愚老庵ノートSo Ishikawa
水没したカメラへのオマージュ

滝が氷結した「氷瀑」を収録しようと思い立ち、木曽の白河氷柱群を訪ねました。ここの氷瀑は、崖から湧き出して流れ落ちる水が凍結したもので、川に沿って200m余りも続いています。
自然が造り出すこの壮大な芸術作品のスケールには、只々圧倒されました。しかし、全面凍結しているこの氷瀑には、変化や動きが全く無いのです。
陽光で氷瀑が溶けて滴り落ちるシーンを撮りたいと思っていたのですが、待っていても崖に太陽が当たって氷が溶けることはなさそうです。この状況では、どうやっても生命のリズムを伝える「NATURE」の作品にはなりそうもありません。
こんな時は、諦めて別の場所に移動するしかないのですが「深夜に出発し、4時間もかけてはるばるここまできたのに」という想いに引きずられて、少し河原を歩いてみることにしました。
歩いていると、長年の習性でどうしても画になりそうなところを探してしまいます。そしていつの間にかNATUREを収録していることを忘れ、自分が身につけた「技」で、どうにかして結果を出そうとする「画づくり」が始まってしまいました。
河原には風もなく、動いているのは、川の流れだけです。この場面では、氷瀑を映す川の淵で、水面の揺らぎを手前に入れて画をつくるしかありません。
迫力を出すためには、超広角レンズを水面ギリギリまで近づける必要がありました。しかし、石だらけの凍てついた河原は足場が悪く、なかなか三脚が安定しません。カメラポジションを探って悪戦苦闘しているうちに、周りで撮影する人の数がだんだん増えてきました。
私は何故か人の群れが苦手です。ストレスを感じて心が波立ってきました。そして、後から来た人のために撮影スペースを空けようとして、後方に置いてあったカメラバッグを手元に移動させようとした時、アクシデントが起きました。
あろうことか、三脚が川に向かって倒れて行ったのです。あっという間にカメラは水没、すぐに引き揚げたのですが、ずぶ濡れになって内部まで浸水してしまったカメラは、いくら乾かしても起動しません。収録を中止して帰るしかありませんでした。
30年ほど前に、台風直後の海岸を収録していた時に、突然大波を被ってカメラを使用不能にしてしまったことがあります。その時に「真水ならと何とかなるが、海水を被ったらどうしようもない」そう言われたことを思い出して、今回は真水なので何とかなるだろうとタカを括っていました。
ところがメーカーの修理センターから返ってきた回答は、何と「修理不能」でした。電子基盤の塊のような最新の写真系のカメラは、一昔前の頑丈な放送取材用のビデオカメラとは耐久性が違うようです。
幸いレンズとモニターは無事でしたが、一瞬の不注意で50万円するカメラ本体が「死亡宣告」を受けてしまったのです。金額もさることながら、この2年間ずっと一緒にNATUREの新しい境地を切り開いてくれた相棒を、自分のせいで「昇天」させてしまった申し訳なさで、さすがに私も落ち込みました。
周りの人たちは、後期高齢者の一人収録を心配して、いいかげんやめてほしいと思っているのではないか、そろそろNATURE収録の「免許返納」をする潮時ではないのか、そんなネガティブな想いに捉えられて、なかなか次のロケに出る気力が湧いてきませんでした。
そんな折、毎月NATURE通信を視聴してくださっている方からメールが入ってきました。そこにはこんな言葉が綴られていました。
その後も、NATUREの配信を心待ちにしてくださっていた方々からメールが次々に入ってきて、逡巡している私の背中を強く押してくれました。
「NATUREを必要としてくれる人がいる限り収録を続けたい」「周りには迷惑をかけるかもしれないが、それでもやらせて欲しい」私の魂は心の奥でそう叫んでいます。その声に促され、新しいカメラを相棒にしてもう一度収録を始める覚悟をしました。
収録を続けるなら、再びこのような事故を起こしたくはありません。今使用している収録機材を見直し、対策を考えることにしました。
二年前、収録機材を写真系のカメラに変えた時、担いで歩き回ることを前提に、三脚を「トラベル三脚」にしました。この軽量の三脚は、耐荷重は4kgと表示されていますが、重い超望遠レンズを着けた時などにカメラポジションが固定しづらく、バランスを崩して転倒しやすいのです。
そこで、思い切って三脚を耐荷重10kgの海外メーカーの製品に変えることにしました。値段は倍もするのですが、さすが戦争中に機関銃の台座を製造していたメーカー、安定性は抜群です。少し重くはなりますが、転倒するリスクが減り、画角を決める時の操作環境も格段に快適になりました。
音声を収録していたマイクも、今回カメラと一緒に「昇天」しました。新しいマイクを探していると、NATUREの音づくりを担当してくれている上野君が、ちょっと嬉しそうに「いいショットガンマイクが出たので、今度はこれにしませんか」そう提案をしてくれました。
こちらも値段が倍以上になってしまうのですが、上野君の喜ぶ顔が見たくて、経理担当の妻の顔色を伺いながら、思い切ってこのマイクを入手することにしました。
その効果のほどは「NATURE通信 February 2025 」の作品で確かめていただきたいと思います。このマイクはダイナミックレンジが広く、無理せずに「伝えたい音」を抽出できるので、耳を澄ませていただければ、これまでとは一味違う「音の柔らかさ」を感じていただけると思います。
思いがけない出費は痛く、水没させてしまった相棒には本当に申し訳ないのですが、今回のアクシデントのおかげで、収録時の転倒リスクと操作環境は格段に改善され、より「魂に優しい音」も収録できるようになりました。
そして何よりも、自分の「魂の願い」を改めて確認できたこと、周囲の「温かい眼差し」に気づかせてもらったこと、それが今回私にとっては大きな果報でした。
復活後の最初のロケには、新しいマイクをテストするためか、私の肉体の衰えをチェックするためか?上野君が同行してくれることになりました。一緒にロケに出るのは2年ぶり、道中で普段なかなかできない「深い話」ができたことも、思わぬ果報でした。
人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如し。こうしてNATURE収録がつくり出す禍福のスパイラルは、再び未来に向かって動き出しました。
しかし、この話はこれで「めでたしめでたし」にはなりません。それは、物質の世界を離れて魂の世界から「この世」を眺めた時、そこにもうひとつの課題が浮かび上がってくるからなのです。
魂の世界では「かたち」をつくり出す「つくり手の動機」が想念エネルギーとなって、その波動と同通する世界を引き寄せると言われています。
NATUREの動画づくりでは、己の波動を「魂の故郷」に合わせるために、私はずっと祈り続けています。それは、己の波動が迷走すれば、神仏の世界からの助力が得られなくなってしまうばかりか、ダークサイドから破滅的なエネルギーを引き寄せてしまうこともあるからです。
今回起きたことは、「造化の源」に託身することを忘れ、自分の力で無理やり「画づくり」をしようとした私への、見えない世界からの「警告」だったのではないか、そんな想いが湧いてきました。
「魂」は、たとえそれが「自我」にとって耐え難い苦痛であっても、「魂の願い」を具現するために、今の自分に一番必要な事態を引き寄せると言われています。今回、私の魂がカメラを水没させてまで伝えたかった課題とは何だったのでしょう。
NATUREの収録で出会う「大自然の波動」は、私の意識を解き放ち「魂の故郷」へと導いてくれます。私はそこで、自他の境がなく森羅万象がひとつにつながっている世界との一体感を満喫することができます。
しかし、せっかく自由になったにもかかわらず、私の意識は再びこの世で築き上げた「自我の砦」に戻ろうとします。それは、私の顕在意識が、人間のつくり出した世界を恐れ、そこから自分を守ろうとするからだと思います。
私は物質の次元を超えた神仏の世界が存在することを信じています。そして、人間の心の奥に「仏」が存在することも信じています。しかし、信じてはいても、肉体に囚われた生身の人間とその群れが私は怖いのです。
覚者たちは、人間の業がつくり出した「闇の世界」があるからこそ、闇を光に転じようとする力が生まれると説いています。本当に神仏を信じているなら、光と闇が相克するこの世界をあるがままに受け入れなければなりません。
天界の美しい光と波動を追うだけでなく、この世の闇がやがて神仏を求める道と成ることを信じて、あらゆるものを受け入れて忍耐強く愛すること、それが今の私に与えられたもうひとつの課題のようです。
「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」とキリストは言いました。そしてブッダは「仏性が内在しているあらゆる人を敬い手を合わせよ」と説きました。今の私には、このような生き方はハードルが高すぎます。
しかし、いつの日かそんな境地に辿り着きたい、私の魂はそう願っています。そして日々人生で起きる出来事は、私の心の闇を光に転じるための「手がかり」を与え続けてくれています。
私に残された人生の時間は、だんだん残り少なくなってきました。しかし、人生は今世だけで終りではありません。私たちの本体は、永遠の生命を生きる魂なのです。諦めることなく祈り心によって生きてゆけば、「魂の願い」はいつか必ず成就される、私はそう信じています。
最後に、新しい機材で「氷瀑」に再挑戦した作品をご覧いただきたいと思います。これは、水没したカメラとマイクへのオマージュであり、愚老である私に与えられた見えない世界からのエールでもあると思っています。
https://nature-japan.com/post_nature/tsushin-feb2025-6/
今月のNATURE通信は「春の胎動」を求めて、伊豆半島と信州の蓼科周辺をロケしました
NATURE通信 February 2025 「春の胎動」
https://nature-japan.com/nature-tsushin/
「縁友往来」に新しい投稿があります。
遺伝子とIQが物語る日本人と日本文化のルーツ
人生という「人間成長システム」 by Akira
https://grow-an.com/mate/mate-021/
食のリテラシー by 流水
https://grow-an.com/mate/mate-022/
「縁友往来」に寄稿される方は、「お問い合わせ」から庵主にご連絡ください。皆様のご参加をお待ちしております。
2025/2/25
Comment
エッセイを読んで、夏目漱石の『夢十夜』を思い出しました。
運慶が、木で仁王像を彫っている。鑿と槌の使い方が自在で、
少しも疑念を差し挟んでいない。なぜなら、運慶には、木の
中に埋まっている仁王像が見え、ただ掘り出すだけだから━。
「あれは、眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻
が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ」
私たちの人生もそうなのでしょう。苦難や試練という悲しみ
や苦しみの鑿と槌で連打されて、余分なものが削ぎ取られ、
内側に眠っていた仁王像、魂の願いが輝き現れることになる。
石川さんも、カメラの水没という事件から、それでもお前は、
何を願い、生きるのかと問われ、自分の心に問わざるをえな
くなり、結果、より鮮烈に願いの輪郭を彫り出してゆかれた。
そして撮れた映像は、これまでの次元を超える作品となった。
激しく落ちる白滝の背後に、微動だにせず控え聳える岩山の
まったき静けさ。滝の動と山の静が、鮮烈に対比され見る者
を不思議な感覚に誘ってやまない。
不動の山=空(くう)から生まれる滝=色(しき)は、自然
が語る空即是色の真理を思わせ、限りなく想像力をかき立て
る。魂を動かす力がある。
新しい三脚が、不動の山を撮るに効いているのだと思う。昔、
機関銃の三脚を作っていた会社とは、生かすも殺すも、人間
の心次第ということか。
ゆえに、心から仁王像=魂の願いを、
どれだけ彫り出してゆくのか━人生に訪れる試練を、鑿と槌
として、内なる願いを彫り出し輝かせてゆくことにしよう。
日本人は、「諦めきれないと諦める」民族なのだそうだから。
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