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愚老庵ノートSo Ishikawa

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縁生の友にNATUREを伝える

縁生の友にNATUREを伝える

新しい年が始まってはや一ヶ月、天空の星々は「破壊と再生の時代」が始まったことを告げています。新しい時代の幕開けに向けて、今年はNATUREを「伝える」ことにもエネルギーを注ごうと思っています。

NATUREの世界を本気で「伝えたい」と思い立った時、「伝わらない」という厳しい現実が立ち現れてきます。

NATURE JAPANのアクセス数がどうして伸びないのか、「それは、伝えようとする相手とそれを取り巻く世界を知らなさすぎるからではないのか」そんなアドバイスをしてくれる友人がいました。

大学で教鞭をとっているその友人は「バイトの時間に追われ、仲間からのLINEに即レスしなければならない今どきの学生に、悠長にNATUREを見ている余裕など無い」と言うのです。

確かに、タイパに追われ講義や映画など、動画を倍速で見ることが当たり前になってしまった人たちに、NATUREの世界を伝えるのは難しいかもしれません。

三年前にNATURE JAPANを開設した時、「魂の故郷に還るための自然動画」と言っても何のことか理解してもらえないだろうと思い、「心身を癒すための自然動画」というイメージを前面に出すことにしました。

このイメージなら「人工のリズム」に疲れた人たちに、一日の終わりにシャワーを浴びるように「自然のリズム」を浴びてもらえるのではないかと考えたのです。

しかし、この目論見は見事に外れました。どうやら友人が言うように、伝えようとする相手と相手が生きる世界のことを知らなさすぎたようです。

今、日本の漫画やアニメが世界中の人たちを魅了しています。そこには未来に希望を見出せない理不尽な現実から逃れるための「もう一つの世界」があります。

夢や憧れ、抑圧された願望などを創作のエネルギーにして人間の想像力が創り出すファンタジーの世界、そこはあたかも、この世の様々な苦しみや制約から解き放たれた「解放区」のようです。

この世界で過ごす時間は、束の間かもしれませんが、日々の不安やストレスを解消し、明日に向かうエネルギーをチャージしてくれます。

漫画やアニメやゲームだけではありません。ライブコンサートや動画配信される映画やスポーツなど、私たちの身の回りには今、思わず「推し活」にハマってしまうような魅力的なコンテンツが溢れています。

これらのコンテンツとNATUREが、限られた一日の生活時間を奪い合うことになるとすれば、友人の言うように、残念ながらNATUREに勝ち目はなさそうです。

NATUREは、刹那的な快楽や官能的な満足を追うのに疲れて、本当の心の安らぎを求める人たちに、「魂の故郷」へ還る道をナビゲートするコンテンツを目指しています。

NATUREが目指す癒しは、肉体のリフレッシュや表面意識のストレス解消ではなく、魂の次元での癒やしです。視聴してくれる人が少なくなったとしても、そのことを正直に伝えなければと思いました。

しかしそれをきちんと伝えたとしても、NATUREの世界を理解してもらうのは、なかなか難しいようです。

それは、肉体の五感の世界で生きる私たちが、「かたち」になったものに魅せられて、その奥にある世界を感じ取ることができなくなっているからなのかもしれません。

動画はリアルな擬似体験を通して、人間の欲望にダイレクトに働きかけることができます。SNS上には今、表面意識を惹きつけ欲望を喚起しようとする無数の動画が飛び交い、あたかも「マインドコントロール合戦」の様相を呈しています。

テレビや映画に加えてインターネットの出現で、動画は今や、人間の感覚や感情、思考をコントロールする最強の武器になりました。今、この強大な力だけがスポットライトを浴びていますが、動画には「もう一つの力」があることをご存知でしょうか。

動画は、自然が造り出す「生命のリズム」を、顕在意識や潜在意識よりもっと深いところに内在する「魂の世界」にダイレクトに伝えることができるのです。

森羅万象がひとつのネットワークで繋がった「地球生命体の波動」は、肉体の次元に囚われてしまった私たちの魂を揺り起し、私たちが本当は何者なのか、魂の記憶を呼び醒ましてくれます。そしてそこには根源的な癒しがあります。

自然の動画に秘められているこの「未知の力」を知って欲しい、ひたすらそう願って発信を続けているのですが、スマホの画面に釘付けになって「この世の夢」を追う人たちには、なかなか気づいてもらえません。

多くの人に伝わらないという現実、それは「伝えようとする相手のせいだけなのだろうか」そんな想いが心の中に浮かび上がってきました。

伝わらないのは、伝えようとする自分の熱量が足りないからではないのか、自分の技量や境地が未熟なせいではないのか、「相手を知る」だけでなく、もっと「自分を知る」必要があるのではないか、そう感じました。

魂の世界に「生命のリズム」を伝えようとする時、これまで動画のプロとして身につけてきた「技」だけではどうにもなりません。それは、視聴覚を駆使して人間の心をコントロールする動画制作の「技」が、この世の肉体の次元でしか通用しないものだからです。

肉体を離れた魂の世界では、「かたち」になったものではなく、それを造り出した想念エネルギーが「波動」となって伝わってゆくと言われています。

何のためにそれをつくっているのか、それは「自分に注目して欲しいから」なのか、「人を支配したいから」なのか、「お金を稼ぎたいから」なのか、それとも「人を癒したいから」なのか。

魂の世界では、「動機」そのものが「波動」となって、天国から地獄まで、その波動に相応するあらゆる世界に伝わり、その世界と同通すると魂の探求者たちは言います。

NATUREを伝えるためには、それを制作しようとする自分の動機=想念エネルギーを「魂の故郷」の波動に合わせてチューニングしなければなりません。

NATUREを収録する時に、私は「祈り」をルーチンにしています。それは、「自我」がつくり出す様々な欲望を離れて、私自身が「魂の故郷」に還るためです。

雲の動きや木々のそよぎ、水の流れや潮騒の響きなど、「自然のリズム」に呼吸を合わせていると、自分という存在が、すべてがひとつに繋がった「地球生命体」の一部であることを感じられます。

「大いなる世界」に託身し、我を忘れて人間技ではつくれない神秘的な風景を収録している時、それは、私にとって何物にも変え難い至福の時間です。しかし、そのような出会いが、いつもあるわけではありません。

NATUREのロケの大半の時間は、大自然が造り出す神秘的な時空間を、カメラやマイクなど「この世」の道具を使って、限られた画面の中に抽出するための「試行錯誤」に費やされます。

「画づくり」をしている時、「自分の思い通りに完璧な画面をつくりたい」「今まで誰も撮ったことがないシーンを撮りたい」どうしてもそんな想いが湧き上がってきます。

このような想いに執われてしまうと、NATUREを制作しようとした本来の「動機」からどんどん遠ざかってしまい、「波動」があらぬ方向に迷走し始めます。

「この世」で生きている限り、自我がつくり出す「この世の価値観」から逃れることは難しいのかもしれません。しかし、動機そのものが波動となって伝わる世界では、「自我」の誘惑は、きっぱりと退けなければなりません。

人や社会との「横の関係」の中で比較したり競争したりすることなく、神仏の世界との「縦の関係」の中で「祈り」によって「自我」から解き放たれること、NATUREの世界を伝えるためには、そのプロセスが必要なのです。

目に見えない神仏の世界に託身する時、私たちは、この世の時間の中だけで性急に何かを成し遂げようとする意識からも解放されます。

NATURE JAPANを開設して三年、私の中では、アクセス数が思ったほど伸びないことが、ずっと悩みの種になっていました。

若い頃に、レコード業界やテレビ業界などマスメディアの世界を経験してきたために、「数の力で結果を出さなければ」という想いが、心の片隅に残っていて、それが私を苦しめてきたのかもしれません。

しかし、「祈り」が日々のルーチンになってくると、私の中で何かが変わり始めました。NATUREを収録する時だけでなく、伝える時にも「神仏の世界」に結果を託そうとする想いが強くなったのです。

そして、どこまで広く伝わったかよりも、どこまで深く伝わったかのほうが大切なのではないかと思うようになってきたのです。

最近、NATUREを初めて視聴してくださった方が、メールで以下のようなコメントを送ってくださいました。

この種の画像は初めて見ました。目で見え、音でも見えて、そして聞こえて来るようです。撮影者の、自然様、あなたにお任せしますという謙虚さ、辛抱強さ、対象物への愛情と一体感、一見目立たない、それらを可視化する技術の高さ。原稿執筆を中断し、感動し、楽しみました。
 
NATUREの世界を深く洞察したこのコメントに、私は驚き、感動しました。「わかる人にはわかってもらえるのだ」そんな嬉しさが込み上げてきて、大きく背中を押されたような気がしました。
 
まだ数は多くないかもしれませんが、この3年間で、NATUREの世界を「深く」理解してくださる方が、少しずつ増えているのを実感しています。
 
NATUREを伝えようとする願いは、様々な出会いをつくりだしてくれます。そして出会いは人にはつくれません。
 
「伝えることは、世界を知り、自分を知ること」この世にすでに張り巡らされた「縁生のネットワーク」を大切に耕しながら「自然と共生する智慧」を伝えてゆこう、改めてそう覚悟を決めました。
 
 
 
 

今月のNATURE通信は、富士山と木曽駒ヶ岳周辺をロケしました。

NATURE通信  January 2025 「冬暁の光」
https://nature-japan.com/nature-tsushin/

 

「縁友往来」に新しい投稿があります。

日本人の瞑想美ー自然の心、「繋ぎ・極め・和す」心情 by Akira
https://grow-an.com/mate/mate-019/

人間成長のマトリックス理論 by 流水
https://grow-an.com/mate/mate-020

 

「縁友往来」に寄稿される方は、「お問い合わせ」から庵主にご連絡ください。皆様のご参加をお待ちしております。

 

2025/1/27

Tags:NATUREへの道

Comment

  • 石部 顯:
    2025年1月31日

    数を求める、我々世代の宿命ともいえる衝動ですね。

    「数値理論」と、「共鳴理論」があるのではないでしょうか。

    数値理論とは、とにかく多い方がいい、多数が勝ち、
    多数にこそ価値がある、という今の時代を覆う価値観です。

    一方、共鳴理論は、深く掘り下げ、それが根源的な本質に
    至るなら、地下水脈でつながる人間と自然の意識に同通し、
    共鳴が起こり、結果的には、長く続き、広がることになる
    というものです。

    例えば、禅の歴史で、天竜寺の庭も創り、名僧とされる夢窓と、
    同時代の妙心寺の名僧・関山の話があります。夢想の弟子は多く、
    武士や商人、当時多くの人々が彼の基に集まり、隆盛を究めます。
    一方、関山の方は、数少ない弟子たちと徹底的に内界を掘り下げ、
    貧しい中、禅を通して研鑽を続けます。

    ある日、夢想が、関山のもとを訪れたところ、茶菓子を出す器もなく、
    関山は、硯のふたを、器の代わりにして出したといいます。その瞬間、
    夢想は、「ああ、わが法灯は、関山のもとに帰せり」(禅のいのちは、
    関山のもとに帰するだろう)と言ったと言われます。夢想の予言の通り、
    臨済禅の法は、関山の弟子たちを通して伝わり、江戸時代の白隠から、
    今日に至るまで、関山の流れをくむ人々によって受け継がれています。

    共鳴理論こそ、本物が伝わり、広がり、伝播する智慧かと思う次第です。

    有り難うございます。

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