愚老庵ノートSo Ishikawa
この世とあの世 Part4 犬の魂

お盆はもともと仏教行事の一つでしたが、いつしか先祖の霊を供養し家族や親族の絆を深める伝統行事となり、日本ではこの時期、毎年里帰りの民族大移動が起こります。
お盆には亡くなった人たちの霊が、家に戻ってくると言われています。この世の暮らしに追われていると、ついついあの世の人たちのことを忘れてしまいますが、お盆は、あの世に旅立った懐かしい人たちのことを思い出させてくれます。
日本人の4割が「死後の世界」を信じているという調査結果があります。Z世代の6割が「転生輪廻」を信じているという報告もあります。
アニメの影響も大きいと思われますが、この世を支配している「目に見える物質の世界がすべて」という価値観やルールの裏側で今、魂の存在を信じるスピリチュアルな精神世界が浸透しつつあるようです。
先日、毎週のように遊んでいた井の頭犬友グループの11歳のパグ、リンちゃんがあの世に旅立ちました。「悲しみの深さは愛の深さ」という言葉がありますが、愛犬一筋だった飼い主さんの悲しみの深さを想うと、かける言葉が見つかりません。
人間の世界では「魂」の存在が市民権を獲得しつつあるようですが、動物についてはどうなのでしょう。犬は死んだらどうなるのでしょう。
肉体を離脱して様々な霊界を探訪したスエーデンボルグの著作を調べてみましたが、残念ながら犬と霊界に関する記述を、見つけ出すことはできませんでした。
眠れる預言者と言われたエドガーケイシーが、相談者の「転生の記録」にコンタクトしたライフリーディングにも、犬の転生についての情報はありません。
「犬は死んだらどうなるのか」「犬に魂はあるのか」 仏教からチベット密教、神智学まで片っぱしから情報を探索してみましたが、なかなか得心がいく「解答」が見つかりません。諦めかけた頃、「シルバーバーチの霊訓」の中に、心に刺さるメッセージを見つけることができました。
「シルバーバーチの霊訓」は1920年台から1981年まで英国で50年以上続いた「降霊会」のエッセンスをまとめた出版物で、古代の高級霊がシルバーバーチという霊媒を経由して語った最高レベルの「霊界通信」として知られています。
「犬も人間と同じように永遠の生命を生きる魂の修行者であり、魂の進化のピラミッドにおいては、頂点にいる人間に次ぐ存在である。それは人間が犬を傍において愛したからである」
「この世での死を迎えると、犬は人間の霊のように迷わず、真っ直ぐに魂の故郷に直行する。そこは人間の魂が還る場所とは別のところにあるが、犬の魂から人間に愛された記憶が失われることはない」
「飼い主に愛された犬は、霊界で飼い主が来るのをずっと待っていて、飼い主が他界した時に出迎えてくれる。それはお互いの愛が、魂同士を引き寄せるからである」
「やはりそうだったのか」このような霊界からのメッセージに出会った時、私は救われたような気持ちになりました。
「死は犬にとっても魂の新たな旅立ちであり、愛犬はあの世から惜しみない愛を注いでくれている。それを感じることさえできれば、この世に居ても、あの世の愛犬と共に歩むことができる」そんなメッセージを受け取ったような気がしたのです。
物質の次元から解放された霊の世界では、自分と相手を繋ぐのは「想念」であり、相手を心に思い浮かべれば、時空を超えてその相手と繋がることができると言われています。
7年前にあの世に旅立った最愛の息子 Baron と私は、この世とあの世の敷居を超えて、今一緒に「不思議な旅」をしています。
私は毎日のように、あの世のBaronに語りかけています。姿を見ることも触ることもできませんが、Baronのことを想うと心が温かくなって、一緒にいるような不思議な一体感を感じることができるのです。
犬の使命は、人間に無条件な愛を与えること。私たちに霊的な気づきを促し、肉体という牢獄に囚われた私たちの魂を解放するために、犬はこの世に生まれてくる、古代の高級霊はそう語ります。
そう言われてみると、Baronは、私の魂を目覚めさせるために、私の元にやってきてくれたように思えて仕方がありません。
私は、幼い頃に愛する人が目の前から次々といなくなってしまう寂しさと哀しさに耐えられず、傷つくのが怖くて、人を深く愛することができなくなっていました。
自分が安らげる居場所を求めながら、私は、ずっと根なし草のように生きてきました。それは、傷つくのが怖くて、自分のいる場所に深く根を下ろせなかったからです。
Baronは、天真爛漫な純真さで、私が閉ざしてしまった「深く愛する力」を軽々と引っ張り出してくれました。
食事や排泄の世話、散歩と運動、シャンプーとブラッシング、図体が大きく知能が3歳児のままのヤンチャなラブラドールのケアは、仕事とは比較にならないぐらい大変でした。しかし不思議なことに、これがまったく苦にならないどころか楽しくてしかたがないのです。
Baronがやってきた頃、私はヘビースモーカーでしたが、検査でBaronに煙草アレルギーが出たので、キッパリと煙草をやめました。これまで何度も禁煙に失敗していたのですが、Baronのおかげで、私は禁断症状を乗り越えることができたのだと思います。
Baronは、私が思いっきり遠くまで投げたり蹴ったりしたボールを全力で追いかけ、それを持ってくるのが何よりも好きでした。そして、咥えてきたボールを私に放って「もっと投げて、投げて」とせがむのです。
この行為を何度も繰り返しているうちに、いつしかBaronと私は一体となり「無我夢中のゾーン」に入ります。この不思議な「至福の時間」を共有することによって、Baronとの絆はより一層強固なものになりました。
しかし、ボールを全力で追いかけすぎたためか、12歳をすぎた頃からBaronは関節を悪くして、これまでのように走れなくなってしまいました。
一番好きなことができなくなってしまっのたのは、Baronにとって何よりも辛いことだったと思います。Baronは文句一つ言わず、この事態をじっと静かに受け入れているように見えました。
何とかして治してやりたいと思い、その道の権威と言われる獣医大学の先生に診てもらいましたが、手術しても元には戻らないと診断されました。痛みが少しでも軽くなればと思い、犬専門の鍼灸院に、毎週のようにBaronを車に乗せて通ったことが、懐かしく思い出されます。
症状が進行して歩行が難しくなってからは、早朝と夕方に2階にある我が家から体重30kg近いBaronを抱きかかえて階段を登り降りし、カートに乗せて排泄のための散歩に出かける日々が続きました。
大型犬の15歳は人間の100歳とも言われ、この歳になるといろいろな病気が出てきます。犬の医療の世界にも、脳神経外科、眼科、呼吸器科などの専門医がいて、晩年には、 Baronと一緒に先進医療が受けられる動物病院巡りをすることになりました。
やがてBaronは呼吸困難になり、一晩に何回も起きて酸素を吸入させなければならない日々が3ヶ月ほど続きました。Baronの死期が近いと感じた時、私は、Baronが与えてくれたものの大きさにあらためて気づかされました。
子供だった頃のBaronは、その純真さで、私が頑なに閉ざしてしまった「深く愛する力」を引っ張り出してくれました。成長したBaronは、愛し合うことの醍醐味を教えてくれました。そして、年老いて走れなくなったBaronは、さらに深い愛の次元へと私を導いてくれました。
それまで私が愛していたのは、美しいもの、完璧なもの、自分が好きなものだけで、未熟なもの、不完全なもの、病んだものに、私はあえて関わろうとはしませんでした。幼稚園の先生や看護師さんに自分は絶対なれない、老人の介護も自分には無理、私はずっとそう思い込んでいました。
Baronは、自分が不完全でダメな状態になることによって、私の心の奥深くに眠っていた、病んだり傷ついたりしたものに対する「献身的な愛」を引き出してくれました。そして、愛することは自然なことで、義務感で努力するものではないことを教えてくれたのです。
Baronは、16歳と4ヶ月であの世に旅立ちました。そして私は、ある日愛していた者が目の前から居なくなってしまうという幼少時に体験した悲しみと苦しみに、再び出会うことになりました。
Baronが逝ってしまった喪失感は、想像していた以上に大きなものでした。介護疲れもあって自律神経に変調をきたし、今度は私が病院巡りをする羽目になりました。どの診療科に行っても症状が改善されることはなく、最後には精神科に行ったほうがいいと言われる仕末でした。
しかし、この悲しみと苦しみ、自分では如何ともし難い絶望感は、人間の力を遥かに超えた「大いなる存在」に救いを求める道を拓いてくれました。
どうやっても自分が救われないことを徹底的に自覚した時、心の最深部に眠っている魂(仏)の声が聞こえてくると言われます。
閉ざされていた内宇宙への扉が開いた時、魂の記憶が蘇ってきます。そして私たちは、死んだ後に魂(霊)になるわけではなく、この世に生きている時も魂(霊)であることに気づかされるのです。
古代には、霊の世界と交信する能力を、誰もが持っていたと言われています。肉体に囚われた私たちは、物質文明と引き換えにこの心霊能力を失ってしまいました。
それでも私たちは、あの世に旅立った愛する者を想い、想念を送ることはできます。魂の世界では「想えば伝わる」のです。そして肉体を持たない霊の世界からも、メッセージは送られてきます。
たとえ五感で感じることができなくても、私たちは、「気配」や「インスピレーション」や「夢」などを通して、そのメッセージを受け取ることができるのです。
私はこれまで霊界の存在を信じていましたが、この世とあの世が表裏一体であり、霊界から流入するエネルギーに導かれて、自分がこの世を生きているという実感がありませんでした。
しかし、Baronが魂の故郷に還って7年、私は近頃、Baronと一緒に「霊の世界」を歩んでいることを確信できるようになりました。そして私は今、肉体の死がさほど恐ろしいとは思わなくなりました。
肉体という牢獄に閉じ込められていた魂が、苦しみから解き放たれて、霊本来の姿に戻ることを、どうして恐れなければならないのでしょう。
痛むことを知らない霊の体で、時空という制約を超えて一瞬のうちに世界を駆け巡れるようになることを、どうして悲しまなければならないのでしょう。
霊界で待ってくれているBaronに一刻も早く会いたい、そんな気持ちもありますが、どうやら私にはまだ、この世でやらなければならないことがあるようです。
この世とあの世を一緒に歩むBaronとの不思議な旅は、もう少し続くことになりそうです。
LINKS
今月のNATURE通信は、夏の高原から雲の風景をお届けします
NATURE通信August 2025 「夏の雲」
https://nature-japan.com/nature-tsushin/
「縁友往来」に新しい投稿があります。
小泉八雲、魅せられた日本の美━子を救う、神と仏と侍の情
by Akira
https://grow-an.com/mate/mate-036/
本草学の魅力 by 流水
https://grow-an.com/mate/mate-037/
2025/8/25
Comment
石川さんのエッセイ「犬の魂」を拝読し、以下、思い出された「いろは歌」と雪山童子の歌を感想とともに、お贈りします。
散る桜 残る桜も 散る桜
再び会おう 寂滅の地で
色は匂へど 散りぬるを (諸行無常)
わが世誰ぞ 常ならむ (是生滅法)
有為の奥山 今日越えて (生滅滅已)
浅き夢みし 酔いもせず (寂滅已楽)
いろは歌・四十七文字は雪山偈(せっせんげ)、ブッダの前世である雪山童子が遺した真理。
今を盛りに咲く花も やがては散りゆく定め
(この世のすべてのものは変化し無常である)
わが世の春と奢る者も必ず滅び永遠でなし
(それらは生じて必ず滅する法のもとにある)
生滅が生む悲苦の現実を今日越えてゆこう
(生滅の奥の永遠に至れば生滅の法は已む)
目覚めれば楽なり 儚い夢に酔うことはない
(生滅は消え永遠なる静寂の涅槃を楽しむ)
あの世とこの世の違いは、「あ」と「こ」の違い、ほんとうは、それほど近いものと言われます。しかし五感にとらわれ見えるものしか信じない、私たちの自我は、あの世も今ここにあるのに、心を向けない、開かない、感じようとしないだけ。
「ほんとうに大切なものは目には見えない」と言ったのは、星の王子様だったでしょうか━。
人間である私たち自身が、本質は「霊」であることも忘れている。霊が、肉体をまとったのが人間であり、肉体は、魂の乗り船であるという。
見た目が美しいもの、完璧なもの、刺激的なものを求め生きてきた私たちが、劣ったもの、醜いもの、弱いもの、衰えてゆくものを、大切に愛する気持に目覚めたとき、消滅・無常の世界から、永遠・不滅
の愛の次元、空(くう)の慈悲と智慧の世界に至る。
石川さんの歩みを追体験しつつ、「出会えること」、「ご縁」の不思議と尊さ、愛に、深くこころが打たれる。
鬼のように冷たい心を抱き、修羅の道を生きてきて、生滅の法によって砕かれ、孤独と絶望、恐怖に沈む、
すべての魂に永遠の安らぎと救いが訪れますように。
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