愚老庵ノートSo Ishikawa
生成AIには創れないコンテンツ

毎日食べているものが「肉体」をつくるように、毎日摂取している情報は、私たちの「意識」をつくります。この二十年の間に、私たちが情報を摂取しているメディア環境は激変しました。
インターネットとSNSの普及によって、今、若年層で、新聞や本を読まない人、テレビを見ない人が激増しています。
Z世代では、テレビを見ないという人が70%を超え、新聞を読まない人が、何と97%という衝撃的な調査結果が報告されています。
彼らの主なニュースソースは、LINEなどのネットニュースやXに投稿された記事、そしてTouTubeやTikTokに投稿された動画などです。
SNSやネットニュースに最適化された文字量に慣らされていると、長文を読むのがついつい億劫になると言います。
16歳以上の日本人の60%以上が、1ヶ月に1冊も本を読まないという文化庁の調査報告がありますが、昨今、若年層の長文読解力が劇的に低下していると言われています。
彼らがTouTubeを使ってテキスト情報を摂取しようとする理由を知って驚きました。黙読は「ながら」ができないからタイパが悪い、TouTubeなら音声だけを聴きながら別のことができる、というのです。そう言われても、昭和生まれの私にはよく理解できません。
時間軸に並べられた言葉を倍速で聴くよりも、集中してテキストで全文を読んだ方がずっと速いのではないか、そう思ってしまうのですが、それは私が活字文化の中で育ってきたからなのかもしれません。
リビングのテレビやPCで、ネット配信されるドラマやアニメを流しながら、手元のスマホでネットニュースを流し読みし、メールやSNSをチェックする、それが今、私たちの日常のメディア環境になろうとしています。
インターネットの世界では、ここ数年間の間に、検索履歴を基にしたフィルターバブルが進行し、自分の嗜好や価値観に近い情報が、私たちめがけて次々と降り注ぐようになりました。
能動的な意思によって自分から情報を探しに行くことなく、私達はいつしか、プラットフォーム側が出してくるレコメンド情報をそのまま受動的に選択することに慣らされてしまいました。
このような環境に囲まれて情報を摂取しているうちに、私たちは自分の価値観や趣味嗜好に近い世界に囲い込まれ、関心がないそれ以外の世界を、あえて知ろうとはしなくなりました。
今自分が生きている世界で何が起こっているのか、生きとし生けるものすべてがひとつに繋がった地球生命体は今、私たちに何を呼びかけているのか、私たちの意識は自然からの警告を受信するのが難しくなってしまったように感じます。

私たちには、インターネット上の情報にお金を払うという発想がありません。情報が無料なのは、影響力のあるプラットフォームのほとんどが広告収入によって運営されているからです。
SNSはアテンション・エコノミー(関心経済)を基本原則として運営されています。YouTubeもXも、投稿の表示回数(PV)に応じて投稿者が収入を得られる仕組みを導入しています。
経済価値がPVに連動するよって、人の関心を惹きつける投稿をすれば、お金が稼げるというトレンドが生まれました。そしてネット上には今、確実にPVが稼げるコンテンツとして、表面意識の不安や欲望を惹きつけてPVを稼ごうとする扇情的な情報が氾濫しています。
タダより高いものは無いと言われますが、私たちは便利さと引き換えに、心の深みへと向かい本当の自分と出会うための「能動的な思考」を失いつつあるのではないでしょうか。
インターネットは、出版メディアを含めた有料コンテンツの世界にも、大きな影響を与えています。
これまで私たちは、一本の映画見るために千数百円を払っていましたが、この金額を払えば、月に何万本もの映画を好きなだけ観ることができるようになりました。
音楽業界でも、3000円程のCD一枚に十数曲しか収録されていなかった楽曲が、今や月に1000円程の料金で、膨大な楽曲が聞きたい放題です。
書籍や雑誌の売り上げが長期低迷している出版業界でも、電子コミックのサブスクが売り上げを伸ばしています。
私は、これらの有料コンテンツのサブスクを利用していません。それは、情報を大量に「消費」することが習慣になってしまうことに抵抗を感じているからなのかもしれません。
かつて出版文化で育った私は、自分の生き方に影響を与えた本やレコードなどを大切に保管しています。私にとってこれらのコンテンツは、消費する情報ではなく、記憶に残しておきたい宝物なのです。
本棚の本を辿ってゆくと、自分の意識がどのように形成されてきたのか、懐かしい記憶が蘇ってくるので、断捨離しようとしても、これらの本やレコードはなかなか処分できません。
「人の心に残るこのようなコンテンツを自分は制作してきただろうか」
終活をしようとして本棚を眺めていると、そんな思いが湧き上がってきます。
かつて私はレコード会社に就職し、画の出るレコード(VHD)のコンテンツ開発に携わり、その後独立してテレビのインタビュードキュメンタリー番組の制作に新天地を求めました。
しかし、いくら頑張ってみても視聴率が取れませんでした。自分がマスメディアの世界には向いていないことを悟り、私はオーダーメイドで動画コンテンツを制作するマルチメディア動画工房を立ち上げました。
そして私は、それ以来ずっと、医療、建築、アート、教育などの専門分野で「クライアントの役に立つ動画コンテンツ」のデザインと制作に専念してきました。
かつては、動画を制作するためには、高価な制作機材とそれを使いこなす専門の技術スタッフが必要でした。
「人の心に残る動画をつくりたい」ずっとそう願いながらも、制作機材の高額なリース料と、スタッフの給料を稼ぎ出すことに追われ、その願いは、いつも後まわしになっていました。
しかし、わずかこの十数年の間に、スマホとSNSの急速な進化が、動画の世界に革命を起こしました。高価な制作機材と分業化された専門技術によって守られていた動画づくりの聖域が崩壊し、動画は誰でもが撮って送れるコミニュケーション・ツールに変貌しました。
最近の生成AIは、カメラを使わずに言葉の指示だけで動画が生成できるところまで進化しました。それだけではありません。ターゲットに合わせてシナリオを作成し、イメージキャラクターや出演者まで生成できるようになりました。
今、この激変する制作環境が、長年コンテンツの制作に携わってきたクリエイターや専門技術者たちから、仕事の場を奪おうとしています。「その仕事は、生成AIでできる仕事ではないのか」それが厳しく問われる時代がやってきたのです。

「かたち」にできる技術や表現は生成AIに置き換えられるかもしれませんが、「かたち」になる前の想いや動機は、人間の心の中にしか存在していません。
「自分は何のためにこの仕事をしているのか」「どんな想いでコンテンツをつくろうとしているのか」人間にしか成し得ない仕事をするために、私たちはそれを自らに問わねばならなくなったのです。
最先端の量子力学は、人間の想念が物質の世界をつくり出すことを明らかにしていますが、眼に見えない想念の波動が人間にいかに大きな影響を与えているか、物質と想念の関係が、これからの時代、さらに解き明かされてゆくでしょう。
どんなに美しく完璧な「かたち」をつくっても、そこに相手を想う温かな想いがこもっていなければ、人の心深くに残るものをつくることはできません。
自分の心の深層に眠る「魂の願い」を思い出し、その「波動」を「かたち」にすること、 来るべき時代に「人の心に残るコンテンツ」をつくり出すためにはそれが必要になる、私はそう信じています。
しかし、自分の生き方の根源を探し求め、生成AIにはつくれない仕事を目指しても、それで生計を立てていけるとは限りません。
どんなに相手を想い、手間暇かけてコンテンツの質を高めても、その価値を評価しお金を払ってくれる人が減っているのです。
コンテンツの世界は今、数の力と飽くなき利益を求める巨大なプラットフォームに飲み込まれ、知らぬ間にその仕組みに支配されています。
アテンション・エコノミー(関心経済)の世界で、現実に求められるのは、コストをかけずに効率よくPVを稼げる表面意識を惹きつけるコンテンツなのです。
お金を稼ぐことを目的にした人たちは、このようなニーズに合わせて、生成 AIを上手く使いこなし、生き残ってゆく道を見つけ出すでしょう。
しかし、自分の仕事をお金を稼ぐためのビジネスと割り切れないクリエイターたちは、この先仕事を続けてゆくかどうか、選択を迫られることになります。 これから先、仕事に生き甲斐を感じられず廃業するクリエイターや技術者が続出するかもしれません。
自分が大切にして「美意識」や「人との繋がり」が失われてゆく哀しさ、自分が人生をかけて習得してきた「技」が無用になってしまう虚しさ、その辛さは、同じ時代をこの業界で生きてきた私には痛いほどよくわかります。
しかし、その不安と苦しみは、心の奥で微睡んでいる「魂の願い」を目覚めさせる「呼びかけ」とは考えられないでしょうか。「人は食べるために生きるにあらず」 私たちが生まれてきたのは、ただ「食べてゆく」ためだったのでしょうか。
自分は何のためにこの世に生まれてきたのか、本当につくりたかったもの、伝えたかったことは何だったのか、その願いを思い出した時、私たちは生きるための糧を他で稼ぎ出してでも、そのコンテンツをつくり続けようとするのではないでしょうか。
魂の願いからほとばしり出たこのような強靭な意志のエネルギー、「想念の波動」が、生成AIにはつくれないコンテンツを生み出す時代がやがてやって来る、私はそう信じています。
しかし、夜明け前は一番暗いと言われます。人間の飽くなき欲望がつくり出した巨大な社会システムとメディア環境に取り囲まれて、絶望的な無力感に打ちひしがれることも覚悟しておかなければならないでしょう。
しかしそれがあるからこそ、神仏の世界に救いを求め、物質の次元に囚われていた自我意識から解き放たれて、多次元宇宙を貫く「法則」に素直に託身することができるのではないでしょうか。
見えない次元との響働によって、人間復興ならぬ「魂の復興」を目指す新しいコンテンツづくりが今、力と数、効率と利益を求める時代のメインストリームから離れたところで、静かに始まろうとしています。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」この言葉を、目覚めへと向かうクリエイター達に贈りたいと思います。
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