愚老庵ノートSo Ishikawa
厳冬の滝と対話する

年の始めにどんなNATURE通信を届けようか、ロケの候補地をチェックしていると、寒波の襲来で1月9日に霧ヶ峰の気温がマイナス15℃まで下がるという気象予報が目に入ってきました。
晴天で風がないという予報を見て、これならダイヤモンドダストが狙えるかもしれない、そんな考えが頭をかすめました。
ダイヤモンドダストは、空気中の水蒸気が凍り、小さな氷の結晶が太陽の光を反射してキラキラと宙を舞う現象です。
霧ヶ峰は、極寒の地で見られるこの冬の奇跡が、東京から200キロ圏内でも撮影できるスポットとして知られています。
私はこのスポットで、これまで過去に2回、ダイヤモンドダストを収録させてもらっています。しかし、これらの作品は一世代前のカメラで収録したもので、解像力がさほど高くありません。
微細な氷の結晶が舞う姿を、35mmのフルサイズ画像センサーを搭載した高解像度のカメラで捉えてみたい、そう思い立って、一昨年と昨年、2年連続でこのスポットを訪れているのですが、いずれも空振りに終わっています。
三度目の正直で今回は撮れるかもしれない、そんな期待を胸に1月9日午前2時半に吉祥寺を出発しました。
霧ヶ峰の撮影スポットに到着したのは午前5時半過ぎ、日の出までにはまだ1時間以上ありますが、路肩に沿って20台ほどの車が既に駐車していて、道の反対側にはカメラの放列ができていました。
ここには、夜明け前のマイナス15℃の寒さにもめげず、ダイアモンドダストや霧氷を撮影しようとする人たちの熱気が渦巻いていました。人混みが苦手な私は、この場をスルーして、人の気配がない別の撮影スポットを探すことにしました。
ダイアモンドダストの撮影では、氷の結晶が舞うサンピラー(太陽柱)が太陽の真下に出現することが多いので、その状況を想定してカメラポジションを探ります。
マイナス15℃という極寒の中で収録機材を操作しようとすると、なかなか思うようにはいきません。カメラを操作するために指先の出る手袋をしているのですが、指が凍えてしまって、小さなタッチパネルの画面に配置された操作スイッチが正確に押せないのです。
悪戦苦闘しながら画角とパラメーターを決めて待つこと2時間、残念ながら切望していたダイヤモンドダストは出現する気配すらありません。どうやら晴天続きで「湿度」というもう一つの条件が足りなかったようです。
ダイアモンドダストは諦めて、そこで撮れる他のシーンを探そうとしましたが、風が無く、雲もなく、雪も積もっていません。これは「動きが命」の動画屋にとっては最悪の撮影条件です。
追い討ちをかけるように、モニターディスプレイに異常が発生しました。寒さのせいか、あるいは指先の誤動作のせいか、通常のモニター画面が表示されなくなってしまったのです。
モニターが使えなくなると画像のディテールやグラデーション、色彩などの確認ができなくなります。今日はもう帰ったほうがいい、そう言われているような気がして、一瞬心が折れそうになりました。
NATUREの収録では、今回のように狙い通りのシーンが撮れないことの方が多いのです。そんな時私は、何のためにこのシーンを撮ろうとしていたのか、その本来の目的を自らの心に問うことにしています。
私がNATUREを収録する「目的」は、大自然の波動を縁友たちに届け、魂の故郷を思い出してもらうためです。ダイヤモンドダストの収録はその「手段」のひとつに過ぎません。
しかし、いざ現場でエネルギーを集中すると、目の前の「手段」が「目的」になって、そのことしか見えなくなってしまいます。そして、その成果に一喜一憂してしまう自分がいます。
首尾良くダイヤモンドダストが収録できれば、こんなに嬉しいことはありません。しかし、「大自然の波動を縁友に伝える」という本来の「目的」に還ることができれば、ダイヤモンドダストが駄目でも、この目的を具現する手段は他にいくらでもあるのです。
「ピンチはチャンス!」です。 何のためにNATUREを制作しているのか、その原点に立ち還ることができれば、そこから新たに、予想だにしなかった別の可能性と出会いが生まれて来るかもしれないのです。
ひとまず車に戻って、冷え切った体を温めることにしました。コンビニで調達した朝飯を食べ、これからどうしようか思案しているうちに、いつの間にかうとうとしてしまいました。
その時、朦朧とした意識の中に、去年カメラを水没させ、失意の底に沈んでいた私に力を与えてくれた感動的な氷瀑のシーンが浮かんできました。
もう一度あの滝に行ってみよう、そう決意すると、衰えかけていたエネルギーが一気にチャージされるように感じました。

霧ヶ峰を後にして1時間ほど走ると、蓼科高原の横谷峡にある乙女滝に到着します。氷瀑は陽の当たらない北側に面していることが多いのですが、この滝は南に面しているので、厳冬期でも完全凍結することがありません。
昨年に比べて、今年は凍結した氷柱の量が少なく、落下する水量が多いように感じられましたが、身の凍るような厳しい寒さの中で、乙女滝は変わることなく、凛とした神秘的な波動を発していました。
谷間に差し込む上手上空からの日差しが瀑布の裏側の氷柱を照らし出し、激しい落水から生まれるマイナスイオンの気流が、滝風となって立ち昇っています。
周囲を遮断するかのように響き渡る滝の音に意識を向けると、轟音の中に様々な音が聞こえてきます。
落下した水流が激しくぶつかる音、凍結した氷のオブジェを渓流が洗う音、滝風が渓谷を吹き抜けてゆく音、目を閉じてこのような音場に身を託ねていると、いつしか滝の轟音が心地良く感じられるようになります。
そして、先人たちが、何故滝を修行の場に選び、厳しい寒さの中で激しい水流に打たれたのか、わかるような気がしました。
神道、仏教、修験道などに「道」を求めた先人達は、極寒の中、滝行によって心身を清め、己の内なる声を聞いて、新たな自分を再生してきました。
厳冬の滝のシーンによって、この「修行の記憶」を呼び覚ますことができないだろうか、もし滝行の経験がなくても、想像力を使ってバーチャルな滝行をイメージしてもらうことができるかもしれない、そんな考えが湧き上がってきました。
もちろん本当の滝行には及ぶべくもありませんが、心身の穢れを洗い流し、自然と一体になることをイメージできれば、内宇宙への道が開かれるかもしれません。
しかし、そんな迫力あるシーンを収録するためには、できるだけ滝の直下に近づかなければなりません。滝しぶきを浴びないように、人と収録機材がすっぽりと入るレインカバーを被って、少しずつ瀑布に近づくことにしました。
滝しぶきが凍結した不安定な氷の足場に三脚を立て、カメラを瀑布に向けると、滝風が運んで来る微細な水滴がレンズに付着して、みるみるうちに凍ってゆきます。
レンズフィルターの表面で凍った微細な水滴は、拭っても拭ってもなかなか落ちません。無駄な抵抗はやめて、この凍りついた水滴を自然のフォグフィルターにして、幻想的な画づくりをすることにしました。
滝しぶきによって画面がだんだんぼやけてゆく不思議な効果は、結果として心の旅に出るための朦朧とした「余白」をつくり出してくれました。
モニターが使えないので、カメラの操作パネルを兼ねた小さなディスプレイを頼りに無我夢中で収録を続けているうちに、4時間が経過していました。
さすがに少し疲れたので、一旦車に戻り休憩することにしました。冷え切った体を温めてから次の撮影ポイントを求めて、八ヶ岳方面に向かって1時間ほど車を走らせました。
途中眼に止まった周辺の冬景色を拾っているうちに、何故か乙女滝から何度も呼ばれているような気がして、もう一度引き返すことにしました。
先程まで撮影していた場所に再び降り立ったのは、山の端に太陽が隠れようとする少し前でした。夕日に照らされて、乙女滝は朝方とは全く違う表情を見せていました。
落下口ではオレンジ色に染まった水しぶきがキラキラと輝き、落下する水流の影が岩壁に投影されて幽玄なリズムをつくり出していました。そして、このシーンを収録しているいるうちに、私の意識は再び滝行モードに入りました。

これまで私は「この時期にこの場所に行けば、だいたいこんなシーンが収録できる」というこれまでの経験知をもとに、気象予測やGoogleマップに投稿された直近の写真、現地のライブカメラなどの情報を総動員して、ロケ地を選定し、狙ったシーンが収録できなかった時のことも考えて、何通りもスケジュールを組んできました。
そして、それらの情報とプランを一旦頭に入れた上で、状況の変化に応じて、収録するシーンを臨機応変に変えるという制作スタイルをとってきました。
その甲斐もあって、感動的なシーンと出会える確率が高くなり、「よく一日で、こんなにいくつものシーンを収録できますね」と驚かれることも多くなりました。
しかし、瀑布を前にしていると「自分は結果を出すことに執われ過ぎていたのではないだろうか」そんな想いが湧き上がってきました。
「同じ場所が、一日という時間の中でこんなにも違った表情を見せてくれる」どうやら私は先を急ぐあまり、そんな当たり前のことを見失っていたようです。
「一ヶ所に腰を落ち着けて日がな一日、移ろいゆく景色をゆっくりと愛でながらNATUREを収録してみたい」心の深いところからそんな声が聞こえてきました。
自分を再生できれば出会うシーンも変わります。どうやら今年は、 NATUREという修行も新しいステージへと向かうことになりそうです。
LINKS
年の初めに、滝行をイメージしながら、
内なる心の声を聞いていただければ幸いです。
NATURE通信January 2026 「厳寒の滝」
https://nature-japan.com/nature-tsushin/
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