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愚老庵ノートSo Ishikawa

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リタイア後の人生を考える

リタイア後の人生を考える

今年の年末に、喜寿を迎えます。昭和、平成、令和と、よくぞ77年間も、激変する時代を生き延びてこられたと思います。

企業が生き残りを賭けて巨大化してゆく時代に、「寄らば大樹」という生き方を選択をせずに、「自分が納得できる人生を歩みたい」という願いを、かろうじて貫いてこられたのは、奇跡に近いことではないかと思っています。

私が「今の私」になるために与えられた数々の「出会い」と「見えない世界の加護」にひたすら感謝しながら、残された「この世」の時間をどう生きてゆこうか考えています。

今から2年前、私は40年間続けてきた、クライアントの動画コンテンツをオーダーメイドでデザインし制作するという生業をリタイアしました。

仕事を辞めてお金を稼がなくてもよくなると、「この世」の利害やしがらみに縛られることのない自由な時間が手に入ります。

有り余る時間を手にした時、私は少し戸惑ってしまいました。それは、物心ついてからずっと「この世」の生存競争の中を走り続けてきたために、このような時間を手にしたことがなかったからです。

企業戦士として生きてきた友人たちの中には、リタイアというゴールに辿り着くやいなや、力尽きて倒れてしまう人が少なくありませんでした。ようやく自由な時間を掴んだのに、そこで人生を終えてしまう無念さを思うと、本当に心が痛みます。

しかし生き延びても、試練が待っています。敷かれたレールの上で課題を与えられることに慣れてしまった私たちは、レールが全く無くなった時に、どうしたらよいか分からなくなってしまうのです。

やっと手に入れた「自由な時間」をどのように使うのか、それを自分で考え自分の意志で選びとらなければなりません。

多くの人たちはこの時間を、これまでやりたくてもできなかったことのために使います。旅行やグルメ、趣味やコレクションなど、自分の好きなことに好きなだけ没頭できる「贅沢な時間」は、私たちを幸せな気分にしてくれます。

しかし、その幸せはずっと続くわけではありません。ふと我に返ると、いつの間にか自分の「居場所」が無くなっているのに気づきます。

仕事一筋で生きてきた人の多くは、地域のコミュニティにも、趣味のサークルにも、そして家庭にすら、自分の「居場所」をつくってきていません。やがて仕事で繋がっていた人たちとも疎遠になり、学生時代の友人たちも次々とあの世へと旅立ってゆきます。

新しい「居場所」をつくろうとすると、それなりに勇気とエネルギーが要ります。「いまさら嫌な人とは顔を合わせたくない」「面倒なことはもうたくさん、一人で気楽な生活を楽しみたい」そう願う人たちは、敢えて社会に新たな「居場所」をつくろうとはしません。

この時代、社会から孤立して自分一人の世界に引きこもっても、インターネットで繋がったバーチャルな世界や動画配信サービスが、有り余る時間を埋めてくれます。しかし、自分だけの世界で好きなものを追うのに疲れた時、心の隙間から居場所が無くなった「寂しさ」が顔を覗かせます。

「自分はもう必要とされていないのではないか」「自分は終わってしまった人間なのかもしれない」ふとそんな想いが浮かび上がってきます。そして、このネガティブな想念を増幅するのは「老い」です。

老いて肉体の機能が衰えてゆくと、これまで当たり前にできていたことができなくなります。人の名前が思い出せなくなり、知っていたはずの知識や記憶が剥がれ落ちてゆきます。

老朽化した体にもあちこちメンテナンスが必要になります。病院通いと薬が日常となり、やがて周囲の人達の介助なしには生きていけなくなる日々が待っています。

このような状況の中でこれからの人生を考えようとすると、どうしても明るい未来が描けなくなってしまいます。「肉体だけが自分であり死ねばすべて終わり」そう思っている限り、朽ち果ててゆく人生に希望を見い出すことはできません。

しかし、人間の本体は「魂」であり、肉体が滅んでも私たちの「意識」がそのまま、魂の世界で「新しい旅」を続けるとしたらどうでしょう。

私たちが願っていることが「意志のエネルギー」として魂に引き継がれ、何度も転生を繰り返してやがて必ず実現するとしたら、私たちの未来は希望に満ちたものに変わるのではないでしょうか。

「老い」が運んでくるのは、失うばかりの人生だけではありません。私たちが誰かの助けを必要とする時、そこに新たな絆が生まれたり、これまでの関係が結び直されたりします。

老いを受け入れるのは辛く惨めなことです。しかし、自力だけでは生きてゆけなくなった情けない自分を受け入れた時、そこには不思議な心境が開けてきます。

自分を支えてくれている人たちへの感謝の想いが湧いてきます。そして「見えない世界」に生かされていることを素直に感じることができます。

自分を守るために築き上げた自我の強固な壁が崩れ去った時、私たちは「私たちを創造した大いなる存在」との繋がりを取り戻すことができるのです。そしてそこには、本当の自分の居場所があります。

時代は今、大きな転換期を迎えています。人間の飽くなき欲望がつくり出した巨大な社会システムが地球生命体の自浄作用によって破綻し始めたのです。

この事態を何とかしたいと思っても、老いた肉体は昔のように動いてくれず、無力感に打ちひしがれるしかありません。しかし、「魂」として、私たちにはできることがあります。

私たちが「永遠の生命を生きる魂」であることに目覚めることができれば、死を怖れなくてもよくなります。ありとあらゆるものがひとつに繋がっている大いなる「生命のネットワーク」に託身して生きることができれば、恐怖心が消えて私たちの心は安らぎで満たされます。

安らぎから生まれる心の波動は、音叉の波動が他の音叉を鳴らすように、次々と周囲に拡がってゆきます。数の力ではなく心の深層で起きる波動の共振で、世界を変えてゆくことができるのではないか、私はそう信じています。

11月20日、逆行していた冥王星が再び水瓶座に移動しました。破壊と再生の星が、これから19年間ずっと水瓶座に居続けます。冥王星水瓶座時代には社会の変革を迫る出来事が次々と起こります。

異常気象と天変地異、国家や組織の強権支配に対する革命、貧富の差が拡がる格差社会の変革、AIや最先端テクノロジーによる旧来の社会システムの崩壊と再生。これから先19年間、地球上で起きる様々な「破壊と再生」が、私たちに「魂の再起動」を促し続けるでしょう。

私たちの生き方にも「破壊と再生」の波が押し寄せてきます。リタイア後の人生をどのように生きるのか、方向を見失なって漂流しないためには、魂が引き継いできた「願い」に立ち返らなければなりません。

NATUREが伝える「自然の波動」と愚老庵が伝える「自然と共生する智慧」が、「魂の故郷」に還る道を見つけ出すための羅針盤になるように、朽ちてゆく肉体をいたわりながらもうひと頑張りしようと思います。

 

今月のNATURE通信は、水辺の秋が伝える「侘び寂び」の世界をお届けします。

NATURE通信 November 2024 「水辺の秋」
https://nature-japan.com/nature-tsushin/

 

「縁友往来」に新しい投稿があります。

鈴木大拙ー世界人としての日本文化の伝道者
https://grow-an.com/mate/mate-015/

大谷翔平「和の力」とトランプ圧勝━本物と覚醒の時代
https://grow-an.com/mate/mate-016/


「縁友往来」に寄稿される方は、「お問い合わせ」から庵主にご連絡ください。皆様のご参加をお待ちしております。

2024/11/26

Tags:内宇宙の旅

Comment

  • 石部 顯:
    2024年11月29日

    エッセイを拝読して、あるインドの賢人の言葉を思い出しました。

    「物事をどうにかして永続的なものに変えようとしてはいけない。
     生の本質は、変化だ。
     私たちは、本質とともに、道とともに、存在の究極の真理とともに、
     流れなければならない」

    悲しみの根本原因が、「どうにかして永続的なものに変えようとする」
    執着にあることが、腑に落ちました。自然、真理、生の本質である、
    「変化」に、抗い、逆らっているからです。

    生の本質、自然の法則である、「変化」の真理の流れとともに、
    「今ここ」に与えられている、豊かなものごとに気づき、
    喜び、楽しみ、ともに生きてゆきたいですね。

    永遠は、今ここ(過去・現在・未来は今の一点にあり、
    ここは、無限の宇宙空間とあの世につながっている)
    にしかないのですから━。

    Akira

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