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愚老庵ノートSo Ishikawa

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40年ぶりのプロジェクトX

40年ぶりのプロジェクトX

「出会いは人にはつくれない」という言葉がありますが、このところ昔の仲間とのワクワクするような出会いが続いています。

つい先日も、私がまだ30代の頃、ビクターという会社で、画の出るレコード(VHD)のコンテンツ開発をしていた時代に、一緒に発売作品づくりをした技術クルーが、40年ぶりに訪ねて来てくれました。

再会した瞬間、懐かしさがこみ上げてきて、意識があっという間に時空を飛び超えて「あの時代」にタイムスリップしてゆくのを感じました。

40代以上の方なら、「VHSかベータか」という家庭用VTRの規格争いが、世間を騒がせたことを覚えていらっしゃるのではないでしょうか。

あの時代、VHSでソニーのベータマックスを制したビクターは、勢いに乗って、画の出るレコード VHDを世に送り出しました。

今度はパイオニアが開発したレーザーディスク(LD)との規格争いになりましたが、VHDは LDに敗れ、市場からの撤退を余儀なくされました。

規格争いではレーザーディスクが勝利したものの、魅力的なソフトウェアの供給が続けられずに、再生専用機であるビデオディスクプレーヤーは、「伝説のしくじり家電」としてコンシュマー市場から消えてゆくことになりました。

当時私は、映画でもテレビ番組でもないこの新しい動画出版事業の立ち上げに向けて、オリジナルコンテンツの開発していたのですが、心血を注いで制作した発売作品が世間の注目を集めることはありませんでした。

あれから40年、開発プロジェクトは解散し、制作スタッフもそれぞれが別の人生を歩むことになりましたが、今回40年ぶりに出会った北原大平さんは、ビデオエンジニアとして、ビデオ創成期のコンテンツづくりを支えてくださった方です。

当時ビクターは、放送局向けのプロ用のVTRとビデオカメラも開発していました。ビクターが初めて世に送り出すビデオカメラの試作品が届けられ、このカメラを使って作品づくりをしてほしいと言われました。

あの時代、放送業界では世界中どこに行っても、ソニーのビデオカメラが使われていました。国内ではソニーか池上通信機のカメラがスタンダードになっており、残念ながら後発のビクターのカメラの性能は、まだそのレベルには達していませんでした。

このカメラを使ってVHDのオリジナルコンテンツの目玉となる「環境映像」を制作することになったのですが、そこには数々のハプニングが待っていました。

当時のカメラはRGBの3色の撮像管の映像を重ね合わせて画像を作るのですが、自然のロケでは地磁気の影響で色ズレが起きてしまうのです。カメラの調整は、ビデオエンジニアの経験と勘が頼りでした。

色ズレの調整に時間がかかり絶好の撮影チャンスを逃してしまったり、撮影中に色がまわり始めカバーを開けて調整しながら撮影を続けたり、太陽が焼き付いて撮影できなくなったり、バッテリーが20分しかもたないので車のバッテリーに繋いで応急対応したり、今では考えられないような事態に次々と遭遇しました。

この時、カメラの「お守り」をして何度も収録の危機を救ってくれたのが、ビデオエンジニアの北原さんでした。

「愛していればカメラは裏切らない」こう言って、北原さんはロケ中ずっとカメラを抱いて寝ていました。アナログの映像制作技術が輝いていた時代の「伝説のビデオエンジニア」 あの時の北原さんの姿を思い出すと今でも胸が熱くなります。

人は一緒に力を合わせて困難を乗り越えた時の体験を忘れません。困難が大きければ大きいほど、その記憶は強く心に刻まれます。

同じ釜の飯を食った「戦友」は、あれから40年、私が諦めずに、ずっとNATUREをつくり続けてきたことを、我がことのように喜んでくれました。

そして、スタジオの65インチ4Kディスプレイに映し出された NATURE を視聴しているうちに、北原さんのエンジニア魂に火がついてしまったようなのです。

北原さんは私より5歳年上の81歳ですが、老エンジニアの目が輝き、あの時代の北原さんが甦ってきたように私には感じられました。

プロジェクトが解散した後、映像音響機器のシステムを製作する会社を立ち上げ、展博や施設空間づくりの仕事をしてきた北原さんには、NATUREを活用するビジョンが降りてきたのかもしれません。

翌日、北原さんからLINEで次のようなメッセージが届きました。「拝見した貴重な映像作品を、心療分野での新しい活用技法を開発して、世界に向けて提案しましょう!新しい世界が開けます。開きましょうよ!」

昔の仲間と40年ぶりに巡り合い、一緒にプロジェクトを組んで、同じ目的に向かうことになるとは、夢にも思っていませんでした。

年老いてからも、同じ目的に向かって一緒に歩める仲間がいるというのは、何よりも幸せなことだと私は思っています。

しかも、40年前に志半ばで終わってしまった仕事に、あの時の仲間と一緒に、再び挑戦できるとしたら、これはもう奇跡に近いほど幸せなことだと思います。

心療分野や終末医療、医療施設での環境づくりなどに、NATUREに秘められた未知の動画の力を活用していただければ、制作者としてこれほど嬉しいことはありません。

しかし医用動画の制作を通じて30年以上医療の世界と接してきた私には、それを阻む現実の厚い壁がいくつも見えます。きっとそれは、北原さんも同じではないかと思います。

もしかすると、生きている間にこのプロジェクトを成し遂げるのは難しいかもしれません。それぐらい難しいことに挑もうとしていることは、二人ともよくわかっているのです。

それでも、挑戦せずにはいられないのは、何故なのでしょう。それは同じ目的に向かって一緒に何かをつくりあげることの楽しさと、それを成し遂げた時の感動を、私たちの「魂」が記憶しているからなのではないでしょうか。

何かを「成す」ことではなく、ただ「成る」こと、目の前の成果を求めず、命を輝かせて残り少なくなった人生を生きること、その素晴らしさがこの世のどんな快楽にも優っていることを、「魂」は知っているのです。

神秘的な自然風景との出会いが、見えない世界の助力なしにはつくれないように、人との出会いも私たちにはつくれません。

「縁友往来」のコーナーを新設し、「愚老庵」が新しいステージに向かおうとする時に、このような出会いが与えられたのは、見えない世界からのエールのように私には思えてなりません。

「愚老庵」に集う縁友たちの間に、新しい出会いと交流が生まれ、魂の故郷に向かう様々な道が開かれること、そして、魂の願いが結集したプロジェクトが、「命の輝く場」と成ってゆくことを、心から祈っています。

 
今月の自然からのメッセージは、真夏のように照りつける強い日差しと
それを遮る雲が深緑の大地に造りだす光と陰翳のドラマです。

NATURE通信 June 2024 「初夏の光と影」
https://nature-japan.com/cat_nature/jun2024/

 

2024/6/24

Tags:NATUREへの道

Comment

  • 石部 顯:
    2024年6月24日

    「初夏の光と影」を、有り難うございます。
    一つひとつ映像を拝見しての感想です。

    ・空と海 寄せては返す 波の音に 
              光さして 人生を思う

    ・雨上がり 空の青に 雲の白 
            鳥の声まで 艶やかになり

    ・深山に 響く滝音の木霊にも
             仏の声聴く 古人を偲ぶ

    ・滝裏の 日差しに思う
              諸行無常に 涅槃寂静

    ・ゆく川の 流れは絶えず 新しく
            今ここにこそ 生きる白波

    ・光浴び 躍る緑の万華鏡
           天に木霊す ホトトギスの声

    美しい日本の自然に、感謝します。

    Akira

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