られる。花見では、重箱の料理と酒を皆で楽しみ語り歌い合う。街角で、新しい学生服の子供に会うと、中学生の頃の想い出が甦る━。永遠なる循環の中に、いのちはある。

    愚老庵ノート、感動しました。気づかせて頂いたことを脳科学的に表現すると、次のようになります。

    日本人の使命とは、左脳(知識・技術・論理・言葉、思考・理性・知性)と右脳(直観・つながり・全体・一体、瞑想・悟り・涅槃)を協働させ、全脳開花し、西洋と東洋の融合・調和・創造による人類の進化に貢献する先駆けとなることである。

    愚老庵の作品集、挑戦に、心からエールを送ります。

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