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愚老庵ノートSo Ishikawa

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友との別れ

友との別れ

先月末、大切な友人がまた一人、あの世に旅立ちました。旅立ったのは前回の「食の道を求めて」で紹介させていただいた食通の犬友、Mさんです。

胆管癌で医師から半年から一年という余命宣告を受けているのに、日本中を旅して美味しいものを食べ回り、行きつけのレストランや和食屋さんを一巡すると言って周囲をハラハラさせていたので、こんなに早く逝ってしまうとは思っていませんでした。

心ゆくまで食べたいものを食べ、自宅で最愛の家族に見守られて、あの世に向かうことができたのは、この世に思い残すことの少ない幸せな旅立ちだったと思います。

最期はガンが肺と肋骨に転移してその痛みが酷くて辛かったようなので、苦しむ期間が短くてよかった、私はそう思っています。

こう言うと、本人に少しでも長く生きてほしいと願う方々には、不謹慎に聞こえるかもしれません。しかし、幽体離脱を体験し「魂の世界」を垣間見てしまった私にとっては、これが偽りのない正直な気持ちなのです。

死は終わりではなく新しい旅立ちであり、「肉体」を去って「魂の故郷」へ帰還する新しい旅がこれから始まる。そう言ってもなかなか信じてもらえないかもしれません。

Mさんとは、かれこれ十数年の間、毎週末や休日、井の頭公園で犬たちと一緒に遊んできた間柄です。犬連れで旅行したり、美味しいレストランや和食屋さんに連れて行ってもらったことは、私にとって忘れられない思い出です。

この大切な犬友に、死後の世界のことや、魂が永遠の生命を生きることを、何とかして伝えたいと思ったのですが、どうやら最後まで信じてもらえなかったようです。

それはMさんが、この世で成功者の道を歩んできたからかもしれません。日本を代表する一部上場企業に入社して、傾いた会社の再建に全力を注ぎ、アメリカ、ヨーロッパを股にかけてビジネスの世界を生き抜いてきた自信が、Mさんの死生観に大きな影響を与えている思います。

成功者を目指す人たちは、この世で価値があるとされる知識や技術、社会で成功するための術を身につけようと努力します。そしてその努力は、社会的なステイタスがなければ出会えない華々しい世界への切符を与えてくれます。

しかし、競争社会を生き抜くための武器や鎧を何重にも身に纏ってしまうと、物質の次元を超えた世界が存在しているということが、いつの間にか見えなくなってしまうのではないでしょうか。

そして、この世の熾烈な競争レースから降りた時、人は一炊の夢から覚めたように、生まれる前に見ていた魂の世界の風景を思い出すのかもしれません。

あの世に旅立つ二ヶ月ほど前、Mさんは FaceBookに以下のような記事を投稿していました。

還暦を過ぎ、高齢者の仲間入りをし、仕事を辞め帰属組織と肩書きが無くなる。一人の人間としての存在しか無くなると、色々な事を考え、自分の人生を度々振り返る。

自分の人生はどうだったか? 冷静に客観的に振り返れば、私は傲慢で、社会や組織、家族に対して不遜だった面が多々あると思う。人生、社会や組織で戦いに勝ち、成功への階段を登っていこうとする者にありがちな姿であろう。

今度々思うのは、「私は何のために生きてきたのだろう」という誰しもが人生の終盤や旅立ちの際に振り返る問いだ。生まれ変わったら、何をしてどんな人生を送りたいのか、今訊かれても寂しいが答えがない・・・

 

あの世に帰った時に、私たちが一番強く抱くのはどんな想いなのでしょうか。それは「後悔」だと魂の探求者たちは言います。

肉体を脱ぎ去った後、多くの人たちが、自分の本体が「魂」であったことを知って愕然とするそうです。そして、肉体に囚われて、物質の世界がすべてだと思って人生を生きてきたことに深い「後悔」を抱くと言うのです。

「この世に生まれてきた本当の目的を忘れてしまったという慚愧の念、そこから新たな願いが生まれ、その願いを原動力として、私たちは再びこの世に生まれ変わって来る」 多くの相談者たちの「魂の記録」にアクセスしたエドガーケイシーは、「転生」のアルカナについて、そう語っています。

魂の世界の記憶は、私たちが産道を通ってこの世に生まれてくる間に、肉体の五感が支配する顕在意識の意識下に沈み、すべて忘れ去られてしまうそうです。

「何のために生まれてきたのか」この世を生きる私たちは、その解答を思い出すことができません。しかし、私たちの魂はその「解答」を思い出させようとして、潜在意識の深層から、さまざまな苦難や挫折を引き寄せると、ケイシーは言います。

「自我」が築き上げた「安全で快適な砦」が崩れ去る時、その痛みと苦しみは想像を絶するものがあると思います。しかしこの「絶望」があるからこそ、私たちは自分の力をはるかに超えた神仏の世界に眼を開かれるのではないでしょうか。

仏教が説く生老病死の苦しみは、快楽を求め苦痛を排除しようとする「自我」にとっては、忌むべきものかもしれません。しかしその苦しみが、眠っている魂を揺り起こし、目覚めさせるためのものだとしたらどうでしょう。

Mさんは成功者の道を歩み、「私の趣味は妻」と言えるほど奥さんが大好きで、父親思いの優秀な息子たちに囲まれて、この世の幸せを満喫しているように見えました。

家族を心から愛し、家族からも愛されていたMさんにとって、突然の病によって、最愛の人たちと別れなければならない苦しみは、いかばかりのものであったでしょう。

余命宣告を受けてから、自分の人生を振り返るMさんからの長いLINEが入るようになりました。そこには、「最後だと思って美味しいものを食べまくってみても、何を食べても以前のような感動がない」という言葉も綴られていました。

それは病気のせいだけではないと私は思います。死を前にして、Mさんは肉体五感の世界で美食を追求する「空しさ」を感じていたのではないでしょうか。

「少し元気になったら自然の写真を撮ってみたいので、相談に乗って欲しい」そんなリクエストもありました。病気による痛みと死に対する不安の中で、Mさんは自然の風景の向こうに「物質の次元を超えた世界」があることを感じ始めていたのかもしれません。

「生まれ変わったら、美術、音楽、宗教、哲学などを学び、もっと知性を磨きたい」死後の世界や魂の存在など信じないと言っていたMさんが、そんなことを語るようになっていました。

Mさんが求めていたのは、肉体と魂の関係とこの世とあの世の実相を明らかにする本物の「智慧」だったのではないか、私は勝手にそう解釈しています。

痛みが酷くなり食欲も落ちて無理やり食べているという連絡を受け、すぐにお見舞いに行こうと思いました。週末は息子さん達とゆっくりと過ごしたいのではないかと考え、翌週早々に伺うことにしていたのですが、容体が急変し日曜日の明け方、Mさんはあの世に旅立ってしまいました。

少し前に一緒にお酒を飲んだばかりだったので、こんなに早く逝ってしまうとは思いませんでした。もう一度会って別れを告げたかった、私の中にはそんな悔恨の想いが残りました。

葬儀の翌週、私はNATUREの収録で戸隠の鏡池のほとりにいました。そして夜明けを待っている間、 ずっとMさんのことを考えていました。

戸隠連峰にかかった雲がオレンジ色に染まり始め、録画を開始した時、遠くの湖面から一羽の白鷺が飛び立ち、羽ばたきながら私の方に近づいてきました。そしてカメラの前でゆっくりと旋回して、画面からフレームアウトしてゆきました。

Mさんが別れを告げにきてくれた! 何故か私にはそう感じらました。Mさんの笑顔が心に浮かんできて、思わず胸が熱くなりました。

白鷺は再びフレームインし、別れをを惜しむかのように大きな弧を描いて旋回し、西の空へ飛び去ってゆきました。

さようならMさん。少し先になるかもしれませんが、私も後から逝きます。あの世で犬達に囲まれて、ゆっくりと話の続きをしましょう。

 

https://nature-japan.com/post_nature/tsushin-sep2024-1/

 
 
今月のNATURE通信は、夏の終わりの山野の景色をお届けします。
NATURE通信 August 2024 「夏の終わりに」
https://nature-japan.com/nature-tsushin/

 

「縁友往来」に新しい投稿があります。空海の描いた曼荼羅の世界についての寄稿です。
心とは何か━意識の究極を描いた空海の「秘密荘厳住心」
https://grow-an.com/mate/mate-012/
 
「縁友往来」に寄稿される方は、「お問い合わせ」から庵主にご連絡ください。皆様のご参加をお待ちしております。

 

2024/9/25

Tags:内宇宙の旅

Comment

  • 石部 顯:
    2024年9月27日

    石川さんと、他界されたご友人との対話が綴られた「友との別れ」は、私たち誰もが、いつかは体験することであり、人生とは何か、幸せとは何か、死とは何かについて、考えさせられたことのある方には、ぜひ味わってみていただきたい珠玉のエッセイです。

    併せて、映像「白鷺の飛翔」も、ご覧いただきたい、日本の美ベストオブベストの一品だと思います。日本の自然、文化、日本人のルーツに関心のある方にも、お薦めします。

    鏡池に、空の青、山の緑が、線対称に映り、二つの世界を、楽しく飛翔する鷺の白さが、
    一度見たら、忘れることのできない響きを湛え、こころの深淵に波紋を起こし、遠い記憶と懐かしい情動を呼び覚まされる気がしました。

    自然の山、空、雲が、あの世の「実(じつ)」とすれば、鏡池の水面に映った世界が、この世の「虚(きょ)」に当たるのでしょうか。白鷺は、魂で、あの世の「空(そら・くう)」から、この世の「色(いろ・しき)」に現れ映り、しばし過ごして後、あの世へと帰りゆく━。空即是色、色即是空のことわりを、自然と言葉で、美しく物語って下さいました。ありがとうございます。

    石川さんが、若い頃に没頭された、現代スピリチュアリズムの祖スエーデンボルグの言葉を、ご友人の魂に、捧げたいと思います。

    「喜びと快楽とは、私には決して拒否されてはいないと主張することができる。なぜなら、私はこの世に住んでいる人々のように、単に肉体と感覚との快楽を楽しむことを許されているのみならず、大いなる、微妙な生活の歓喜と幸福をも、楽しむことを許されているからだ」。━それは、私たち誰にも許され、ただそれに気づくこことだけが待たれている、ほんとうの(全体的な=whole,聖なる=holy)幸福だと思います。

    Akira

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